吉展ちゃん事件の全貌|警察がミス?死刑囚・小原保の生い立ちや自白の記録

1967年10月13日、小原保の死刑が確定

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結局、判決が覆ることはなく、小原の死刑が確定します。判決時は落ち着いていた小原ですが、刑の執行日が近づくにつれ、彼の素行は荒れていきました。69年6月、教戒師で日蓮宗の僧侶、山田潮透師が、心のよりどころとして短歌を勧めます。

それ以来、小原は短歌に打ち込み、歌人としての才能に目覚め、彼のペンネーム『福島誠一』の名は、次第に世間に知られるまでになりました。そして、刑の確定から4年後の71年12月、死刑が執行されました。

吉展ちゃん事件、関係者のその後

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この事件は、殺された吉展ちゃんはもちろんのこと、数多くの人間が巻き込まれた出来事であったと言えます。特に被害者の家族や、犯人の家族の心には、判決が下ったのちも大きな傷を残しました。

被害者・村越吉展ちゃんの母親

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吉展ちゃんの悲報が伝えられた日、アサヒ芸能の記者により母親の豊子さんにインタビューが行われました。彼女は「なんでもいいから生きていてほしかった」と言って、泣き崩れてしまったと言います。

犯人・小原保の兄と母親

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一方、福島県の小原の実家では、彼の実兄がやけ酒をあおっていました。「弟のしたことはとても人間のできることではない」と彼は言ったそうです。小原保の母親は、後に被害者の家族へあてた手紙で、次のように綴りました。

保よ。地獄へ行け。わしも一緒に行ってやるから。それで、わしも村越様と、世間の人にお詫びをしよう。どうか皆様、許してくださいとは言いません。ただこのお詫びを聞き届けてくださいまし。(出典:堀 隆次『一万三千人の容疑者―吉展ちゃん事件・捜査の記録』)

吉展ちゃん事件はテレビドラマにもなった

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劇的な顛末をたどったこの事件は、文学、ドラマ、映画など、多くの分野で題材として取り上げられました。とりわけ、ジャーナリストでノンフィクション作家の本田靖春が著した『誘拐』は反響が大きく、後の1979年『戦後最大の誘拐|吉展ちゃん事件』と題したドラマとなり、テレビ朝日にて放送されました。

犯人・小原保役は泉谷しげる

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このドラマにおいて、犯人である小原保の役を演じたのが泉谷しげるです。凶悪ながらも、人間の情や業を孕んだその怪演は、高い評価を集めました。もともとフォークソング歌手だった泉谷さんが現在も活躍中の俳優業で注目されるようになったのは、この作品からであったと言われています。

吉展ちゃん事件を教訓に!特殊事件捜査係(SIT)新設

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吉展ちゃん事件は、日本の司法、治安維持の分野において、大きな課題を浮き彫りにさせる出来事でした。それ故に、報道協定をはじめとして、この事件を機に改善されたり、新しく取り入れられたものがあります。一つは刑法に身代金目的誘拐罪が加えられたことです。被害者が殺害されていない場合でも、厳罰が与えられます。

二つ目は警察による逆探知が認められうようになったこと。そして、三つ目に上げられるのが、「特殊事件捜査係」通称「SIT」が設置されたことです。

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