【月ヶ瀬村女子中学生殺人事件】差別や村八分がきっかけとなった悲しき事件

丘崎家は区入りを認められていませんでした。与力を中心に結束している村において、区入りができていないということは、村人との交流がなくなるということ以外にも問題が発生します。ごみの収集場所のような、村人共有の施設や場所の利用も制限されるため、普段の生活にも支障をきたすのです。

「火事になったり、葬式をしなければいけなくなった時だけ手伝うが、それ以外では付き合わない」村の人間からそのように言われたと、誠人の母親は話したそうです。いわゆる「村八分」の状態です。村社会における忌まわしい因習については、こちらの記事でも紹介しています。

事件のきっかけ②丘崎誠人に対する月ヶ瀬村住民の対応

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月ヶ瀬村で育った丘崎誠人の心は、徐々に黒いもので染められていきます。事件が起こるに至った原因を紐解くにあたって、続いては、丘崎誠人に対する村の人間の態度がどのようなものであったのか、迫っていきます。

在日朝鮮人の家系であることで嫌っていた

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村の人間は、丘崎誠人の両親に朝鮮の血が流れているというだけで、侮蔑した態度をとっていました。「朝鮮が!」と罵倒する人間もいたということです。丘崎家が農家でなかったことや、区入りを果たしていなかったことも相まって、村人は彼や彼の家族を「よそ者」扱いします。これは、一家が村で暮らし始めて30年経っても変わりませんでした。

公民館の火災の際に丘崎誠人が犯人と疑う

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丘崎誠人が小学三年の時、集落の公民館が全焼するという大きな火事がありました。この時、丘崎と彼の姉が火遊びをしていたという目撃証言と、「誠人、逃げ!」という声を聞いたという村人の話しから、丘崎が放火犯であると疑われます。結果的に、この件は「管理の不手際」ということで決着しました。

しかし、この火事以降、丘崎に対する風当たりは強くなります。親たちは、彼と遊ばないよう自分の子供にに言い聞かせ、また、何か事件が起こるたび、真っ先に丘崎の仕業と疑われるようになります。

理不尽な事の押し付けも

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丘崎家が村八分の憂き目にあっているのは、区入りしていないからです。にも関わらず、区への負担金は支払うよう求められたり、労働奉仕への参加も義務として強制させられたとのことです。彼らは、これらを果たしても、集会などの村の運営に関わることには、参加させてはもらえません。

月ヶ瀬村女子中学生誘拐殺人事件の動機は?村八分?

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丘崎誠人が殺人犯となり、一人の少女が命を奪われてしまった、その原因は、彼が25年間の人生の内に抱え込んだ重たいものと、被害者の少女の些細な行動にありました。あの日、丘崎が人の心を失った理由をまとめます。

幼い頃からいじめられて育ってきた

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出自や家庭の問題、そして村の古い慣習がもとで、丘崎の生まれ育った環境は、あらゆる面で劣悪でした。彼は周りの大人から、白い目で見られ、悪口を言われ、あらぬ疑いをかけられながら、子供時代を過ごしました。

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