えたひにんとは
古代の本国から実在していた不適切な段階を、徳川時代に徹底した社会的立場の名前をいいます。ちなみに、これで一つの言葉ではなく、2つの別々のワードを合わせて作られた偏愛用語でもあります。
明治の時代には次第に薄れていき、表向き廃止されましたが現代でも問題が浮き彫りとなっている社会問題です。日本人が生まれ持っているであろう周りの目を気にしてしまう習性が、今でも不当な扱いとして残っているとされます。
決して昔に起こった出来事として片づけてはいけない事実であります。では、今までどのような弁別を受けて彼らは、生活を強いられてきたのかを当時に遡ってご紹介していきます。
江戸時代の身分制度最下層
現世は稼業の自由がありますが、仕事別に分けられた時代がありました。納税をする際に幕府が判別しやすいように階級の徹底化をさせたと言われます。
最も低い等級ですので彼らの扱いは冷酷なものでした。まるでロボットのような扱いを受けており自由という言葉がないほどの暮らしでした。
行動の制限、下駄は履いてはいけないと身に着けるものの禁止や、住まいは沼地や川沿いの湿った土地で屋根は設置してはいけないという酷いものでした。
人間らしい生き様を全て制約されて過ごした彼らにとって視覚に映る姿だけではなく、人生そのものを操ったかのような冷酷なものだったのです。生きている心地がしなかったことでしょう。
祭事への参加禁止などの差別
彼らは、たくさんのルールを強いられて生活をしていました。お祭りや神様を祭る行事などの参加は一切禁止とされていたのです。
現代でも名残がある村が一部存在し、ひっそりと集まって暮らしているとされます。祭りは一切部外者を入れない徹底した管理の下、催されるようです。昔に楽しめなかった分の楽しみを堪能しているかのようです。
現代よりも信教が強かったですので、神様への催しものは聖なるものとして崇められ特別な行事とされていました。めでたい結婚、最期のお別れでもある葬式への参列も許されなかったといいます。
どんなに強く願ったとしても、叶わぬものでありどんなに悔しい思いをしたことでしょうか。想像を絶する悲痛な思いを抱えていたことと思います。
本人らが命を落とした場合は、墓石は地中に埋まった状態しか許可されず生きている時も制約され、死しても日の当たる存在にはなれませんでした。
土に埋まっているせいで、一体誰の眠っている場所なのかさえ判別が難しかったのです。人としての扱いを受けていないと同等だったのでした。
江戸人口の1~2%が該当していた
ナンバーワンがお殿様です。次には7~8%を占める武家となりトップに仕えました。人口の多くが農家となり全体の85%ほどを占めていました。一部に商売者や職人も含まれています。
一番下に、彼らが占めています。戦国時代後期から身分を分別するルールの基盤のようなものが誕生し、江戸に身分として的確に制定されました。
人間以下の動く道具として扱われ、厳しく世間からは外れたグループとして与えられた命を過ごすしか方法はなかったのです。
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えたひにんが差別された理由
低い地位でも皆同じですから、生きるための自由が尊厳されてもいいのでは?と、現在の日本の思考に基づいて考えると疑問に思うところであります。
なぜ窮屈までに制限をさせたのでしょうか?これには風潮や神の教えが関係していたのです。理由について考察していきましょう。
えたひにんが差別された理由①人の嫌がる仕事をしていたから
罪人の処刑の補助や、生き物の死体処理を行って骨や皮を剥いで加工する賃金を得たり、絶命してしまって処理に困った牛や馬を貰い、肉は自分たちで食べて、皮は製品を作って生計を立てていました。
神の信心の教えによると、獣畜の皮や血液を扱うのは邪道と考えられていました。この背景があったことで民衆は嫌がったのです。
率先してやりたい勤めとは言い難い生業を代々就いていたため、近づき難い仕事の人たちという印象から始まって、次第に近づきたくない人と変化をしていき孤立を深めていったのでした。
えたひにんが差別された理由②宗教上の理由
敬神していた仏教で畜殺は善い行いとされていないため、自然と嫌われる対象となったのです。彼らは代々続いていた生活を送っていただけであり、世間との関りを絶たれていたために満足な学問を受けることすら許されませんでした。
勤めを変えようしても、教養はなく何をどうすればいいかさえも判断できなかったとされます。位という見えない鎖でつながれているために、自由に動くことすら許されませんでした。
仕方なく現状維持を全うしていかなければ食べていくことができないので、負の連鎖を断ち切ることが難しかったのでした。
「えた」と「ひにん」の違いとは?
別の分類として世間には浸透しておりました。違いとは、地位の差ではなく現存が違う人物として認識されていました。
両者ともデンジャラスな存在だと人々に認識されており、一線引かれた存在でいました。一言で危険だと言っても意味合いが異なっておりました。
えたは死体などを扱っていたことから感染症の恐れを心配されて、汚らわしいという印象から一目置かれていました。
もう一者は、自由に開放して生活させると危ないと認識されていて、管理下のもとで暮らすという扱いを受けていました。中には障害者も含まれており、要注意人物として見張られていたのです。
えたひにんの「えた」とは
現代のように衛生面が考えられておらず、手袋などしないで亡骸を扱っていました。当然肉を削ぐこともしたため、血もついたことでしょう。