【月ヶ瀬村女子中学生殺人事件】差別や村八分がきっかけとなった悲しき事件

そして事件の日、彼の中で溜まりに溜まった鬱憤が爆発しました。丘崎は顔見知りだった少女に親切心から声をかけます。しかし、それに対する彼女の反応は、予想外に冷淡なものでした。少女に無視されたことへのショックと、村人に対する積年の憎しみが重なり、少女を傷つけてやろうという衝動が彼を突き動かしたのです。

丘崎誠人のその後

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逮捕された丘崎は、殺人鬼として大々的にニュースで取り上げられます。マスコミにかみつく彼の姿は、連日テレビに映されました。その後の裁判、そして、彼の最期はいかなるものだったか。月ヶ瀬村の事件の結末を見ていきます。

裁判では上告せず無期懲役確定

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裁判によって、村人による差別や村八分の実体、それによる丘崎の過酷な生い立ちが明らかになりました。しかし、それらは結局、何の罪もない少女を殺めたことに対する、情状酌量の理由にはなりませんでした。2000年6月14日、大阪高裁において、彼は検察の求刑通り、無期懲役の判決を受けます。

そして、罪を認めて以降、決して弁解や責任転嫁をしてこなかった丘崎は、上告を勧める弁護団に反して、訴えを取り下げ、刑が確定しました。

塀の中で自殺

2001年9月4日、大分刑務所にて刑に服していた丘崎誠人は自殺を図ります。自分のシャツを独房の窓にかけ、首を吊っているところを刑務官に発見されたのです。意識不明のまま病院に運ばれましたが、それから4日後に死亡が確認されました。遺書はなかったそうです。

村八分はいまだにある!?田舎暮らしにひそむ闇

事件の背景にあった悲惨な差別や村八分は、月ヶ瀬村にしかない特殊なケースでありません。田舎や田舎暮らしの良さが語られ、地方がIターンやUターンを推進する一方で、移住者が住民のコミュニティから排除されたり、格下に扱われるというトラブルは各地で起こっているのです。このような現代に残る村八分の事例を紹介します。

ゴミ収集所を使わせない

山梨県のとある集落では、東京から移住してきた夫婦がゴミ収集所を使わせてもらえないというトラブルが起こりました。夫婦は引っ越してきた際、役所で自治体のルールを詳しく確認し、規定通り有料のゴミ袋を購入しました。しかし、いざゴミを出そうとすると、住民から「組に入らないと、収集場所は使えない」と注意されます。

それならば組に入らせてくださいと頼むと、「よそ者は組に入れない」と断られるのです。夫婦は役場に相談します。ところが、役場の人間もその組の人間であったため、まともな対応をしてもらえなかったと言います。

自治会費は払わせるが参加はさせない

奈良県天理市のある地域に移住してきた夫婦は、1992年から2012年までの間、1万数千円の自治会費を支払い続けていました。ところが、自治会はこの夫婦を地域の集会や祭りに参加させず、市の広報誌や回覧板も届けようとはしませんでした。この地域に昔から住んでいる神社の氏子ではないという理由でです。

夫婦は自治会費を払うのをやめました。その後、夫婦の母親が亡くなり、自宅で葬儀が行われた際、周辺の住民は誰一人参列してくれなかったとのことです。

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