だるま女とは?歴史上や都市伝説の他に実在した人物を徹底解説!

息子は成長して父親を探すために中国へと行きましたが見つからず日本へ帰ろうとしていました。日本へ帰る前に開かれた宴会で様々な改造人間がいたのですがその中には父親も居ました。言葉が喋れないように喉を潰されていた父親は指を噛み切り血で文字を書き、名字が同じで同じく日本人であることを伝えると息子は改造された人間が父親であることに気付き帰りの船で絶望し身を投げてしまいました。

拷問された末の灯台鬼の姿

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灯台鬼とは呼んで字の如く、灯りを置く台として作られた人間燭台つまり人間ロウソク置きです。ロウソクが映えるように全身に刺青を入れられ、置物なので喋らないように喉を潰され、ロウソクを置くために頭には鉄の輪をはめられていたとのことです。

だるま女は中国の歴史に実在した?

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いつの時代も人気のパンダが有名な中国ですが恐ろしい話や都市伝説も多々あり残酷なものほどとても面白いとされています。中国のダルマ女とドロドロした昔の恋愛模様をお話しします。いつの時代も男が絡むと女の人は豹変してしまうのです。

中国の歴史上のだるま女①「人豚」

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嫉妬に駆られた本妻の呂后は夫の死後、死んだほうがマシと思えるような拷問を元愛人へしていました。亡き夫の愛人の体を切断し、喉を潰し聴力までも奪い、眼球をくり抜いたのです。そしてその姿のままトイレに置き人豚として晒し続けました。

以上のことから分かるように人豚とは日本のダルマ女よりずっと残酷ですがダルマ女と同じ意味です。人豚は観賞用として生かして食事に人の便を与え見世物にしていたと云います。ダルマのような状態で何の治療もせずに生きていけるはずがないですし、その更に酷い状態であれば生きることはほぼ不可能でしょう。

中国の歴史上のだるま女②武則天による王氏・蕭氏の処刑

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残酷な方が盛り上がるため昔話しは残酷に書かれている物が多いです。苦しめるために四肢を切り落として処刑したという話の詳細を紹介します。中国三大悪女として有名な妲己とも並ぶ武 則天(ぶ そくてん)が悪女と呼ばれるに相応しい処刑方法を使ったのです。

武則天は皇帝に気に入られ愛人となり子供も産みます。しかし、その子供を自分で殺し子供の居なかった本妻のせいにして皇后から降ろし自分が皇后となりました。そして地位を奪っただけでは済まず手足を切断し酒壺に投げ入れて処刑するという残酷な方法を選びました。

中国の歴史上のだるま女③麗姫

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こちらも昔話しあるあるのドロドロした恋愛トラブルで、当時の皇帝の愛人が本妻に嫉妬され拷問を受けた末に両腕と両足を切断されたという話があります。しかし、これはデマで武則天と呂后の話と混ざってしまっています。この麗姫という女性は皇帝の唯一の娘を産み皇帝の死後、隠居し余生を送り人生を謳歌しました。

だるま女は戦前の見世物小屋に存在していた

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決していい意味ではなく馬鹿にした蔑んだ言い方のダルマ女ですが、自分が出来ることを精一杯に頑張り、立派に生き抜いた方がいらっしゃいます。ここではそうした素晴らしいダルマ女の人生を紹介します。

実在しただるま女①中村久子

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病気になってしまい生きるために止むを得ず両腕と両足を切断した女性です。手足がない中でも編み物や裁縫が出来るなど大変器用な方で、成人後は自立し生活していくため見世物小屋で働き生計を立てて一人暮らししていました。この女性は結婚して子供も産み普通の女性と変わらない人生をひっそりと息を引き取りました。

実在しただるま女の中村久子は65歳で厚生大臣賞を受賞

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今までの功績を讃えられ厚生大臣賞というとても名誉な賞を中村久子さんが頂きました。彼女は甘えてはいけない、自立しなければならないという強い考えを持ち国から支援を受けることはありませんでした。また、三重苦で有名なヘレン・ケラーから偉大な人であるという賞賛も頂くほどの素晴らしい女性でした。

両腕・両足を失った女性がだるま女として働く例は実在した

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先程紹介した中村久子さん以外にも体が不自由な女性がだるま女として生きていくために特殊な環境の見世物小屋などで働いていたという事実が多数あります。近年ではあまり見なくなってしまった見世物小屋ですが、そこで仕事をし普通とは少し違う職業ではありましたが活躍していました。

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