長年に当たってその神主という立場を取り戻そうとあらゆる手を尽くしてきたと思われる犯人は、このときついにそれが未来永劫叶わなくなってしまったのです。そして悲惨な事件を起こすこととなってしまうのです。
2001年ごろから富岡茂永が怪文書を送りつける
事件が起きた同年に正式に神主として就任を果たした被害者の姉ですが、それまでもずっと代理としてその神社の長として経営していきました。その間の今から18年前である2001年ごろから犯人は神社や姉に何度か怪文書を送り付けているのです。
そこからいろいろな嫌がらせが続けられており、2006年には脅迫するように犯人が死んでも怨霊となり呪い続けて、永遠にたたり続けるといった内容の手紙を送り、それが原因で一度犯人は逮捕されているのです。このように事件が起きるはるか前からトラブルが続いていたのです。
富岡茂永は2800通もの手紙を神社関係者に郵送していた
被害者の姉の誹謗中傷や神社自体の事を色々な文面で書かれた、なんと2800通あまりもの手紙を神社の関係者や神社の事務組織に郵送していたそうなのです。この数からみても犯人の私怨は相当なものだったことが分かります。
このたくさんの手紙も、被害者の姉が何度も申請したのにもかかわらず、正式に神主と認められなかった理由になるかはわかっていません。ですがこういった内部事情を把握していた協会が、被害者の姉の事を簡単に神主として認めることができないのは、わかるような気がしますよね。
富岡長子のブログで中傷文は公開されている
弟から執拗なまでの中傷文や嫌がらせは長年に続いたわけですが、その間被害者の姉は自身のブログ内でその文面を公開されているのです。これは戒めや公に公開するといった狙いがあったためでしょうが、この行為もまた犯人の反感を買ってしまったのでしょう。
ついに富岡八幡宮事件が発生
ここまでの記事では被害者の姉と犯人の弟の生い立ちや、関係性、いきさつについてまとめていきました。神社に携わる一族、そしてその神社の長としての立場やお金と権力が大きな要因であり、それを巡っての実の兄妹間でのトラブルが発端となったことは分かっていただけたのではないでしょうか?
そうしていよいよ遂に日本を揺るがす凄惨な事件が都内で発生してしまうのです。ここからは実際に起きた日のことについて時系列に沿ってまとめていきます。是非その場面をイメージしながら読んでみてください。
富岡八幡宮事件の当日の動き
こちらの見出しでは事件当日の動きを説明していきます。この日どんな犯行が行われたのか、その時被害者や犯人はどうしていたのか、その時の様子をなるべく詳細にまとめて皆さんにご紹介していきます。
富岡長子の帰宅を狙った計画的な犯行
突然の怒りが殺意と変わってしまった衝動的な犯行もから起きてしまう殺人事件もありますが、これはその反対で計画的な犯行と言われているのです。なぜなら犯人の弟は、被害者の姉がその時間帯に車で帰ってくることをあらかじめ把握していたのです。
その帰ってきた瞬間をまさしく襲撃したのです。ひとえに殺人という行為は非人道的行為であり大変重い罪なのでありますが、衝動的な犯行よりも計画的な犯行のほうが悪質であるとされているのです。このことも恨みが溜まりに溜まっていることが伺えるのではないでしょうか?
富岡長子は逃走するも殺害される
一度はその狂気に満ち日本刀の凶器を振るった実の弟から逃走を試みるも、最後には首元を切られてしまい殺害されてしまうのです。この時はよほど憎しみや私怨が大きかったのか何度も串刺しにしたそうです。
富岡茂永の妻は運転手を襲った
3人目の妻である真理子もこの事件に加担していたのです。彼女の動機は長年による親族からのいじめや誹謗中傷。そして夫である犯人の不遇によるものと考えられます。真理子は被害者の姉の専属ドライバーをナイフで襲ったのです。怪我を負ったものの、殺されることはなく「お前だけは許してやる」そう言い放ち、ドライバーを逃がしたそうです。
富岡長子を殺害後、妻を殺害し富岡茂永自殺
その時の神主だった実の姉を殺害した後、間もなく自分の最愛の妻である真理子をナイフを刺して殺害したのち、自らもそのまま自害しました。この時もともと二人で自殺を計画していたのか、妻が殺されることは予期されていなかったのかはわかっていません。最期には憎しみや私怨が伝わってくる何枚もの手紙を残したのです。
富岡八幡宮事件のその後は?
凄惨な事件はいよいよ終焉を迎えたわけなのですが、その後の神社や関係者はどうなっていったのでしょうか?気になるその影響や後継ぎなどのことについてこちらの見出しで解説していきます。是非その後の事についても読んでみてください。
丸山聡一・権宮司が宮司代務者に就任
もともと神主を務めていた兄も妹も亡くなってしまったため、以前から参謀として務めていた丸山さんと言う方が代理で神主に就任することになったのです。令和となった2019年現在も変わらずその立場で就任しているそうです。
富岡八幡宮事件が起こる前は15万人が参拝にきた
事件が起きる前は年明けになると海外の観光客も多く足を運び、約15万人もあまりの参拝者が訪れたそうです。その数はかなり大規模なもので日本有数の立派な神社であることが伺えるのです。読者の皆さんの中には一度訪れたことがある方がいらっしゃるのではないでしょうか?