日生学園の現在は?スパルタ指導や校則、偏差値はどうなった?過去の事件も

日常的に教師は平気で生徒に暴力をふるっていました。ある日、全校生徒が参加する朝の国旗掲揚の際、教頭がある生徒を叱っているときに、ベルトのバックル部分でその生徒の頭を殴り血が流れました。

隣にいた女生徒がハンカチを出し血を拭おうとしたのですが、それを制し、説教を続けたという有名なエピソードがあるほど、暴力や体罰がありました。

内部告発で日生学園事件が発覚!日生学園の対応は?

1965年から始まった日生学園で行われていたスパルタ指導という名の暴力や体罰は20年間は良いものされていました。問題児が日生学園に入ったことにより、更生されていく姿を見て親などは絶大な信頼をしていたからです。

1985年教師からの内部告発

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しかし、行き過ぎたスパルタ指導、厳しい校則により問題が多くあった日生学園に耐えられなくなった教師が20年間の沈黙を破り1985年に内部告発しました。それをマスコミが報道し、全国に知れ渡りました。

娯楽のない寮生活、暴力と脱走が多発した

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先輩たちは娯楽のない寮生活を後輩への暴力でストレスを発散させていました。顔を殴ると教師にバレてしまうので、正座をさせて説教をし、体を殴る、正座している足の下に棒を置く、針が刺さるようにホッチキスで殴るなど、過激な暴力が日常的に行われていました。

厳しすぎる寮生活、先輩からの暴力に嫌気がさし、脱走する生徒が多くいました。消灯後の夜中に脱走を試みますが、教師に見つかり、車で数台付近の捜索が始まります。捕まってしまえば、寮に連れ戻され、今度は教師から体罰を受けます。

自殺者や死亡事故まで発展していった

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暴力が嫌で脱走しても引き戻されて体罰を受けるという堂々巡りが行われる中、自殺者が絶えませんでした。死んでしまわない限り続く悪夢だったのでしょう。また、死亡事故も起こっていますが、日生学園は原因不明として処理しています。

学校側は改善しようとしなかった

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教師の内部告発により以前の自殺者や死亡事故のことが報道されましたが、学校側は原因を究明するどころか原因を隠蔽し、暴力による死亡事故だということは分かりきっていることなのに改善する動きもありませんでした。

世間で大騒ぎに!三重県から行政指導が入った

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脱走者、退学者、死亡者がいる日生学園のことは世間で騒がれるようになり、国会議員が調査を行ない、三重県から学校へ行政指導が入ることになります。日生学園はそうとう厳しい指導を受け、創立して約20年の時を経て、暴力のない日生学園が作られることになります。

噂される不祥事や事件

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教師の内部告発の内容は、生徒や教師による暴力事件や、生徒の自殺や不審死があったということ、行き過ぎたスパルタ指導と暴力に耐えかね脱走する生徒がいたということでした。でも告発後にも、まだ事件は起こっていたのです。

柔道部員の不審死

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2009年には、柔道部員の不審死がありました。柔道部に入ったばかりの生徒で、後ろ受け身の練習をしていたが、頭を強打し、具合が悪いと言ってトイレで嘔吐し意識不明になり、急性硬膜下血腫で死亡しました。顧問の教師は練習には立ち会っておらず、詳細は分かっていません。

野球部員の不祥事

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2010年には、野球部員の喫煙や暴力事件などの不祥事があり、警告処分を受けています。野球部の不祥事は他の高校でもあることですが、暴力事件があったと聞くと、やはり日生学園と暴力が切り離せなくなります。

日生学園と戸塚ヨットスクール

スパルタ指導や体罰や暴力と聞くと思い浮かべるのは、戸塚ヨットスクールではないでしょうか。1983年に発覚した戸塚ヨットスクール事件も世間で大騒ぎになりました。ではどのような事件だったのでしょうか。

戸塚ヨットスクールとは

戸塚ヨットスクールは、1976年、愛知県に戸塚宏氏によりヨットの技術を教える教室として設立しましました。日生学園同様、当時は校内暴力などが多く問題視された時代でしたので、戸塚ヨットスクールも問題児を受け入れていました。

青田強氏の独自の教育方針のように、戸塚宏氏にも独自のものがあり、それは「脳幹論」といって、青少年の問題は、脳幹の機能低下によって起こるとし、アトピーや喘息、登校拒否、引きこもりや癌までも脳幹を鍛えれば治ると説くものでした。ヨットやウィンドサーフィンなど自然を相手にしていれば脳幹が鍛えられるといって厳しく教育を行っていました。

死者や行方不明者

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1983年に発覚した戸塚ヨットスクール事件は死者や行方不明者がスクールから出ていたというものでした。死者や行方不明者が出た理由は体罰によるものでした。

教師の体罰による死亡、腹痛を訴えた生徒を暴行し訓練させ死亡、体罰が嫌で訓練中の船から海へ飛び込み行方不明、特別合宿の訓練中のヨットの上から教師が生徒を何度も海に落とし、その後食事を食べなくなって死亡したなどあります。

日生学園と戸塚ヨットスクールの比較

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同じ時代のことなので、内容は類似するものが多く見られます。問題児を受け入れる学校、そして問題児を更生させるために行われる体罰や暴力などです。しかし、大きく違うところは、戸塚ヨットスクールは先輩からではなく、教師による体罰だったというところです。

事件が発覚し裁判があり、戸塚宏氏や元コーチ合わせて9人は実刑判決となり刑務所に入れられました。

戸塚ヨットスクール事件のその後

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2006年には戸塚宏氏は刑務所を出所しましたが、その後、体罰の方針は変わらず、自殺者が出ました。うつ病の生徒が水死体で発見されたり、生徒の飛び降り自殺が数件ありました。それでもスクールに子供を預ける親が絶えずいるということは、スクールに入って良かったと思える生徒もいたということのようです。

ある番組に戸塚宏氏が出演し、「体罰は生徒の利益になる」と語り、体罰を受けて生徒が死んでいるのに何を言っているんだと批判を買っています。

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