メリーさんの電話以外にも色々ある?メリーさんについて徹底リサーチ!

メリーさんの電話の映画もある!

2011年、三原三尋監督作で「メリーさんの電話」は映画化されました。あらすじは、部の強化合宿で、山奥の施設を訪れた女生徒たちのうち、一人が発狂したのを皮切りに、一人ずつ消えていくというホラー映画です。

もちろん、メリーさんの電話自体も登場します。圏外であるはずなのに、怪現象について調べる主人公にメリーさんから電話がかかってくる、という、メリーさんの都市伝説になぞらえた設定も活かされた、恐怖度の高い映画です。

メリーさんの電話同様に人気の都市伝説は?

メリーさんの電話と同様に、よく話題に上がる人気の高い都市伝説は沢山あります。農村部で目撃されるというくねくねという謎の物体の話や、異世界に連れていかれる、悪魔がやってくるなどの話がある合わせ鏡の怪など、ホラー系の都市伝説には様々なものがあります。

いずれも、自分の身近にある場所、物を利用して起こるお話しが多い為、もしかしたら起こるかもしれないという不安を養分に広まっているお話だと考えられます。今回例に挙げたくねくねと合わせ鏡について、詳しく解説している記事もあるので、こちらもご覧ください。

メリーさんの館は本当にあった!恐怖の心霊スポット

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日本に実在するメリーさんの名前がついた心霊スポットをご存知でしょうか?その名もメリーさんの館です。兵庫県の六甲山に位置する曰く付きの恐ろしい心霊スポットです。このメリーさんの館について、見ていきましょう。

メリーさんの館は本当にあった怖い話?

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怪談話の語り部として、日本で最も有名な稲川淳二さんが語ったことで、メリーさんの館は一躍有名になりました。六甲山の山奥、車では行けない入り組んだ茂みの奥にひっそりと今でも佇んでいるそうです。

お話では、ある二人組が肝試し感覚で、車では行けない六甲山奥地に位置するメリーさんの館を訪れました。そのうちの1人が階段を上がり二階の部屋に入ると、突然扉が閉まり、中には目が真っ白のロシア系の沢山の子供の霊がいたそうです。彼は意識を失い、気づくと病院にいたそうです。

メリーさんの館の詳細が知りたい!

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名称の由来は、館の中に羊の頭の剥製が飾られていたことから、羊からの連想で、メリー、メリーさんの館と名付けられたそうです。確証はありませんが、その昔外国人捕虜の収容施設になっていたらしく、当時の日本の捕虜の扱いを鑑みれば、手酷い扱いや、虐待、人体実験が行われていてもなんら不思議はありません。

六甲山は心霊スポットが多い

メリーさんの館同様に、六甲山付近では霊の目撃情報や、心霊体験の話が沢山あります。昔外国人捕虜を収容する施設があったことや、人体実験などの非人道的な扱いがなされていたことも多分に関係していると思われます。

他にも有名な六甲山の心霊スポットとして、山の牧場や、外国人墓地などが挙げられます。今でも行われているかは分かりませんが、ひと昔前にナンパした女の子を車で外国人墓地の前まで連れて行き、ホテルに来るか、ここで降りるかを迫る悪質な手口が横行していたようです。

横浜のメリーさんが実在した

メリーさんが横浜で目撃されていたという話もあります。横浜のメリーさんは白塗りで、フリルのついた純白のドレスを身に纏っていたそうです。一体どんな人物だったのか、本当に実在したのかを調べてみました。

横浜の伝説・白塗りのメリーさんとは?

1980年代に横浜の中心地付近で目撃されていた、歌舞伎並みの白塗りに純白のドレスで米兵を相手に売春を行っていた老女とされています。見た目が奇抜なせいか、当時大変話題となり、後にドキュメンタリーの映画化もされました。戦争の余波が残る世の流れ、生きる為に娼婦の道を選ぶしかなかった背景には、考えさせられるものがあります。

白塗りのメリーさんは実際にあったの?

「ヨコハマメリー」という映画にもされた白塗りメリーさんの話は、本当に実在した女性の話です。本名は公表されてはいませんが、1921年に岡山県で生まれた農家の長女だったそうです。将来を誓い、東京まで連れてきた外国人将校の突然の出兵で生き別れとなり、以後横浜港で娼婦として働き続けました。

若い時から純白のドレスに、日傘を差し、佇まいから品位の感じられる美しい女性だったそうです。晩年は老人ホームにて84歳で亡くなられたそうです。ずっと横浜に留まり続けたのは、いつまでも生き別れた将校を待ち続けていたからなのかもしれません。

NEXT かわいい!迷子のメリーさん?