判決後はぱったりと面会にも訪れることがなくなったとされます。現在の消息は定かではありませんが少なからず、罪人の弟だという後ろめたさから身を隠すようにして過ごしていることでしょう。
米山豪憲君の父親が真相を激白!
辛く悲しみの更ける中で重たい口を開くことになります。マスコミが面白おかしく週刊誌に書き立てたことで二次災害が起こることを早く止めたかったからだと言われています。
子を失っただけでなく、遺族までを探ることは心外であり売り上げを伸ばすための道具にしてはならないことです。父親は今ある家族を守るために動き出したのです。
「豪憲は何故殺されたのか」出版の理由
なぜ悲しみの最中に執筆したのでしょうか?これには世間に伝えるメッセージが強く文字として残したかったからなのです。
マスコミは鈴香と豪憲くんの父親が肉体関係にあったと根拠もないストーリーを作り上げたのです。マスコミに直訴しても嘘を伝えられる可能性もありますし、何よりも信用がなかったため自分の字で事実を伝えることに決めたのです。
今ある残された家族と共に生きていくために、真実を公表すると選択したことが本を執筆する原動力となりました。天国に旅立った息子はもう話すことができません。その代わりに弁明することが成仏にもなると思ったのでしょう。
秋田県警は事件を事故で片付けたかった
父親はある疑問を抱いています。とある番組で特別特集として出演したときに、警察の対応について疑問視しています。首に紐の後がくっきりとついていた亡骸を見て、素人が見ても誰かにやられたことは一目瞭然でした。
ですが日本の事件解決のプロである警察は、嫌がる警察犬を導入し引っぱりながら捜査を行っていた姿を目の当たりにし、事件にしたくないのかと悟ったようです。
捜査に関して遺族は一刻も早く解明してほしいと願いますが、当時スタートが遅れていました。このことにも謝罪が一切なく、遺族に対しての対応不十分として疑問を投げかけています。
米山豪憲君が写ったと噂の心霊写真
週刊誌に載った鈴香の自宅写真が、以前から話題となっており、豪憲くんの父親が証言した番組でも取り上げられます。テレビ視聴者や番組進行者も驚きを隠せませんでした。
それは豪憲くんが写っていると騒然となったのです。本当に心霊写真だったのか真相に迫ります。
畠山鈴香の自宅に写った人影
窓際にはっきりと人影が確認できます。ネット界では合成だとか、彩香ちゃんでは?カメラマンの陰では?と憶測が飛び交います。番組内で父親は息子だと断言しています。
顔部分が影となっているので誰なのか特定できにくい状態ではありますが、突如失った息子の姿を一目みたいと願う儚い父親の思いが強く出て、息子なのだと思い詰めたのでしょう。
予期せぬ出来事で悲しみに暮れた暗い夜をずっと彷徨っているような日々の中で、息子が写って姿を見せてくれたと希望を持ち、生きていくことへの光を探っているのではないでしょうか。
やまない雨はないように、残されたご遺族の心に少しでも光が灯されますように。彼女が犯した罪は重いのです。
鈴香のような生い立ちの子を一人でも救うために
体は立派な大人となっていますが、心の発育は不十分でした。母親とは自分の子供が愛おしい存在だからこそ守り、そして育てていけます。
自分が子供時代に同じようにしてもらっていたから子にもできるものだと思います。彼女の場合はこの工程がなく子を産んでしまいました。どうしたら一人でも多くの命を救うことができるでしょうか?
子供時代の過ごし方や対応の仕方で大きく変わってくることが明らかとなっています。今後一人でも被害を少なくするために必要なことを考察します。
道徳心を養う
現在の小学校の授業では、一週間に1度程度で道徳の授業が行われています。教科書を読んだり状況に応じて意見を交換したりする内容ですが、もっと授業数を増やすべきではないでしょうか?
ゆとり教育が実施されてから完全週休二日となり平日の授業がびっちり組み込まれている小学生たちにとって、勉強も大切なことです。
でも、大人になり社会へ出たときに必要となるのは道徳心ではないでしょうか?計算や漢字を書くことも仕事をしていく上で必要な教養ではあります。ただ人は一人で生きていくことはできません。
誰かの助けを必要としていて、協力し合い共存していくから社会は成り立っています。コミュニケーションを円滑に進めていくには道徳心を養う必要があるのではないかと思います。
言葉の大切さを教える
流行語として毎年多くの言葉が生まれています。若者が使うような短縮後もあったりして日々言葉も進化をしています。人とコミュニケーションがとれる言葉は便利なツールです。
ですが時として人を傷つけ関係を悪化させてしまう原因ともなってしまいます。特にこれからの日本を担う子供たちの言葉使いは、年々酷くなっています。
鈴香も卒業文集で「死ね」や「殺す」といった残酷なワードを書かれています。これが平然と行われていることが間違いなのです。どこかで正していかなければ傷つく人は増える一方です。
外遊びからゲーム遊びに変わっていき、ゲームオーバーになってもキャラクターは生き返ることから簡単に「死」というワードを使っています。人に対しても「死ね」と簡単に言えてしまうのです。
昔よりも死ということが簡単に飛び交うようになっているように感じます。私たち大人がそれを正していかなければならないのではないでしょうか。子供は失敗を繰り返して学んでいくものです。
言葉の大切さを教えていく必要性はあるのではと感じます。
子供を育てる教えを
育児本はたくさん売られていますが学校や産科では、子供の育て方についての教育はなされていません。鈴香のように自分が手をかけて育てられていない子供は、親となってもどうやって子に対して対応したらいいのか無知なのです。
よほど意識を変えない限り育児本を読んで学ぼうという姿勢も難しとされています。証明するかのように、彼女は彩香ちゃんのことを産まれて可愛いと感じたこともなく、触られたり甘えられることが苦痛だったと述べています。
通常は子孫を残していくため本能として子を世話することが備わっており自然に世話ができますが、痛めつけられ怯えた生活しか送ってこなかった子は思考がストップしてしまっています。
どうしたらいいのかわからないのです。もしくは痛みつけることが当たり前のようになってしまい虐待が伝線していきます。
断ち切るために、子供を育てる教育が任意でも参加できる場があれば、傷を負った親たちにとって優しい社会になるのではないでしょうか。
支援の手を
離婚は3人に1人経験しているほど珍しいことではなくなりました。シングルママとして子供を育てるために、国や行政の支援が充実しています。
その一方で勤め先によっては子供が熱を出して休むと嫌味を言われたり、残業ができないことで仕事を回してもらえなかったりと、陰湿な嫌がらせがあることも事実です。
同じ日本で生きている人間として、困っているときはお互いさまの心づかいが当たり前になる社会になれば、働きやすくなり子育てもしやすい世の中になるのではないでしょうか。
お金を稼ぐことだけが豊かではなく、思いやりをもった人づきあいができる人こそ本当の豊かといえるでしょう。