女郎屋とは?その歴史や儚くも魅力的な女郎たちの生涯を徹底解説

若い衆

待たされているお客をなだめたり、女郎が機嫌よく仕事ができるように配慮したり、大部屋の屏風をセッティングしたりと現在では夜の街のボーイのような役割をしていました。決して年齢が若い男だけが任されていたわけではないようです。

雇い人

客室の廊下を歩き、お客に時間を告げたり部屋の行灯が消えてしまわないように定期的に油を補充したりと寝ずに動き回りました。不寝番(ねずばん)とも言われていました。

芸者・幇間

宴席を盛り上げるために重要な役割をしました。吉原の裏を住みかとし呼ばれると登場して、ひょうきんに踊ったりして盛り上げます。2人1組のペアで行動し男女の関係にならないよう配慮がされました。

女郎屋にゆかりのある芸能人・桂歌丸

笑点の司会を長年務め国民を笑いに包んだ歌丸師匠。度重なる病に倒れついに天国へ笑いを届けに逝ってしまいました。そんな師匠の生い立ちにゆかりのあるのが女郎屋なのです。

桂歌丸は女郎屋で育てられた

師匠は女郎屋の長男と地主の娘との間に誕生しますが、まだ幼いころに父親が急死します。姑との仲がこじれてしまい母親が出て行ってしまい、祖母タネに育てられます。タネは女郎屋を切り盛りしていたやり手でした。

戦時中に壊れた女郎屋を立て直す

戦後にタネ自らが修復し営業を再開します。食料や物資不足の貧しい時代でも師匠はラジオを持っておりラジオから流れる落語を聞いて育ちます。たちまち夢中になったといいます。

女郎達の慰労会で落語家になることを決意

師匠が中学2年のときに、女郎たちを集めた慰労会で生の落語を聞き、感銘を受けて落語家になることを決意します。せめて中学だけは出なさいという祖母の意思から卒業と共に弟子入りをするのです。

女郎屋にゆかりのある芸能人・松田優作

昭和の名俳優の一人の松田優作氏も複雑な生い立ちをしている一人です。実家が女郎屋を営み暮らしていたのです。どんな暮らしぶりだったのでしょうか?ご紹介します。

自宅の二階を女郎屋にする

AG2016 / Pixabay

母子家庭だった幼少期は貧しい生活を強いられていました。駄菓子などの小売業を営んでいましたが家計が潤うことはなく、空いていた二階で女郎屋を営んでいたのです。

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