【ヒルコ】障害を持ち生まれ、恵比寿神となった神の神話、解釈、考察など

まず挙げられるのは、『古事記』における「水蛭子」という当て方です。この場合には、ヒルコは文字通り「蛭のような骨なし子」として生まれた、と解釈できます。これは江戸時代の国学者・本居宣長の著した『古事記伝』にも見られるもので、今日においても有力な説です。

ヒルコを漢字で表した場合の解釈②昼子、日る子の場合

pixel2013 / Pixabay

二つ目の説は、ヒルコとは「昼子」ないし「日る子」と書くという説。この説によれば、ヒルコは太陽神としての性質を持っており、尊いがために海に流された、ということになっています。これは「貴種流離譚」、つまり尊い存在(貴種)が放浪の生活を送る、という神話の類型にも当てはまります。

ヒルコのエピソードの考察

3dman_eu / Pixabay

このように、ヒルコを巡る解釈は多岐に渡っていますが、仮に定説に従い、ヒルコがいわゆる「奇形児」であったとして、なぜそのような子どもが生まれたというエピソードが、日本神話のなかに存在しているのでしょうか。この謎に関する、いくつかの考察をご紹介しましょう。

ヒルコのエピソードの考察①縄文から弥生への移り変わりの象徴

grafikacesky / Pixabay

第一に、ヒルコのエピソードは、縄文から弥生への移り変わりを象徴的にあらわしたものなのではないか、とする考え。古代=縄文時代の日本はゆるやかな女系社会でしたが、弥生時代になると中国の律令制度の影響を受けた男系社会になり、社会構造が大きく変化していきました。

ヒルコのエピソードの考察②捨てる神あれば拾う神ありという教訓

Myriams-Fotos / Pixabay

第二に、親であるイザナギ・イザナミ両神に捨てられたヒルコが、人びとに救われ、ついにはエビス神となるという一連の伝承が、全体として文字通り「捨てる神あれば拾う神あり」という教訓を表わすものであるとする考え。

障害を持って生まれ、親により追放されたヒルコですが、のちに長じて「恵比寿様」となり、今なお人びとに崇敬されている……。そう考えれば、たとえ不遇な生い立ちを持っていても、最後には人に愛される存在となることができる、という素晴らしいメッセージを、ヒルコのエピソードは発してくれているのかもしれません。

ヒルコのエピソードの考察③福子伝説の象徴

sathyatripodi / Pixabay

第三に、ヒルコの存在は、古来より日本各地に残る「福子伝説」という民間伝承と関係しているのではないか、という考え。「福子伝説」とは、ある家に障害を持った子が生まれると、かえってその家が栄える、という言い伝えのこと。障害を持った子が困らないようにと、一家の団結力が高まるため、ともされています。

ヒルコの祭られている神社。

DeltaWorks / Pixabay

では次に、実際にヒルコを祀っている神社について、いくつか具体的な例を見てみることとします。前述のように、ヒルコないしエビス神を祀る神社は、日本各地に存在しています。その中でも、特に有名な神社をピックアップして、ご紹介いたしましょう。

ヒルコを祀る神社①西宮神社

mafutto / Pixabay

兵庫県西宮市に所在する、西宮神社。全国に3500ある「えびす神社」の総本社とされ、地元では「西宮のえべっさん」と呼ばれて、親しまれています。本殿は旧国宝に指定されており、昭和20年の空襲で焼失してしまいましたが、その後復元され、ほぼ往時のままの姿となっています。

毎年1月9日、10日、11日にかけて行われる「十日えびす大祭」によってもよく知られており、特に1月10日に行われる「福男選び」が全国的に有名です。これは午前6時に神社の表大門が開かれると同時に、男たちが230メートル先の本殿まで一斉に「走り参り」をし、一着から三着までを「福男」と認定して祝うものです。

ヒルコを祀る神社②和田神社

DeltaWorks / Pixabay

兵庫県神戸市にある和田神社は、同じくヒルコ(蛭子大神)を祀る神社です。赤い大鳥居が目印として知られ、地元では「和田宮さん」と呼ばれています。また、日本で初めてヒルコを祀った神社であるともされています。

古来、淡路島よりヒルコが流れ着いたとされる、和田岬近くの土地を「蛭子の森」と称して祀ったことが、この神社の起源だとされています。先述の西宮神社には「産宮参り」として和田岬に渡御(とぎょ)する風習があったのも、和田神社の建つ地とヒルコの深い縁を示すものであるといえます。

NEXT ヒルコを祀る神社③蛭子神社