藤間静波の生い立ちや人物像|藤沢母娘殺人事件の概要と裁判での奇行

仲間Aを殺害した事件では、すぐに容疑者リストにリストアップされ別件の道路交通法違反で逮捕されます。仲間Aの殺害に関しては物証的な証拠がなく、警察の取り調べで行ったポリグラフでもシロと判断されています。また、母親が自宅で寝ていたとアリバイを証明したことにより釈放されています。

現在では、身内などのアリバイ証言は信憑性に欠けるとされている面がありますが、当時はまだ家族の証言もアリバイとして使用されていたとされています。息子を見捨てていた母親が何故家で寝ていたと息子のアリバイを作ったのかの真偽は明らかになっていません。

裁判でVサイン・藤間静波の奇行

取り調べでは、真輝子さん親子の殺害に関しては知らないと話していましたが、数日後自供を始めることになります。その上裁判の場において藤間静波は、被疑者とは思えないほどの奇妙な行動をしています。裁判でとった奇妙な行動について紹介していきます。

「反省している」報道陣にはVサイン

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1982年の初公判から1986年まで、無罪のみを主張していましたが、1986年にこれまでの態度を一変して反省していますと犯行の事実を認めています。しかし、反省していると犯行の事実を認めたにもかかわらず報道陣に向けてVサインをするなど反省とは真逆の行動をとっています。

留置場では殺害時の様子を話していた

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留置場にいたヤクザに事件の事をを教えろと言われて事件の内容について話をしているとされています。話の内容は返り血のことや殺害の手順、殺害しているときに血で手が滑たときのことなど犯人にしかわからないことだったそうです。

留置場で同部屋で過ごしていた少年は相部屋の相手が5人を殺した殺人犯とは知らなかったと話しています。そのため何故留置場の担当が冷たい態度をとっていたのか分かっていなかったがその後送検される際のテレビで事件の概要と自分と同じ部屋にいたのが殺人を犯した人であることを知って嫌っていたことにも納得できたそうです。

死刑を言い渡されるも暴力団幹部の名前をあげ傍聴席にVサイン

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地方裁判所の判決が言い渡されたのは、1998年です。判決は「自分の非を棚に上げた短絡的な犯行」「被害者に責められる点はない」「動機の面に対して酌量の余地はない」とし死刑の判決を言い渡されています。判決文を読まれている間特に動揺する様子はなかったとされています。

裁判が終わりに近づいた時、言いたいことがあると伝え、突然暴力団幹部の名前を出し始めます。裁判長が「やめなさい」「反省していないと思われる」と制止させますがあざ笑った後で傍聴席に向かい、両手でVサインをするなど事件を起こし本当に反省している人間からすればあり得ない行動をしています。

藤間が控訴取り下げ書を提出するも弁護人の異議申し立てで無効に

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1審の判決後控訴をしていましたが、1991年に弁護士が止めるのを振り切った上で本人自ら控訴取り下げ書を提出しています。この控訴取り下げは弁護士がまともな精神状態ではなかったとして異議申し立てをしており控訴取り下げは無効となります。

最高裁で死刑確定・死刑執行

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控訴の取り下げは無効となりましたが、高等裁判所は地方裁判所の判決を支持しています。その後上告をしますが最高裁判所は上告を棄却したため藤間静波の死刑が2004年に確定しています。死刑確定から3年後の2007年に47歳で死刑が執行されています。

独居房で13年目。死を待つだけの藤間静波の姿

同じ拘置所で獄中生活を送っていた人の藤間静波の印象や体験談などを紹介していきます。また、家族の中では唯一母親のみが面会に訪れていたとされていますが、小学4年生の時から愛情を向けず見捨てていた母親がなぜ面会に来ていたのかなどを考察していきます。

母親だけは面会に来ていた

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藤間静波は独居房で26年間過ごしています。家族の中では母親だけが頻繁ではないにしろたまに面会に訪れ差し入れもしていたそうです。小学4年生の時に妹が産まれたのを機に愛情を注がなくなったり、少年院から退院した後に受け入れを拒否するなどしていたにも関わらず面会に訪れています。

母親がなぜ面会に訪れたり差し入れをしていたかの真相は不明ですが、5人もの人間を殺害してしまった息子に対し自分の育て方や息子を拒絶したことにより事件は起きてしまったのではないかと自責の念に駆られての行動だったのではと推察します。

台車を杖替わりに歩く変わり果てた姿

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拘置所内での藤間静波の姿を見た囚人は、彼は台車を杖のようにして使わなければいけないほどやつれていたと話しています。長い期間の独居房での生活で歩くことも大変になりまだ若い年代にもかからず支えがなければ歩けないようになっていたそうです。

藤間静波の死刑執行から法務省は死刑執行公表の方針を転換

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藤間静波の死刑執行から法務省は死刑執行の公表の方針を変更しています。今までは、死刑囚の家族及び現在服役中の死刑囚に配慮して氏名や罪状などは公表されていませんでしたが、2007年の死刑執行の際から死刑囚の氏名と罪状を公表するようになりました。藤間静波と同時に死刑が執行されたのは他に2人いますが全員公表されています。

今までは、死刑が執行されている事実すら世間には知られていませんでした。死刑囚の死刑執行の発表や氏名等の公表するように体制を変更したのは、死刑の執行が適切に行われていることを世間に知ってもらうことと死刑制度への国民の理解を求めることが狙いではないかと言われています。

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