【東電OL殺人事件】概要と冤罪の人物の現在、真犯人の考察と陰謀説も解説!

東電OL殺人事件は東電のエリートOLが殺された事件であり、冤罪により真犯人が未だ捕まっていない事件です。被害者が売春婦として働いていたことも話題となりました。東電OL殺害事件の概要と冤罪の裁判の内容、真犯人の考察まで徹底解説します。

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東電OL殺人事件とは?

マスコミからの注目度が高かったことから、世間でも話題となった事件になります。その理由は被害者が昼間は企業の管理職社員として働きながらも、仕事後の夜には終電近くまで売春をしていたことです。犯人として1人の外国人男性が無期懲役の有罪判決を受けています。

東電OL殺人事件の概要

有名な大学を優秀な成績で卒業し東京電力に就職した女性で配属されていた部署は男性の割合が圧倒的に多い部署でその中にいたことでかなり優秀な人材であったことは明らかです。昼と夜では別人の顔を持つ女性だと当時大きく取り上げられた事件について紹介していきます。

他1985年に起きた未解決事件に興味がある方はこちらを御覧ください。

1997年3月東電OL殺人事件発生

大手企業に勤めており将来の幹部候補と言われていた1人の女性社員が古いアパートの1室で変わり果てた姿で発見された事件で当時大きな話題となりました。しかし、捜査が進んで行くにつれ昼間はエリート社員で夜は売春行為を行うという2つの顔を持つ女性だということが分かります。

昼と夜とで全く違う2つ女性演じているとニュースはもとより週刊誌などでも大きく取り上げられることになりましたが、被害者や被害者遺族のプライバシーにかかわることから賛否両論となっており大きな議論が展開されています。

殺害から10日後にアパートの空室で遺体発見

死後10日ほどたっている状態で円山町のアパートで空室となっていた部屋で遺体は発見されました。第一発見者はネパールから出稼ぎに来ていた男性で、アパートのオーナーが経営している店の店長でした。3月8日の深夜から翌日9日の明け方にかけて殺害されたとされており、死因は窒息死となっています。

東電OL殺人事件の遺体の第一発見者、ゴビンダ氏の逮捕

事件が発覚した3月から約2か月ほど経過した5月20日に警察によって逮捕されたのは、現場となったアパートの隣のアパートに3人の外国人と一緒に住んでいた内の1人であり、第一発見者の外国人の男性であるゴビンダ氏でした。ゴビンダ氏は取り調べの段階から犯行を自供することなく無罪をずっと主張しています。

東電OL殺人事件の裁判の行方は

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ゴビンダ氏は逮捕後の取り調べでも裁判でも常に無罪を主張していましたが、裁判の判決はどうなったのでしょうか?裁判の様子と行方、最終的な判決に至るまでを詳しく紐解いていきます。

東電OL殺人事件の裁判①再審に次ぐ再審の末、2012年に無罪判決

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一審の判決で無罪判決を受けたものの検察側の控訴により控訴審では逆転有罪となりました。その後再審請求請求が通り再審が開始され被告人に最終的な判決として無罪が決定したのは2012年のことでした。なぜ、こんなにも判決までに時間がかかったのでしょうか。最終判決までの裁判の内容を紹介していきます。

東電OL殺人事件の裁判②第一審・無罪判決

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ゴビンダ氏の起訴については彼が犯人であるという直接的な証拠は全くなく、状況証拠のみで検察は起訴まで持ち込んでいます。一審の判決がでたのは2000年の4月になります。裁判長は、被告人以外の人物が犯行現場にいた可能性もあるため、犯人と断定するには不十分として無罪判決を言い渡しています。裁判で争点となったのは下記のような内容になります。

