エリサ・ラム事件とは?奇妙な行動の末怪死した事件の謎と真相を考察

スノートレッキングに参加していたのは、現在のウラル工科大学の学生と卒業生でした。メンバーは男性8名、女性2名で21~25歳の若者がほとんどでした。全員が山岳遠征の経験者であり、スノートレッキングに関しての知識は十分持っていました。

メンバーの1人が離脱

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道中、一行は最後の有人集落に到着し、いよいよ翌日からオトルテン山へ向かうという時、メンバーの一人が持病のリウマチにより登山を断念することになりました。

その人物はユーリー・ユーディン、この事件でたった一人の生存者となります。彼と別れた後、生きた9人と会った人は現在に至るまで見つかっていません。

その後の行動は現場に残された日記から推測

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日記によると1月31日、一行はオトルテン山のふもとに到着します。そして帰路に備えて荷物の仕訳をしたりと準備をしました。翌日、オトルテン山へと進み始めますが悪天候に見舞われ、方向感覚を見失ってしまいます。

そして予定ルートから逸れ「死の山」へ登り始めてしまったのです。一行はやがて間違いに気づきますが、そのまま何の遮蔽物もない山の斜面にキャンプを設営しました。そして遭難します。

遭難に気づくのが遅れる

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リーダーのディアトロフは登山を終えたあと、2月12日までにクラブに連絡先を入れることになっていました。しかし彼が離脱したユーディンと別れる際に、遠征が少し長引くかもしれないと話していたこともあり、2月12日を過ぎても連絡がないことを誰も特に気に止めていませんでした。

学生らの親族たちの要請により、2月20日ウラル科学技術学校は最初の救助隊を送ります。その後軍と警察も加わり、ヘリコプターや航空機を投入した大規模な捜索となりました。

遺体を発見

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捜索が始まって1週間が経とうとする2月26日、捜索隊は死の山で切り裂かれた状態で雪に埋もれたテントを発見します。しかし中には誰もおらず荷物だけが残っていました。

靴を履いていない足跡をたどる

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テントからは足跡が延びていました。それはなぜか靴を履いていない足跡だったり、片方だけ靴を履いた足跡でした。足跡はテントから近くの森に向かって続いていました。捜索隊は森の外れにある大きなヒマラヤスギの下に2人の遺体を発見します。なぜか2人とも下着のように薄着でした。

さらに3人の遺体を発見

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木の下で2人の遺体を発見した後、ヒマラヤスギとキャンプの間で、さらに3人の遺体が発見されます。遺体は一人ずつ少し離れた位置で見つかりました。彼らの倒れ方はテントに戻ろうとして亡くなったことを示唆していました。

残りの4人は2月後に発見

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残り4人の遺体は発見までに2ヶ月かかりました。ヒマラヤスギからさらに森に入った場所で、深い雪の下から4人は発見されました。この4人はいくらか服を着ており、先に亡くなったメンバーの服を身につけていたこともわかっています。

一行の死因は?

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先に見つかった2人と3人は大きな怪我や損傷を負っていませんでした。そのため検視の結果、5名全員の死因は低体温症であると判断されています。

しかし後から見つかった4人のうち、3人は明らかな負傷をしていました。一人は頭部に大きな怪我を負っており、2人は肋骨をひどく骨折していたのです。しかも外傷を負っているわけではなく、とても強い圧力をかけられたかのようであったことと、1人の舌が無くなっていたことが奇妙な点です。

マンシ人の怒りを買った?

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当初、先住民であるマンシ人が彼らの領土に立ち入った一行を襲ったのではないか、とする説が流れました。日記にも彼らがマンシ族と何度か遭遇したことが書かれていたのです。しかし現場には9人の足跡しか残っておらず、争った形跡も無いことからこの説は否定されました。

核実験の被害を受けた?

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発見されたメンバーの一部からは高濃度の放射線が検出されました。当時のソ連は冷戦の真っ只中にあり、核開発に力を入れていました。現場の近くにはミサイルの発射基地があり、誤爆した核ミサイルの被害を受けたのてはないかというものです。

有力なのは雪崩説

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現在有力とされているのが雪崩に合ったという説です。雪崩がキャンプを襲い、彼らは中からテントを切り裂いて脱出。衣服や靴なども雪崩で剥ぎ取られてしまったというものです。

遺体にあった傷は死後についたものであることがわかっています。また頭蓋骨などの損傷は凍結したことが原因だと見られることがわかりました。

真相は闇の中

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結局のところ、9人が謎の死を遂げることになった原因は解明されていません。60年以上経った今でもさまざまな人が事件を探っていますが、ロシアが機密情報を管理しています。事件の真相を解くカギはロシアが握っていることで間違いないでしょう。

不思議な事件②マレーシア航空370便事件

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まだ記憶に新しい方も多いと思います。この事件は2014年3月8日、いつも通り乗客と乗務員を載せた機体はクアラルンプールを出発し、北京へ向かっていました。しかし不思議な事に機体ごとどこかに消えてしまったという事件です。すでに捜索活動は打ち切られています。

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