「えたひにん」とは?江戸時代の身分制度の概要と苗字や地域の特徴まとめ

その後の彼らの姿について暮らしや現況を追ってみましょう。

えたひにんの現在①1871年の身分解放令で消滅

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今まで職や住まい、服装などの制限をされていたものが、身分解放令が作られたことで見えない鎖でつながれていたものが表向きはバッサリと切り捨てられました。

自由の身となったわけですが、現実はそう甘くないものだったのです。昔と同じ呼び方ではいけなくなり、形としては差別がなくなったようには見えました。

ですが現実の世界では、「差別はなくなったから、仲良くしましょう」とはいかず見えないベールは剥がれなかったのです。痛いほどに実感する見えない差別というラインを目の当たりとしたのです。

えたひにんの現在②部落問題は根強い

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実は現世でも同和地区への偏見が残っている厳しい現実があります。これには条例として差別撤去されたものの、元えたひにんは新平民と名付けられ、平民らから呼ばれたのです。

らだ呼び名が変わっただけで差別が残っているのも同然の扱いでした。よって新しく移り住んだ土地でも馴染めずに根強く偏見が残ったまま時代だけが過ぎ去っていくのでした。

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そして今でも強く残っているとされるのが、結婚と就職です。人生において大きなターニングポイントともなる問題は、消し去ることができませんでした。

恋仲となり一生をそう遂げようとお互いが強く願っても、家族同士の問題も関わってくるため本人たちが良くても親が毛嫌いする場合があります。

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貧困層を占めている割合が高いので、今以上の幸せを手に入れてほしいと願う親たちにとっては、それは我が子の幸せを願ってのものではありますが、子供にとっては苦しい差別を目の当たりとするのです。

恋愛や結婚の自由も認められず、相手に拒否されてしまえば歯向かうこともできない無力さを感じるのでした。

就職も同様で、貧困の為に満足のいく教育を受けていない人物が多いという認識が浸透してしまったため、優れた人材を熱望する企業への就業が難しいとされます。

自由を得るために動いた差別運動

冷酷な対応をされ続け、人としての自由が得られないため彼らは行動に移します。1922年に偏見されることなく自由に生きたいという強い思いから、水平社が設立されます。

条例では何ともならなかった自由と人としての権利を、自分たちで勝ち取り幸せな日々を送ろうと立ち上がり部落意識の解放を訴える活動がスタートしました。戦争が始まると自然消滅してしまいます。

えたひにんが住んでいた同和地区の問い合わせは増加の傾向

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同和地区とは、あまり聞き慣れない言葉ではありますが、現在問題視されているものです。明治のころに廃止されたものの、根強い偏見は日本人特有の意識が関係しているものとされます。

自分では選ぶことができない生誕する場所や、貧困層が多く住むとされる区画の出身と公で話すだけで弁別されてしまうことや、特に理由もないにも関わらず理不尽な住居区別問題を指します。

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時代を超えてもなお続く差別は、意外なところにも影響があったのです。ご紹介します。

えたひにんの同和地区の問い合わせは土地購入、結婚相手の身辺調査などが理由

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世界には人種、神への信仰心、性の違いから発生する差別や障害者弁別など、少なからず起こっているとされます。みんなが同じで共に生きていくためにと願って政府は定めた条例は表向きだけであります。

冷酷な偏見は、許される行為ではありません。ですが日本人の元々備えている血筋が避けられない規制といえるのを物語っているようです。全国の市町村の役所職員は異例の対応に手を焼いていると言います。

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多くは土地を購入したいが、同和地区はどこかという質問や、結婚相手の出生を知りたいから相手の戸籍謄本が取り寄せられないかといったものです。

あからさまに聞いても情報が得られなかった場合は、昔に世話になった部落の人にお礼が言いたいから、住所と名前が知りたいから教えてほしいなどと不透明過ぎる口実を作って、地域を知ろうとしてきた内容もあったのです。

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住まいは一生に一大決心をする大きな買い物です。より良い環境を求めてでの行動でしょう。同じく結婚も他人が家族として暮らしていくわけですから、身辺調査をしてどんな生い立ちだったかを知ることでより理解が深まるでしょう。

少なからず住居環境が影響している部分はあるかもしれませんが、やはり人としての内面を重視するべきであり、偏見をなくしていくことがより良い社会に発展するのではないでしょうか。

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見えない区別をすることで視野も狭まり心も乏しくなっていくでしょう。遥か昔に撤回された身分制度は現世でも形を変えて粘り強く残っているのです。

不動産業に携わる人も差別に参加

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分譲マンションを建設する予定土地に対し、どのような住環境かわからないから、調べておこうとする動きのあったことが明るみとなり、事件化した騒動も起こっています。

たまたま発覚したことであり、氷山の一角であると囁かれています。

えたひにんの同和地区は問い合わせても回答は得られない

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多くの問い合わせがあっても行政は応えることができません。それは差別に同意しているものとみなされるからです。2002年の年度末に同和地区対策事業措置部がなくなりました。

そして安易に他人の戸籍謄本を取り寄せることができないように制度を定めました。今でも必要な場合は、きちんと使い道を明記しなければ観覧できないようにされています。

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これは偏見がなくなったから撤去されたのではありません。多くの問い合わせがくる反面、対応できないことからです。

表向きはみんな平等であると掲げている社会ではありますが、住まいや結婚で周りを気にしすぎる人々がいなくならない限り差別はなくなることはないでしょう。

えたひにんの事件

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表向きは平等を掲げていますが、今でも根強く偏見は残っており、そのことで深く傷つき人間関係がうまく築けなくなってしまう人たちがいます。

自分ではどうすることもできない生誕の秘密から起こったトラブルをご紹介していきます。

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