リンゼイ・アン・ホーカー殺害事件の真相|市橋達也が残した爪痕

逮捕当日の11月10日、この日は神戸発・沖縄行きの航は欠航でした。

別航路の便を尋ねた市橋に、同日に乗船可能な大阪南港発・沖縄行き便を職員が案内。市橋は大阪港へ向かいます。その際の市橋の動向を怪しく見た職員は警察に通報、更に大阪南港の職員へと連絡。市橋が大阪南港へ辿り着く前に先回りしていた警官の手により身柄を確保、2年7ヵ月に及ぶ逃亡生活に幕を降ろしました。

【リンゼイ・アン・ホーカー殺害事件】市橋達也の生い立ちと人物像

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奇怪な言動と残忍な犯行。逃亡の為に自らの手で顔の整形を行い、無人島でのサバイバル生活を行うなど理解しがたい行動が目立つ市橋達也。彼がここまでの事件を起こした背景をより深く考察するために、彼の家庭環境や人となり、またその生い立ちについてをご紹介します。

家族構成

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市橋達也の家族構成は父親、母親、姉、達也の4人家族。両親の家系は共に代々医療関係に従事してきた言わばエリート一家でした。経済的にも比較的裕福な、郊外の一軒家に住むどこにでもある家族環境で育った市橋達也の狂気の片鱗は、この幸せそうな家庭からは感じ取る事は出来ません。

両親は医師と歯科医師

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市橋の父親は愛知県内の病院で外科医、母親の実家は代々歯科医師であり母親もまた歯医者でした。市橋本人も両親と同じ道を進むべく医学部を志していましたが、努力が振るわず4浪したのち千葉大学園芸学部緑地環境学科へ入学しました。

生い立ち

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岐阜県羽島市の住宅街に立つ一軒家に家族4人で暮らし、両親共に医療従事者という事から中流階級以上の裕福な暮らしを送っていた市橋家。俗に言うお坊ちゃまとして育てられた市橋達也は幼い頃からセンシティブな性格であったと母親は証言しています。

また、絵を描く趣味があったというエピソードも残されており、リンゼイさん宅を初めて訪れた際に即興で似顔絵をプレゼントしたという経緯から大人になってからも変わらずに趣味の絵を続けていたのだろうという事が伺えます。

大学進学とその後

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千葉大学で主に学んだのは庭園学、公園デザイン学、造園空間の設計でした。卒業後の進路は大学と同じ分野の海外の大学院への留学を考えていました。

事件当時の市橋は28歳、職にはついておらず月15万の仕送りを両親から受け取っており、住んでいたマンションは両親が所有する建物で家賃などは支払う必要がありませんでした。

留学準備期間として独学で英語を学びながら大学卒業後の時間を過ごしていた市橋でしたが、幾度も英語の試験に落ち続ける市橋に父親が落胆し、事件の数日前には仕送りの打切りを宣告されていました。

【リンゼイ・アン・ホーカー殺害事件】裁判のゆくえ

相次ぐ通報が寄せられた結果の急展開により、無事に逮捕された市橋達也。

身柄が確保された翌12月2日、死体遺棄罪で起訴され、更には事件現場に残された証拠から市橋のDNAも検出され強姦致死容疑で再逮捕。送検後は殺人罪でも追起訴されました。

殺人罪・強姦致死罪・死体遺棄罪で起訴

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2011年7月、リンゼイさんの家族が見守る中開かれた初公判では検察側は市橋達也には強い殺意があったとして無期懲役を求刑、しかし市橋側は殺意はなく強姦致死罪・死体遺棄罪のみに該当すると意見が対立しました。

無期懲役の判決

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公判の中で市橋はリンゼイさんに対する蘇生処置を行ったと発言していますが、処置を認められる証拠がなく、リンゼイさんの遺族側は死刑を求刑します。しかし、市橋にこれまで前科が無いこと、更に計画性のない犯行であり今後更生の余地があるとの最終決断が下され、無期懲役の判決が確定しました。

翌8月、市橋は無期懲役を不服として裁判所に控訴。翌年3月には控訴審初公判が開廷されましたが、市橋に反省に色が見えないとの理由で棄却、刑が確定した市橋は現在も長野刑務所に服役中です。

リンゼイ・アン・ホーカー殺害事件が市橋達也の家族に及ぼした影響

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世間を騒がせたリンゼイさん殺害事件。事件の当事者である市橋達也は現在も塀の内側で服役していますが、人々を震撼させたこの事件は外の世界で生活している彼自身の家族にも暗い影を落としました。

両親は仕事を辞めざるを得なくなる

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名古屋市内で外科医師として勤務していた市橋の父親はこの事件を受け、当事働いていた病院を退職しています。一時期は、現在も医師を続けているのではという噂や病死説、自殺説などが飛び交っていましたが、母親の証言によると現在は仕事はしておらず、自宅にこもるような生活を送っているそうです。

母親もまた当時の職は辞めており、父親と共に岐阜の一軒家で生活しています。事件当時は市橋の実家にもマスコミが大勢押しかけ、両親共に憔悴していた様子でした。

姉は離婚することに

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市橋達也の姉は既婚者で両親と同じく医療関係者であったとされていますが、この事件を受けて離婚されたそうです。両親とは異なりマスメディアへの対応をした記録が残っていないため、彼女については殆どの事が不明のままです。

リンゼイ・アン・ホーカーさん殺害事件がその家族に残した爪痕

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強姦、殺害、遺体遺棄そのどれか一つとっても、自分の大切な人が被害の当事者となったのであれば家族にとってどれほどの精神的苦痛をもたらすのか筆舌に尽くしがたい思いです。そんな失意の中、リンゼイさんの家族は娘の無念を晴らすべくあらゆる活動に尽力しました。

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