未だ残る負の遺産京都崇仁地区!影ある過去から光ある未来へ!

他の歴史の悲しい話ついて興味がある人はこちら。

崇仁地区出身者が建てた柳原銀行

柳原銀行は日本で唯一の被差別部落の住民によって設立された銀行です。融資を受けにくかったは被差別部落出身者や、被差別部落で営業していた皮製品加工業者を救い独自で経済発展をするためです。金融恐慌によって昭和2年に倒産しましたが、当時の建物が記念館として現存しています。

柳原銀行資料館は誰でも入ることが出来る

柳原銀行資料館は歴史を感じる木造のオシャレな建物です。銀行が破綻したのちは、賃貸に出されていましたが記念館として改築保存されています。誰でも入場することが可能で入館料は」無料です。ぜひ足を運んでみてください。

・所在地:〒600-8206 京都市下京区下之町6-3
・電話/FAX:075-371-0295
・開館時間:午前10時~午後4時30分
・閉館日:月曜日,火曜日,祝・休日,年末年始(12月29日~1月3日)
・入館料:無 料

地域住民に受け継げれる神社

崇仁地区には神社もあり地域住民の信仰を集めています。大きな神社ではありませんが、この地に多くの人が住み生活を営んできたのが伺える小さな鳥居の神社です。崇仁地区全体が衰退するのと呼応するようにこの神社も役目を終えていくのでしょうか。

老朽化が進む市営住宅

市営住宅の建造は京都の中でも特に貧しい人が多かった崇仁地区に行政が積極的に建造しました。現在では老朽化が進み新規に入居する人はほとんどいません。この古ぼけた市営住宅が崇仁地区の独特な景観を生み出しています。

被差別部落の特徴

全国には各地に部落があります。部落問題は、何かと関西が話題になることが多いですが、もちろん関東にも身分制度は存在し被差別部落は存在しています。ただし関東の場合は戦争で多くの地域が焼失したり、人口移動が激しく関西ほど部落に対する意識は高くありません。

河原のそばにある

穢多非人は人ならざるもとして差別されました。仕事は家畜を殺す仕事が多く、平民の住む地域とは離れた場所で共同生活を余儀なくされました。多くの場合は山奥や沼地や河原のそば。生活しにくい場所に追いやられていたともいえます。部落はそういった場所に多く存在します。

革屋、肉屋、草履屋などが多い

彼らは狩猟した動物や家畜を殺して肉を処理したり、皮をなめして加工することを生業としていました。歴史的には血は穢れているとされ動物を処理する人間も穢れていると考えられていました。人の嫌がる事が彼らの仕事になりました。部落では未だその流れが続いています。

無味乾燥な公営住宅が建てられている

被差別部落は不良建造物と呼ばれる、バラック小屋のようなあばら家が多く存在していました。行政はこの不良建造物対策と福祉の一環で被差別部落に公営住宅をたくさん建てました。そのどれもが無味乾燥な箱を積み重ねたような建物です。現在は老朽化が進み次々と取り壊されています。

NEXT 被差別部落の人たちはどのような差別を受けていたのか