胎児スープは現在も実在する?中国の歴史や事件からその真相に迫る

「胎児スープ」をご存知ですか?その名のとおり、「胎児」を使用したスープのことです。胎児スープはなぜ生まれ、何のために食されてきたのでしょうか?この記事では、「胎児スープ」の概要とともに、関連する事件についても紹介していきます。

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「胎児スープ」とは?

パッとみてみるとそのままの意味を捉える人が多いでしょう。ですが、その通りなんです。中国ではこのスープが飲まれているのは一般的でありました。それではこのスープについて詳しく調べていきましょう。

「胎児」を使ったスープのこと

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2007年の中国で流出した胎児スープ、通称「嬰児湯」ですが、あっという間にメディアでこの世の中に広まりました。胎児スープはそのまま胎児(両脚羊とも呼ばれる)を使ったスープで、この料理を提供するお店で「排骨:パイグウ」と頼むと出てくるそうです。パイグウとは骨のついたお肉といういみでもあります。

ネットで検索すると本当に胎児が入ったスープが映し出されていてらとても残酷で絶対に食べれないと感じてしまうほど、リアルなものをちらほら見ることができます。これを食べる中国人はなかなかのものですね。

使われるのは「女児の肉」

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今現在では人間を食するのは禁止とされているそうですが、昔は食べることができたそうで、材料は漢方薬と「女の子の胎児」、しかも6〜7ヶ月のあかちゃんだそうです。これを食べらのは富裕層の人たちなどで、一杯約5万円するそうです。どのような効能があるにしてもなかなか食べるのに勇気のいるお料理ですよね。

薬膳料理のひとつ

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この料理を食べに来るお客さんは大抵恒例の男性が多いらしいです。それは、このスープに強壮剤のような役割のある成分が含まれているからです。例えば栄養状態を向上させることができたり、あとは生き物であれば避けては通れない老化を遅らせることができると信じられています。

「胎児スープ」は嘘だった!?

やはり世の中にはあり得ることもあり得ないことも多々ありますが、胎児スープというのはなかなか現実味が湧かず、もとはネットを通して広まっていった情報でもあるので、信じ難いでしょう。それでは少し胎児スープについて探ってみましょう。

2009年、中国のインターネット上に広まる

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2009年に禁忌とされていた「胎児スープ」、この情報がインターネットにより世間に流出されました。そして莫大な反響を及ぼしましたが、この写真が写真屋さんなどでのプロによる合成されたものではないかと疑われたのです。ですが、普段簡単なことで動くはずのない公安がうごきはじめたのです。

公安が胎児スープを流した人を検挙

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中国では、多くのインターネット上に挙げられていることなど、細かなことまでは公安は簡単に動こうとはしません。ですが、この事件が起きた時に突然動き出したそうです。理由はわかりませんが、スープの情報を流した人を調べ上げたそうです。

普段簡単なことで動かない中国の公安が、一体どのような理由で働き始めたのでしょうか。謎多き中国でこの事件ははっきりされないまま終わりました。ですが、容疑者は偽造したと告白しています。何か裏があったのでしょうか。

中国公安部は「すべて捏造」との見解を発表

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中国公安部が調査したのは嬰児湯が実在していないと宣言するために、国で調査していました。中国の民族間で対立しあい、人の肉を食べる者とは一緒に生活することができないと考えられてしまい、中国が支配する民族の欠点、それはあってはならないとされ元々胎児スープのようなものは存在していないということを示す調査であったのです。

ですから、実際は「地元の小さなお店で提供されていたスープはあった」と信じている人もいる中で、国では「人肉は食べていない」と主張したいため、本当にその存在を完全に否定することは難しい状態となっているのです。

中国史に残る「胎児スープ」

人肉を食べているという存在事態を否定することが難しい中国ではありますが、中国の歴史を見てみましょう。胎児スープに関して記載されていることがわかっています。紀元前から食べる文化が発展されていることもわかっています。それでは中国の歴史について学んでみましょう。

『韓非子』にも記述がある

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中国には古い昔にカニバリズムといわれる、人間が人間を食べる行為や、習慣がありました。これは古い書物など昔の多くの文献に記述され、今現在までに残され続けています。そのうちの一つか「韓非子」です。

人肉料理

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韓非子に述べられている人の肉を使った料理はさまざまありましたが、今と変わらない料理方法で下味され使われていたとされています。たとえ肉でも人の肉を料理されていたのはおどろきですね。

醢(かい)

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かいとは塩につけた料理、全般を示す言葉でありますが、よく獣などをつかった料理のことを指す時もあれば、見せしめのためにつかう塩を防腐した遺体に対して、指す言葉でもあります。ということは人間を使った料理もかいとよぶことができるのです。

『三國志』にもみられる

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三国志は皆さんによくしられている、歴史でもあるかと思いますが、この三國志にも韓非子のように、人肉が使われていたと記されている文献でもあります。多くの文献で人肉が使われていると記述されていると、中国の文化は人を食すことをみとめなければなりませんね。

劉備玄徳

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おそらく一番有名とされる劉備玄徳のストーリーですが、彼は漁師の家に身を置かせてもらっていた時のはなしになります。その漁師の家にはおもてなしをするための十分な食材などかなかったようです。

そこで漁師は自分の奥さんを殺して、おもてなしの料理として使ったそうです。そらに関して劉備玄徳はとても感動し、三國志のなかではとても美しく、感動するような話として語り継がらています。

息子を料理した易牙

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易牙が登場するのは紀元前1046年ごろの、いまでいう山東省あたりの地域「斉」で語り継がれた話です。よくよくかんがえると三国志で登場した玄徳に関わった漁師や、易牙は人肉を人に提供する残酷さというより、身近な人を殺してしまう残酷さが目立ちます。

桓公

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