風船おじさんこと鈴木嘉和は何処へいったの?ファンタジー号事件の真相に迫る

ファンタジー号事件とは風船おじさんこと鈴木嘉和さんが、自作のゴンドラでアメリカを目指し消息不明となった事件です。風船おじさんは何のために無謀な冒険を行ったのでしょう。また彼の人柄や自作のゴンドラ、何処へ行ってしまったのかについても調べ真相に迫ります。

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風船おじさんこと鈴木嘉和さんについて

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1992年11月、自作のへリウム入り風船を取り付けたゴンドラ「ファンタジー号」に乗り、アメリカサンフランシスコを目指した日本人男性がいました。男性の名前は鈴木嘉和。無謀と思える冒険するまでに至った経緯、そして彼を駆り立てたのは何だったのか。彼の人物像も併せてご紹介します。

風船おじさんの家族

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ファンタジー号事件の半年前、1992年5月に鈴木はピアニストで音楽教材販売会社の共同経営者だった石塚由紀子と結婚します。鈴木にとって3度目の結婚で2人の間には子供がいませんでしたが、妻の石塚にはヴァイオリン奏者のfumikoを含め、音楽大学を卒業した3人の娘がおり、家族で音楽グループを結成し国内外で活動しています。

風船おじさんの経歴

東京都で調律業を営む家庭に生まれた鈴木は国立音楽大学付属高校を卒業後、自身もヤマハの契約社員になり東京都小平市で調律業を営みます。調律業を営む傍ら音楽教材販売会社をはじめ、音楽サロン、雀荘、パブなど多数の事業を展開しますが、どれもうまくいかず音楽サロンが倒産する際には5億円もの借金を抱えることになりました。

風船おじさんは横浜博覧会で騒動を起こしていた

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博覧会に出店した鈴木でしたが出店場所の立地の悪さに加え、博覧会の来客数が開催前に事務局から聞かされていた予測と大きく下回る数で経営が厳しくなっていました。度々、事務局側に改善を求めましたが事務局側がこれに応えることはありませんでした。

その為、会場内にあった高さ約30mの鉄塔に自作の横浜博覧会マスコットの着ぐるみと抗議メッセージを書いた垂れ幕を持ってよじ登り約7時間籠城をする騒動を起こします。その後、駆け付けたレスキュー隊の説得により、約1時間鉄塔を歩き回った末保護されました。騒動後、鈴木は事務局側から厳重注意を受けています。

風船おじさんは飛行試験をしていた

ファンタジー号事件以前の1991年4月に鈴木は多摩川から千葉県九十九里浜を目指した飛行試験を強行しました。その時に使用されたのは椅子に5mと3m風船2個を取り付けただけの簡単なものでした。

離陸後、取りつけていた15㎏の重し2個が切れ高度が急上昇するハプニングに見舞われますが、持っていたライターで5mの風船を繋ぐロープを炙り切ることで高度を下げることに成功し難を逃れることができました。その時の状況を映したものが残っており、周りと鈴木自身の温度差と意志の強さから聞く耳を持たない鈴木の人間性が分かります。

風船おじさんは東京都大田区の民家に不時着していた

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不時着したのは東京都大田区の民家で、この時瓦数枚とアンテナが折れ曲がるを被害を受けますが鈴木は駆け付けた蒲田署員には謝罪はするものの民家の住人に対しては一切、弁償や謝罪がありませんでした。それどころか今回成功していれば次はハワイ行くつもりだったと懲りずに再挑戦を誓っており、周囲は鈴木の言動と人間性に呆れ果てました。

この出来事がきっかけに今まで連日のように取り上げていたマスコミからも距離を置かれるようになります。さらには風船を膨らませるのに必要なヘリウムガスも売ってもらえなくなってしまい、アメリカへの挑戦は厳しいものになっていきました。

日本だけじゃない?!世界の風船おじさん

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世界には日本の風船おじさん同じくロマンを求めて風船だけで大空を飛行した人たちがいます。彼らは何のために風船で大空を飛ぶという危険な行動を思いついたのでしょうか。また彼らは無事生還できたのでしょうか。

無事生還したイギリス人冒険家トム・モーガン

2017年10月、南アフリカでイギリス人冒険家トム・モーガンさんが約24kmの距離を100個の風船を付けた椅子に乗って横断することに成功しました。彼の目的は不明ですが、今回の飛行のために2日がかりで100個の風船を準備し、途中風船が割れてしまうハプニングに見舞われながらも無事生還することができました。

帰らぬ人となったブラジル人神父

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カトリック教の神父でプロスカイダイバーだったアデリール・アントニオ・デ・カルリさんは2008年、ゴスペルが聞ける休憩所の建設とヘリウムガス入りの風船によるギネス記録への挑戦を目的に飛行しました。入念な準備をしてきた神父でしたが、当日、予想外の風を受けコースから外れて行方が分からなくなってしまいました。

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