名張毒ぶどう酒事件の真相は?冤罪が疑われる事件の真犯人は会長?

名張毒ぶどう酒事件。妻と愛人との三角関係のもつれだとされましたが、現在では冤罪ではないか?という事が疑われています。名張で起きたこの事件の真実や、そして弁護団士たちについて、そして真犯人に至るまで、詳しくご紹介します。

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名張毒ぶどう酒事件とは?

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この事件は1961年に三重県の村の公民館で執り行われる事になった会の中で振る舞われたお酒が原因となって、参加した人たちが続々と中毒による症状が起きたという事件です。そして犯人はこの村に住む男性だったと言われています。

しかしながらこの事件には謎が多く、逮捕された男性も冤罪だったのではないかとも噂されているのです。また本当に毒を盛ったのはこの村の責任者である人物なのではないかとも言われている事件です。次からはこの事件について、その内容を見ていきたいと思います。

名張毒ぶどう酒事件の概要

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お酒に毒物を入れたことによる食中毒によって数々の被害者を出してしまったこの事件ですが、では一体詳しい内容はどんなものだったのでしょうか。ここでは今回の内容についてどのようなものだったのか、見ていきます。

ぶどう酒を使った大量殺人事件

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この事件は名前にもあるようにぶどう酒を用いて行われたとされる殺人事件です。事件の行われた場所は三重県の集落で、人口はわずか数百名程度の小さな規模のものでした。事件の動機としては男女関係のもつれだったとされています。

この事件は日本国内の毒殺による殺人事件の中でもとくに有名なもので、他に言われている事件では和歌山県の夏に行われた祭りの中で、カレーの中に毒物を混入させ大量の食中毒での被害者を生んだ和歌山カレー事件が有名なものとされています。

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この事件は当時世間で非常に話題になり、この事件をモデルとしたドラマ作品等も制作されるほどでした。では次に、この事件でいったい何人の集落内の人物たちが中毒によって亡くなったのか、また用いられた毒物についても見ていきます。

毒入りワインを飲んだ女性5人が亡くなる

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この集落内で起きた事件によって被害を被った女性たちは17名にも及び、その内5名の人たちの命が奪われました。この女性のみが犠牲者である点を疑問に思った警察によって調査が始まり、今回の事件が明るみになったのです。

調べた結果、使われた凶器はニッカリンと言う農場などで用いられるものであり、この農薬を混ぜて事件を引き起こしたという事です。そしてこの事件は近辺に住んでいる男性が犯人だとされ、逮捕されることとなりました。

第二帝銀事件として世間を騒がせた

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この食中毒事件は世間を非常に騒がせることになり、戦後引き起こされた帝銀事件という最大の食中毒事件の再来だと騒がれました。こちらの事件は東京で起きており、10名以上の犠牲者を出した殺人事件として知られています。

また、こちらで紹介した事件も非常に謎の多い事件の一つであり、噂では冤罪なのではないかとも囁かれている事件です。どちらにしても大規模な食中毒によって大多数の被害者を出したという事で許される事件で許されない事件という事は確かです。

名張毒ぶどう酒事件の犯人とされた人物

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ここまでこの事件がどういったものなのかについて見ていきました。ここからは犯人だと言われている男性が一体どのような人物なのか、また今回の事件後の逮捕された犯人のその後についても見ていきたいと思います。

容疑者は3人だが逮捕されたのは奥西勝

警察の見解では当初被害者として候補として挙がっていたのは3名でした。しかしながら最終的に今回引き起こされた事件の動機が三角関係を強制的に解決する為に、この殺人事件を起こしたと判断して候補の一人として挙げられていた奥西という男性を取り調べ始めました。

犯人についてですが、彼は村の中ではモテると話題に上がるほどの男性で、結婚して子供がいるものの、時折村の女性たちと関係を持っていたと噂されています。女性関係で他の男性と口論になっている場面を目撃した人もいたそうです。

