バスジャック事件簿!有名な事件の紹介と乗客だった時の安全策も解説!

この事件が発生したのは2000年7月22日。愛媛県走行の宇和島自動車路線バス内で起こります。運転手に刃物を突き付けて脅し、長浜町方面に向けてバスを走らせるように指示を出したそうです。

しかし、そこで運転手が機転を利かせて燃料がないので一度営業所に戻ることを持ちかけると、犯人はそれに応じ営業所に駆け付けた警察官によって現行犯逮捕となりました。そして、後にこの犯人は一度ジャック事件を引き起こした人物であったことが発覚します。

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最初は1997年4月7日に起こされた、同じく同県伊予市内でのジャック事件でした。ピストルのようなものを持っている男性が犯人で、この時も現行犯逮捕されたそうです。乗客には怪我はなかったものの、当然逮捕された犯人は罪を課せられます。

その後精神科に入院することになったそうで、今回2000年に起きた事故に関しては、その精神科からの一時外泊の許可を受けているさなかに起きている事件だったそうです。

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今回も乗客運転手合わせて、怪我人はいませんでしたが前回同様の事件を起こし、反省の色が見られないどころかさらに凶悪な犯行を重ねていると考えられ、実刑に処せられたそうです。

日本で起きたバスジャック事件⑩

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射殺されるという形で終わりを見せる事件です。これは、当時の時代背景も密接にかかわっており、後世に残さなければならない事件として語り継がれています。

1977年「長崎バスジャック事件

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事件の発生は1977年10月のことでした。長崎県長崎行きの西肥バスが走行中に二人の男性に乗っ取られたのです。その男性たちは「アソレンゴウ・セキグン」と名乗っており、うんて種並びに乗客に銃や爆弾を向けて脅したとされています。

そして、燃料がなくなるころに立ち寄った給油上で、運転手によりジャック事件が通常され事件発覚に至ります。連絡を受けた警察は直ちに行動を開始し、すぐにバスのエンジンコードを切断して走行不能状態にしました。

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これにより、バスは走行不可能でその場に止まるを余儀なくされ、犯人たちはそのためにバス立てこもりに行動を映します。人質5名の解放の代わりに、食料や水を要求し、人質の手によりブラインドを降ろさせるなどして長期の籠城の動きを取ったのです。

さらに、犯人側はなおも要求を行います。それが、当時新自由クラブ代表を務めていた細川隆元を連れて来いというもので、釣れてこない限り交渉にも応じない旨を言いました。

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今回の犯人と当時の新自由クラブの代表との関連性ははっきりしないながらも、ただこの時の世情と関係して犯人の要求に簡単には応じることができない状況でした。というのも、この当時「日航機・インド・ダッカハイジャック事件」の影響で国内外で批判が相次いでいたのです。

この事件は今回のジャック事件の17日前に起きており、その際に国は人質解放と引き換えに身代金16億円を払っていたのです。これにより、犯人の要求を簡単に聞き入れると批判が殺到していました。

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これらのこともあり、強行突入を講じる国と警察。即座に機動隊が突入し、事件発生から18時間後に犯人の一人は射殺、もう一人は重傷を負いながらも一命をとりとめ事件は解決します。

日本で起きたバスジャック事件⑪

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これまでの事件はほどんどがけが人もおらず、また犯人を除けば乗客に死者が出ないようなものばかりでしたが、しかしもちろん凄惨な事件となり、被害者が出た事件も存在します。その一つがこの事件です。

2000年「西鉄バスジャック事件」

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発生は2000年の7月22日、当時17歳の少年の手によって、佐賀駅発福岡天神行きのバス「わかくす号」が乗っ取られたのです。そして、この事件は怪我人だけでなく死傷者も出ている事件になります。

事件は同日午後1時半ごろに起きたそうです。午後0時56分発の佐賀駅発バスを乗っ取り天神には行くなと犯人が告げたのです。犯人は乗客の中に混ざっており、運転手の真後ろに座っていた少年でした。刃渡り30センチにもなる短刀と持ち、運転手に東に走るよう脅します。

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また、乗客にも細かく指示を出して簡単に男性乗客が犯人に近づけないように後部座席に全員を追いやり、後にトイレに行くことを許可し路肩にバスを止めさせます。もちろん、この時も逃げると全員殺すと脅しはかけていたそうです。

しかし、最初の一人目で降りた城郭女性は戻ってきませんでした。そのことがあり、犯人は女性客を一人短刀で刺します。これによりほかの乗客にさらなる恐怖心を刻みます。その後、幾度かに分かれて脱出を走行中バスから脱出を試みる乗客が現れます。

当然、そのことを知った犯人は怒り、人質である女性乗客を指していきます。その後刺された女性3人は解放されますが、その時点で二人が重傷、一人が死亡していました。開放された場所は広島の奥谷パーキングエリア。

犯人が犬儒や防弾チョッキ、スタンガンなどを要求するためその交換条件として怪我人を解放するという物でした。しかし時すでに遅く死者も出てしまったのです。そして、3時間の膠着状態の後、再びバスは走り始めます。

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今度は警察の先導のもと走り始めますが、給油のために小谷サービスエリアに立ち寄ります。この時犯人は、東京の霞が関に行きたいと語っていたようです。また、ここでも最高齢の乗客を解放することとなるが、かたくなに他の乗客は開放しない姿勢でいたようです。

同時刻、犯人の両親や担当医が来るも、説得には応じず少年は興奮するばかり。そんな状況の中日付も変わり突入が実行に移されます。午前5時頃、SATによって乗客は解放され、一人負者がでるも、犯人逮捕となりました。

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当時犯人は、ネットで犯行予告をしていたようで、動機はいじめによる精神的な病から来たもので、当時愛知県で起きた豊川市主夫殺人事件の影響を受けて、自身も無差別な殺人を犯そうと考えていたそうです。

元々は母校である学校で生徒を殺して、最後は自殺しようと考えていたそうですが、ゴールデンウィークだったこともり休校だったため、バスの乗っ取りに計画変更して今回の事件を引き起こしたと語っています。

過去からの教訓!現在のバスジャック対策は?

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過去の事件について紹介してきましたが、色々な動機がありながらも迅速な対応や警察やバス会社の対応といった面でいざ事件が起きてからの対策というものが重要と考えられるようになりました。そこで現在講じられている対策についてみていきましょう。

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