花魁淵は山梨の最恐心霊スポット!そこで起きた凄惨な事件と心霊体験とは

心霊スポットとしては最恐とも言われる花魁淵。そこへ赴き怪奇現象に苛まれた人も少なくありません。特に女性は危険な目に遭うと言われています。一体そこではどんな現象が起きるのか?また、花魁淵と呼ばれる所以となった悲惨な事件とは何だったのか?詳しく説明していきます。

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花魁淵は山梨屈指の恐怖の心霊スポット!

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花魁淵とは、山梨県甲州市を流れる一ノ瀬川が、柳沢川と分岐する位置にある滝を指します。この滝は別名「銚子滝」とも呼ばれたり、天保13年に書かれた「玉川泝源日記」では「五十人淵」と呼ばれたりしています。この場所でかつて花魁たち55人が殺害されるという痛ましい事件があったと言い伝えられています。

現在は立入禁止の区域に

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国道411号が通っていたこの道は、長閑で山の雰囲気を楽しむことが出来ます。渓流釣り、トレッキング、ドライブなどで訪れる人が多く、新緑・紅葉の時期は特に人の集まる観光スポットとなっていました。

多くの人に愛される道ではありましたが、その地形も関係し事故が起きやすい場所のため、現在は立入禁止となっています。また「花魁淵」と呼ばれる所以に関係して、この場所は今も山梨県屈指の心霊スポットであり、多くの心霊現象も起きているのです。

花魁淵とは?名前の由来は?

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花魁淵という名前の由来は諸説ありますが、その中でもある悲痛な出来事からつけられたとされる説が有力で、広く浸透しています。由来とされる幾つかの説の詳細を、ご説明していきます。

花魁が化粧をしたような景色の美しさから

明治10年、水源地を作るために東京都の水道局員がこの地を訪れました。その時にこの景色を眺め、「いい淵だな。まるで花魁が綺麗にお化粧して店の前に出たようだ。」という例え話をしたことにより、花魁淵と呼ばれるようになりました。

花魁が大勢亡くなったことから

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その名の通り、花魁が実際に関係しているという説もあります。しかしそれは明るい内容ではなく、大勢の花魁がこの地で無残に殺されたことが由来であるとされます。

なぜ大勢の花魁が、この様な山の奥地で殺されならなければならなかったのでしょうか。

花魁淵で起きた凄惨な事件とは

花魁淵という名の由来となった悲しい事件について、詳しくご説明してきます。ちなみに花魁とは、遊郭の遊女の中でも位の高い女性のことを指します。

しかし、お金がないという理由で売られて廓に入る女性が多く、彼女たちは不遇な人生を強いられていたと言えるでしょう。花魁の生涯について興味のある方は、こちらの記事もご覧ください。

戦国時代に隠し金山で遊女を雇っていた

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戦国時代、この地は武田家の領地であり、金が採掘される「黒山金山」という場所でもありました。武田家おかかえの金山衆によって、この地から金の採掘が行われていました。

いつしか5,000人を超える程の大きな集団となった彼らの慰みとして、雇われた55人の花魁がこの地に集められました。

金山の労働者と遊女を口封じのため惨殺

武田家最後の頭首である武田 勝頼氏の死後、金山奉行 依田氏は隠し金山であったこの地の情報が漏洩することを恐れました。依田氏を主導に、秘密保守のためこの土地にいた労働者と花魁55人を、殺してしまう企てがなされたのです。

ある日、労いという名目で宴を開きました。藤蔓で吊って作った舞台を用意し、その上で彼女たちが舞を披露している最中に、藤蔓を断ち切り滝壺の中へと落としました。

重体の遊女たちを村人達も無視した

濁流の中へと落とされた花魁たちの中には、即死できずに痛みを抱え、傷だらけのまま下流へ流された人もいました。その殆どは流される最中に力尽きてしまいましたが、瀕死の状態で何とか村へたどり着いた人もいました。

しかし、武田家から「花魁たちを助けてはいけない」という命令が下っており、村人たちは助けることが出来なかったのです。これに対して花魁は「末代まで呪ってやる」という言葉を残した、という説もあります。

哀れな花魁たちのために

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目の前で死んでゆく花魁たちの姿に心を痛めた村人たちは、花魁たちの魂を慰めるための慰霊碑を作りました。現在そこは「おいらん堂」と呼ばれています。

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