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当初は男性は今回の事件に関与していることを否定していたものの、最終的には三角関係の解消の為にぶどう酒に劇薬を混ぜたことを話し始め、逮捕に至りました。しかしながらこれに関しては不明な点が多く、証拠と呼べるものもないことから謎の多い逮捕だと言われています。

奥西勝は冤罪を訴える

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こうして逮捕された男性ですが、この後一貫して犯行について否認をし続けます。男性の首長としては今回の自白は警察の取り調べの際に脅迫された結果話してしまった事であるといった事を話していました。

このように否定を続ける男性に対して始まった裁判ですが、最初の判決の際は証拠と呼べるものがほとんどないこと、そして警察が男性に対して脅迫をしていたといった事を話す証言があったことなどから無罪となっています。

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しかしその後の裁判内では証言者の発言が変わるなどといった事もあり、最終的には死刑の判決を下されることとなりました。この裁判に関しても急に証言が変わるなど不可解な点が多くあり、これも不審な点として噂されるものの一つです。

奥西勝の最後は獄死

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男性は死刑の判決の後も何度も無罪である事を主張し続け、その年月は40年以上にも上りました。そして男性はその後9回もの再審を請求し、行っています。この裁判は2015年まで行われてきた非常に長い期間の裁判です。

しかし男性は長い服役生活の中で肺炎を患い体調が一気に悪化してしまいます。そして最終的には89歳にこの肺炎が原因で亡くなってしまいます。それまでは生存する死刑の判決を受けた囚人の中で最高齢だったようで、この死によって真相は謎のままとなってっしまいました。

奥西勝はなぜ名張毒ぶどう酒事件の犯人とされたのか

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こうして事件後、男性は犯人ではないと言い続けてきたものの、その最期は病気による死という結果に終わってしまいました。ではここからはなぜ犯人だと言われるようになったのか、その詳細について見ていきたいと思います。

理由①愛人である北浦ヤス子との関係のもつれ

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今回の事件で断定された最大の理由は、村の女性とのどろどろの愛人関係が原因ではないかと推察されています。この関係を解消させるために、村の中での会の中でぶどう酒の中に毒を入れたとされているのです。

そしてこの女性は村の権力者である会長とも浮気の関係を持っていたとされ、この会長と今回逮捕された男性、そして双方と浮気をしていた女性との間で三角関係があったことが最大の原因だと見定めたのです。

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しかしながらこの事件の中で注目すべき点はこの村で横行していた夜這いの風習についてです。これによってこの村では愛人に関しては村の中ではそこまで珍しいものではなかったと考えられており、この点は少々不可解です。浮気と言うのは動機としてはありえますが、それだけで大多数の被害者を出す事件を引き起こしたとは思えないのです。

理由②ぶどう酒が運ばれた時の目撃証言

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もうひとつ男性が犯人だと断定された理由として、ぶどう酒を持ってきた際の人物の証言があります。これについて話したのは今回の事件の舞台である会の会長である男性から発注を受けてぶどう酒を持ってきた男性です。

この人物によればぶどう酒を持ってきたそのすぐ後に今回の事件が起きたため、この時間内に毒を仕込むことが出来たのは直接お酒を受け取った男性にしかありえないと話したのです。この証言が通り、男性は犯人として断定されることとなったのです。

理由③奥西勝の自白

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そして男性が犯人だと断定された最大の理由として、男性自身が自分が犯人だと話した点にあります。これは前述したように取り調べの中で三角関係を終わらせるために自分が会の中で持ち込まれたお酒に農薬を入れたと話したのです。

しかしながらこれに関しては男性自身が逮捕された後に取り調べの中で脅迫をされたからだと否定をしており、また物的な証拠が何も出てこず、さらに犯行の内容の中に矛盾した点も多いという事から不審な部分が非常に多いです。

名張毒ぶどう酒事件の判決

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ここまでぶどう酒に農薬を入れ大量の被害者を出した殺人事件について、男性がなぜそういわれているのかについて見ていきました。ここからは男性が行ってきた裁判について、その詳細な内容について見ていきたいと思います。

最高裁判所で奥西勝に死刑判決

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