日生学園の現在は?スパルタ指導や校則、偏差値はどうなった?過去の事件も

現在でも戸塚ヨットスクールはヨット教室の経営として存在しています。代表者は変わらず戸塚宏氏です。教育や更生方針に賛同し、死亡事故発生によりスクールが誹謗中傷を受けたとして戸塚ヨットスクールを支援する会があり、会長に石原慎太郎さんがいます。

日生学園出身の有名人とは?

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日生学園の卒業生には有名人もいます。浜田雅功さんは、日生学園の色々な仰天エピソードを各種番組で語っています。お笑い芸人の今田耕司さんも仰天エピソードを語っていますが、途中で退学しています。

その他の有名人は、スポーツ界には、元プロ野球選手の鮫島秀旗さん、Jリーガーの千葉和彦さんがいます。系列校卒業に元フジテレビアナウンサーの長谷川豊さん、ロックバンドSOPHIAのドラムス赤松芳朋さんもいます。

日生学園を卒業した浜田雅功さん

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入学の訳を浜田雅功さんは、ある番組で語っていました。約束をしていた友人の家に行くとドアに鍵がかかっていて友人が出てこないので、ポストをドライバーで外し、ノコギリで木製のドアを切ったそうです。

それを知り、浜田雅功さんの父親は、我が子を普通の高校に通わせてはいけないと思い、中学校の先生の推薦で、日生学園にお世話になろうと入学させたそうです。当時、問題を起こす子供は日生学園に行かされていたことが分かります。

浜ちゃんが語った日生学園の世界

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色々なエピソードをテレビ番組で語っている浜田雅功さん。日生学園での3年間は忘れようにも忘れないほど強烈な体験だったと語っています。ある番組では当時一番怖かった教師が登場し、副学寮長をしていた浜田雅功さんのことを頑張っていたと褒めています。その時の浜田雅功さんの顔が強ばっているのを見ると、スパルタ指導の厳しさが感じられます。

日生学園の全力

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日生学園には、全力体操というものがあったり、授業中に手を挙げる時、拳を握りピシッと全力で上に手を伸ばしていました。それは軍隊を思わせる行動です。心行についても語っていますが、実際の映像は衝撃的過ぎるとしてマンガで紹介しています。ですが、実際の映像とほとんど変わらず、生徒は全力で心行を行っていて、熱がこもっていて、マンガの映像も実際の映像も湯気で曇っています。

キツいこと

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ある日、朝から部活が終わる夕方までコンクリートに正座をさせられ、仲間と一緒に号泣したほど、キツかったとも語っています。卒業の3か月前には6時間心行を行ったことも語っていますが、そうとうキツかったと思われます。

甘いもの

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寮では甘いものが出てくることがなく、甘いものは貴重でした。でも、女子寮では、どうやら甘いお菓子が出ていたようで、浜田雅功さんと同部屋にいた学校の番長のところへ、その女子寮の甘いお菓子が献上されていました。

その甘いお菓子を番長が少しづつ、同部屋の浜田雅功さんたちに分け与えてくれていたとも語っています。

浜ちゃんの帰省した時の話

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浜田雅功さんは、帰省した際、歯磨き粉が3色になっていてびっくりします。そこでアクアフレッシュを購入し、寮生に渡そうと持参すると、他の寮生も、みんなに渡そうと沢山持参していたと言っています。それだけ、世間の情報が入らない閉ざされた空間だったのです。

脱走して退学になった今田耕司さん

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夜中にトイレの窓から脱走した今田耕司さんは厳しさに耐えられなかったようです。しかし、脱走が見つかってしまい戻されてしまいます。生徒が脱走すると警報が鳴り、教師が車で探しに行きます。探している間、他の同級生は正座させられるそうです。

しかし、今田耕司さんは諦めず、再度脱走に挑戦します。最寄り駅から電車に乗ると地元の人に通報されるので、山を2つ超えて隣の駅から電車に乗り実家へ帰りました。電車代は前に帰省した時に1000円札をパンツの中に隠して持参したものでした。

「学校に戻ります」と言うまで殴られた

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2回目の脱走に成功しましたが、実家へ学校から、辞める手続きをしに学校に来るよう言われました。手続きをするために学校へ行くと、学校に戻りますと言うまで教師に殴られたそうです。

でも、やはり耐え切れず、冬休みに帰省したきっかけで、退学できることになりました。

今田耕司さんの甘いもの

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「角砂糖1つ持っていたらクラスをシメられた」と言うほど、甘いものが貴重だったと語る今田耕司さん。自分で持ち込むことができなかったので、親に手紙を書き、送ってもらう荷物に、いちごミルクの飴を枕の綿の中に忍ばせて密輸してもらい、普段お世話になっている人に配ったそうです。

日生学園の卒業生の声

日生学園は厳しかったと語る卒業生がほとんどです。あの辛い体験を共に生き抜いた”同士”といい、想い出を共有する人もいますが、卒業後にまで影響があって、大変な思いをした人もいます。それはどんなことなのでしょうか。

卒業生の声①:精神をズタズタにされた

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中学校は不登校だったため、日生学園へ入学し、期待を胸に高校生活で立ち直るぞと思ったけれど、結局いじめにあい精神をズタズタにされたと言う卒業生もいます。ただでさえ、厳しい校則にいじめまであっていたと思うと、当時の大変さが伝わります。

卒業生の声②:うつ病になり社会進出が困難に

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日生学園を卒業した後、うつ病や不眠症などにかかり、社会進出が困難になった卒業生もいます。現在では、仕事をすることができていますが、日生学園でのことを振り返ると、喪失感しかないと語っています。

日生学園には生徒を救う学校になってほしい

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行き過ぎた厳しい指導で、体罰や暴力などが日常的に行われていた日生学園ですが、生徒がいなくなることもなく、学校も存在することは、現代でも必要な学校と言うことが言えます。

現代でも、いじめによる不登校や引きこもりの生徒がいることは事実で、それを受け入れしてくれる学校は必要なことです。日生学園は、今後もそのような生徒を救う学校となって、そのような生徒の希望の学校となっていくことでしょう。

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