日生学園の現在は?スパルタ指導や校則、偏差値はどうなった?過去の事件も

日本一厳しいということですが、そのスパルタ指導の内容が気になるところです。厳しくて怖いと聞くと余計に見たくなります。一般の高校生が耐えられる厳しさなのでしょうか。

日生学園の学園長は青田強

創立者の青田強氏は、もう亡くなられていますが、1965年当時、今と同様に他の高校に入れない不登校生はもちろん、手に負えない不良生徒なども受け入れ、「一流の人間を育てる」と語った青田強氏は生徒の親から絶大な信頼がありました。

生徒の受ける印象も様々で、厳しくて最低だと言う人もいれば、敬愛と感謝しかない、あの厳しさは叱咤激励だったんだと言う人もいます。学校に入ったことで自分の子供が良くなったと青田強氏を信頼する親が多くいました。現在、グランドの一番高いところに青田強氏の銅像が立てられています。そんな厳しい指導だったとしても、相当なカリスマ性があることが分かります。

名前を書けば合格?偏差値は39

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当時は校内暴力などが多く問題視された時代だったので、問題児でも入学できる学校として偏差値を下げていました。入試の問題も小学生レベルでしたが、その解答を書いたとしても、名前さえ書いていれば合格でき、入学してから厳しく指導していました。

当時の日生学園にも女子がいた

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女子生徒は2割程いました。女子生徒も寮に住んで男子生徒と同様に生活を送っていましたが、男子寮と女子寮は分かれていて、男女で会うことはありませんでした。男子同様にスパルタ指導をされていたと言われています。

日生学園が日本一のスパルタ指導といわれた理由

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当時の日生学園の寮では、理事長の青田強氏考案の心行という精神鍛錬が行われていました。心行とは、朝一心に床を磨き、雑念を取り、集中心を養うとこで、本物の人間になれるとし、精一杯「ワッショイ」と大声を出し、雑巾で10分間床を磨くことで汗が出て、心がすっと空になり無心になれるというものです。

正式名は全力心行と言い、相撲の四股立ちのように足を広げ床を磨きます。その場で磨くやり方と、前進しながら磨くやり方、磨きながら反対方向へ向くやり方の3種類あります。

刑務所とよばれる全寮制、朝は4時起き

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日生学園の寮では、朝は4時に起き、水曜日と日曜日は7時起きです。「全力時代」と呼ばれている通り、何でも全力で行います。まず、朝起きたら全力で走って整列し、心行を行います。床磨きのほかに、素手でトイレを磨きます。その姿はまさしく、刑務所並みです。

その他には雨が降っても雪が降っても傘の使用を禁止することや、40度以上の高熱が出ても病院には連れて行ってもらえず、市販薬を渡されるなど、行きすぎた指導が行われていました。

過去に起こった、刑務所実験を詳しく知りたい方はこちら

お菓子・雑誌は一切持ち込み禁止

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娯楽を禁止していた日生学園では、寮へのお菓子や雑誌などの持ち込みを禁止していました。当時の生徒達は、寮と学校の往復のみで、外の世界の出来事が分かりませんでした。唯一、月1回の五厘刈りをするときに、下に敷く新聞を見て情報を得ていたそうです。

校則が厳しすぎて密輸が横行した

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実家に帰省した際や、親からの送られてくる荷物にコッソリお菓子や雑誌を入れてもらい、何とか寮への持ち込みを行う生徒もいました。

教師による荷物チェックを潜り抜け、寮内へ持ち込むため鞄などを工夫し、物を忍ばしていました。これを密輸すると呼び、生徒の中で広まり行っていました。持ち込みが見つかった場合は体罰が待っています。

修学旅行・娯楽行事は一切なし

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当時の他の高校では、修学旅行は学校行事の中の教育行事の1つとして位置づけられていましたが、娯楽を禁止していた日生学園では修学旅行はありませんでした。もちろん、学校で行う行事の学園祭や体育祭なども一切ありませんでした。

話ただけで退学処分!男女交際一切禁止!

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男子生徒と女子生徒が会えるのは、学校の授業の間の休み時間の10分だけでした。それ以外で一緒にいるところを見つかった場合は、退学処分が待っていました。異性に興味を持つ年頃に会話もしてはいけないと言うのは厳しさが感じられます。

先輩の命令は全部YES!校内の上下関係

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今では考えられないことに、寮の相部屋が30人いるということです。先輩もその同じ部屋にいるとなると、先輩から命令が下されるのは当然です。部屋の中の権力者(先輩)がいましたので、命令は聞くのが当たり前、聞けなければ消灯後の暴力は当たり前でした。

挨拶がないだけで「しばき」という暴力も

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一年生は挨拶しなかっただけで、消灯後、しばきという暴力を先輩から受けていました。しばきには5コースあり、軽めの30分コース、1時間コース、3時間コース。5時間コース、最悪の朝までコースなどがありました。

コースの内容は正座して説教、ビンタ、説教、体を殴る、ビンタなど、永遠に続く暴力でした。三年生は神様、二年生は一般人、一年生は奴隷といった感じです。先生からは、しごきもあり、心行を数時間させられたり、同じ部屋の生徒は連帯責任として、楽しみにしている帰省の短縮や、帰省無しなど、厳しい指導を受けていました。

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