菊容子殺害事件の真相は?犯人藤沢陽二郎の現在や石ノ森章太郎との噂も

テレビの向こうで活躍する人物が関わる事件は、多くの人に衝撃を与えます。芸能人が関わったほかの殺人事件は、どんなことがあったでしょう。

女優毛利郁子による殺人事件

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菊容子殺人事件の6年前、1969年にも芸能界が関わる殺人事件がありました。女優の毛利郁子による殺人事件です。現役の女優が殺人という罪を犯した最初の事件となりました。

一度目の出産と子との離別

女優としての毛利さんのスタートは25歳でした。女優を始めたのち、年上俳優男性と同棲中に子を身ごもり、出産します。しかし、デビュー当初のグラビア系の活動の過去を知る男性の母親が結婚に猛反対しました。

男性の母親は生後2か月の子どもを可哀そうだと連れ去ってしまいました。毛利さんは子どもと引き裂かれ、男性とも別れることになったのです。そのような状況でも彼女は女優業を続けていきました。

水田照正さんとの不倫

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毛利さんが水田さんと出会い、交際を始めたのは彼女が30歳の頃。当時水田さんには家庭がありましたが、それを彼女に隠しての交際スタートでした。ただ、彼の家庭のことを毛利さんが知った後も、二人は交際を続けました。

36歳で彼女は水田さんの子を身ごもり、出産します。しかし、水田さんは子の認知をせず、養育費も払わずに離れていきました。彼女は1人で子どもを育てはじめました。

水田さんを刺殺し、懲役5年

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子どもが2歳になるとき、水田さんが彼女の前に姿を現しました。2人でドライブ中に子の認知の話になり、「自分の子は自分で負え」という水田さんの言葉に激昂した彼女は、隠し持っていた包丁で水田さんを刺し殺しました。

我に返った彼女はすぐに助けを呼びますが、水田さんは出血多量で死亡しました。裁判では、子どもがまだ小さいことも考慮して懲役5年という判決になりました。

罪を重ねた克美しげる

1960年代にヒット作品を生み出した克美しげるさん。彼もまた、殺人事件を犯した芸能人のひとりです。彼は殺人事件だけでなく、他の罪も重ねていました。

歌手としてのブームと転落

1960年にレコードデビューした克美さん。1963年のテレビアニメ「エイトマン」の主題歌、翌年リリースした歌謡曲「さすらい」の2つの作品が大ヒットし、1965年から2年連続で紅白歌合戦にも出演しました。

しかし、その後ヒット曲が出せず、人気は低迷していきました。それでも彼は何とか芸能界に残ろうと、音楽関係者への接待を続け、1000万円もの借金を背負うことになります。

貢がせたホステスを殺害

当時克美さんには奥さんがいましたが、「妻とは別れた」と嘘をつきホステスと交際していました。毎月30万を貢がせ、そのお金を借金返済と生活費に充てていました。

いよいよ芸能界に戻れそうというとき、克美さんにとってこのホステスの存在が邪魔になりました。口論となり「世間にすべてばらしてやる」と言われた克美さんは、彼女の首を両手で絞めて殺害しました。

懲役と出所後に重ねた罪

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この事件で克美さんは懲役10年の判決を言い渡されました。ただ、7年の懲役後に仮出所。音楽事務所を立ち上げ、再婚。自ら指導者としてカラオケ教室もひらいていました。

しかし、その6年後に今度は覚せい剤不法所持の罪で逮捕されます。この事件では懲役8か月の実刑判決となりました。それでも出所後に音楽業界に戻り、2000年代まで音楽活動を続けていました。

菊容子殺人事件の悲しい真実

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これまで書いてきた通り、菊容子殺人事件は、勘違いが重なったことによる不幸な事件だったといえます。本当は愛し合っていたはずの2人が、片方は亡くなり、片方はその罪を背負い生きていくことになりました。

勘違いの末に激昂し菊さんを殺害した藤沢さんでしたが、彼も愛する人に手をかけてしまうほど追い込まれていたのでしょう。自殺にも失敗して終わった彼にも、計り知れない後悔が思われます。今後、このような悲しい事件が起こらないことを願ってやみません。

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