神の杖は恐怖の兵器!威力や特徴・実現可能か検証!最新兵器も要チェック

これはシップシェイカーとも呼ばれる船上兵器で、クレーンの先にかぎ爪を取り付け、近づいてきた敵船をひっかけてひっくり返すという大胆な構造をしています。近年ドキュメント番組で実際に作成・検証してみたところ、きちんと作動が確認されました。

他にも古代のテクノロジー関連をお知りになりたい方は次の記事をどうぞ。

ヴィマナ

こちらはインドの聖典や叙事詩が元になっていますが、空飛ぶ宮殿(あるいは寺院、戦車)と呼ばれる伝説上の兵器です。インドラの雷という神の杖によく似た破壊機能が搭載されていると伝えられています。

ヴィマナおよびインドラの雷は、「天空の城ラピュタ」のモチーフのひとつにもなっている逸話です。

はたして闘争は人間の本質なのか?

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人間はどうしたって争いが好き、法律がなければ犯罪し放題、などと誰ともなしによく言われていますが、果たしてそれは事実なのでしょうか?

原人の時代から数えても、人類は180万年前から存在しています。気の遠くなるような長い歳月、我々は殺し合いながら進化してきたのか?改めて考えてみましょう。

人間は生まれつき悪の性質?

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長年、専門家学者の間では「人間性の中核にあるのは悪意であり、その表面にかろうじて道徳と倫理を会得した」というのが共通認識でしたが、近年は否定する見解もあります。

それは心理的な理由でなく、人類のように群体で生きる動物は、協力・協調し社会性を保った方が繁殖に効率的だと考えられているからです。

有史以前の人間は同族争いをしなかった

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発掘された亡骸から記録を紐解いても、はるか昔の人類たちに戦争の痕跡はなく、それどころか他害・殺人自体がとても稀であったことが分かっています。

まだ我々が生物界の頂点でなかった、ただ生きていくだけで大変だった時代は、同族殺しなどというのは集落、ないし自分の首を絞めるようなものでした。

集団暴力は人間にとって異常事態

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やがて発展し豊かになるにつれて、精神構造や社会性が複雑化した人類は同族争いを覚えましたが、それは人類史においてほんの一部であり、そこだけを切り取って「本質」と呼んでしまうのはあまりに乱暴であるという考えがあります。

我々は争うより、手を取り合って生きてきた歳月のほうがはるかに長いのです。

「人間は暴力的」という発想が問題

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人類は利己的な目標があれば集団で同族を排斥する、それが本質だから仕方がないという発想自体が、問題であり原罪であると考える学者もいます。

我々の遺伝子には平和こそが刻み込まれていることを忘れないようにしましょう。どうせ争うなら、次のように楽しい遊びの範疇に留めておくべきでしょう。

神の杖は実在するのか?

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現在製造されているかどうかは別にして、技術的には決して不可能ではないことが分かっています。そして開発技術を持つのはアメリカだけではありません。

神の杖は各国どころか人類全体を滅亡させかねない桁外れの威力を備えた兵器です。こんな話は夢物語で終わるよう、我々は常に平和を志して均衡を保つ努力をしていかなくてはなりません。

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