【宮野裕史/横山裕史】コンクリ事件の犯人の生い立ちから現在と再犯など

5年生の頃、宮野は髪にパンチパーマを当て、ヌンチャクや木刀を振り回し、小学校に殴り込みをしました。教員から「学校に来るな」と言われたこともあり、母親がこれに対して抗議したそうです。

小学6年生の頃には、仲の良かった友達の影響で、勉強に励むという一面もあったと言います。卒業文集には「悪いことをやった奴らの気持ちがわかる」と記し、「少年院の院長になりたい」と綴っていました。

中学時代は部活の柔道に打ち込んだ

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宮野の荒れた人生の中で、中学時代は比較的落ち着いていた時期であったと言えます。彼は周囲の勧めで柔道部に入部しました。真面目に練習に打ち込み、160cmという低身長でありながら優秀な選手に成長します。3年生の時、都大会で2位という優秀な成績を残し、それによって東海大付属高への推薦入学を果たしました。

柔道部で体罰を受け、高校を中退した

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しかし、その高校で再び宮野の心を荒ませる出来事が起こりました。柔道部の先輩や顧問から虐待行為ともいえる体罰を受けたのです。殺虫スプレーとライターを使って体をあぶるなど、その内容は酷いものでした。

宮野の素行は再び悪化します。街では喧嘩に明け暮れ、シンナーを吸い、家に帰ると物を壊したり、母親に暴力を振るうようになりました。そのような状況の中で、彼は高校を中退します。

ひったくりや強姦、犯罪を繰り返した

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高校を辞めた後は、中学生の頃から付き合っていた恋人(コンクリ事件の犯行グループの一人である渡邊泰史の姉)と同棲を始めます。彼女と結婚するために、見習いのタイル工として真面目に働いていましたが、自動詞学校の合宿で暴力団関係者と知り合ったことで、再び道を踏み外します。

それ以降暴力団との関わりが深くなり、組の傘下にある組織だと気取って「極青会」なるグループを作りました。小倉譲や湊伸治ともこの頃知り合い、渡邊泰史を含めた4人は宮野を中心として、ひったくりや強姦などの、犯罪を繰り返すようになりました。

コンクリ事件の残りの犯人の現在とは

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血も涙もない仕打ちで女子高生を苦しめ、殺害した犯人は宮野裕史だけではありません。犯行に加わりながら、彼よりも軽い刑罰を済ませて社会に出た元少年は3人います。湊伸治、小倉譲、渡邊泰史です。今現在、彼らはどのような生活をしているのでしょうか。それぞれの近況に迫ります。

湊伸治は再犯を犯していた!

2018年8月、埼玉県川口市で45歳の男が殺人未遂で逮捕されました。男は軽トラックに乗っていた男性に因縁をつけ、警棒で殴り掛かったうえ、首をナイフで刺し重傷を負わせたのです。この逮捕された男こそ、30年前に起きたコンクリ事件の犯人の一人、湊伸治でした。

出所後はムエタイでプロデビュー

コンクリ事件で5年から9年の不定期刑を科せられた湊は、出所後、ムエタイの選手としてデビューしました。前述の殺人未遂事件のこともあって、彼に関する足取りについては多くの情報があり、最近の顔写真も公開されています。

現在は、ムエタイを引退し、無職で、埼玉県川口市東内野のアパートに住んでいると言われています。外国人の女性と結婚して、娘が一人いるとのことですが、その後離婚したとの噂もあります。周辺の住民からは、全く更生している様子がないという声が上がっているそうです。

小倉譲は三郷市逮捕監禁致傷事件で再逮捕!

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懲役5年から10年の不定期刑という判決を受けた小倉譲は、出所後に「神作譲」と改名します。受刑中に身に着けたパソコンのスキルによってIT関連の会社に就職しますが、退職して暴力団の構成員となったそうです。

そして、出所から5年後の2004年5月に、再び事件を起こしました。足立区で知人の男性に因縁をつけ、暴行したうえで埼玉県三郷市のスナックへ拉致監禁、約4時間にわたり暴行や脅迫を加えたというものです。小倉は再び逮捕され、懲役4年の実刑判決を受けました。

被害者にコンクリ事件のことを自慢

小倉はこの犯行の前に、被害者の男性に対して「コンクリ事件の本当のリーダーは俺だった」などと、事件に関わっていたことを堂々と自慢していたそうです。さらには、「警察や検察を丸め込ませる術を知っているから、捕まってもすぐに出てこれる」と嘯いていたとのことで、事件に対する反省が全くなかったことがわかります。

渡邊泰史は引きこもりに

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懲役3年から5年の不定期刑を科せられた渡邊泰史は、1996年に刑務所から出ると、自宅(神奈川県横浜市金沢区六浦東の1丁目)に引きこもるようになったそうです。元々気の弱い性格であったとのことで、初公判に際して失神してしまうというエピソードもあります。

同居している母親は、2000年~2001年にかけて新聞やテレビ番組の取材に応じており、「いつまで息子の面倒を見られるかと心配をしている」と語りました。

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