  • 殺害現場に残されていたのが被告人の体液・体毛であること。
  • 被告人は被害者と面識はないと主張していたが、数回会ったことがある間柄であったことが明らかとなり虚偽が見つかっている。
  • 事件が起きる数時間前に現場近くで被害者と一緒にいるところを目撃された男性が被告人か否か。
  • 事件の2日前に現場となった鍵を被告人が返却する為同室の人間に鍵を渡していたので事件当日は鍵を持っていなかったと主張する被告人の供述の信用性。
  • 被害者は交友関係を手帳に詳細に記載しており、事件の少し前に会っていたのが被告人であるという被害者の手帳の信憑性。
  • 事件前に数万円しか所持していなかった被告人だが、事件後に10万円を知人に貸したことが発覚しており金の出どころについて
  • 被告人が働いていたのは海浜幕張駅近くにある店で午後10時の閉店まで働いた場合、殺害推定時刻とされている時間帯までに現場に辿り着けるか。
  • 被害者の定期券が紛失しておりその定期券が被告人には土地勘のない場所で見つかったこと。

東電OL殺人事件の裁判③2000年、控訴審、上告審・無期懲役

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第一審で無罪判決となった被告人ですが、検察は後日控訴請求を行います。高裁での控訴審では、犯行があったとされる時間の直前に被告人は殺害現場にいた可能性が極めて高いことの他に、事件後に友人に10万円のお金を貸す工面ができたことなどの状況的な証拠により無期懲役の有罪判決を言い渡しています。

2審での実刑判決が下されたとき、被告人は「僕はやっていない!」と叫んだと言われています。被告人側は2審での判決に対して上告をしていましたが、2003年最高裁は被告人の上告を棄却したため、被告人の無期懲役刑が決定することとなりました。

東電OL殺人事件の裁判④2005年、再審請求

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収監中の被告人は2005年に再審請求を行います。2011年には現場から採取された証拠品の中でDNA鑑定をしていない分の鑑定を行うよう検察側に要請しています。鑑定の結果、被害者の女性から採取されたDNAは被告人のDNAとは、一致しないことが判明しています

一方で検察側は、この証拠は偶々採取された物が一致しなかっただけで、他にもある状況証拠を覆すことはできないことや、被害者は多くの男性と性交渉していた過去がある為、犯人が別にいることを直接示すものでもないと反論します。新たに発見されたDNAの人物は、警察のデータバンクには存在していないため、人物を割り出すことが出来ていません。

東電OL殺人事件の裁判⑤2012年、再審開始決定

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2012年の6月東京高裁は、再審の開始を認めたうえで更に被告人の刑の執行停止を決断しています。検察側は、職権で勾留を続けるように要請しますが却下され、被告人は釈放されています。再審決定の理由として新たな鑑定の結果が「無罪と判定できるほどの明らかな証拠」と判断されたためです。

再審開始決定の判断に対して東京高等検察庁は異議を申し立てていましたが、検察側の申し立ては却下され再審が行われることが確定します。重大事件の再審の決定には、判断するのに多くの年数がかかることもあり、わずか2ヶ月程での再審決定はの判断は異例のスピードです。

東電OL殺人事件で冤罪となった「ゴビンダ」氏とは?現在の様子も

無期懲役の実刑判決を受けたことにより収監されていましたが、最終的には冤罪であることが明らかとなり自由の身となることができましたが、冤罪被害となったゴビンダ氏とはどのような人物なのでしょうか。現在のゴビンダ氏の様子について紹介していきます。

東電OL殺人事件の冤罪となったゴビンダ氏のプロフィール

一度は無期懲役となる有罪判決を受けるものちに冤罪であることが明らかになったのは、ゴビンダ・プラサド・マイナリという人物になります。出身はネパールのイラムというところになり日本に出稼ぎにきていたそうです。事件があったときには結婚をしていた為、奥さんと子どもさんがいらっしゃいました。

東電OL殺人事件の無罪確定後のゴビンダ氏

再審開始が決定されたすぐ後にゴビンダ氏は釈放されていますが不法滞在であったため、入管難民法違反により国外へ強制退去の処分となっており祖国であるネパールに帰国することになりました。再審が叶い無罪となった後はネパールのカトマンズで生活しており、2017年支援者からの呼びかけで再来日しています。

この時の再来日の際には、取材を受けたり東京都で行われた冤罪事件を繰り返さないためという集会に出席しており、二度と自分のような冤罪被害者を作られるようなことのない社会になればいい。素敵な国なのに日本には自分のような冤罪の被害にあっている人がたくさんいるなど語っています。

東電OL殺人事件の被害者「渡辺泰子」さんの生い立ち

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