その時、ガツンとものすごい音をたてて金属の塊が投げつけられました。とたんに報告者の身は自由になり、大蛇の姿もどこにもありません。
実は、この時の様子を自室から見ていた本物の姉が「弟に蛇の怪物が巻き付いている」と、とっさに文鎮を投げつけてくれたのだそうです。姉が助けてくれなかったらどうなっていたことか…と報告者は語ります。
濡れ女の歴史
今でこそ多くの有名妖怪に隠れがちですが、そもそも濡れ女は昔からよく知られた、古い歴史を持つ妖怪です。
花子さんやくねくねといった近年発祥の現代妖怪より、よほど貫禄のある存在なのです。では具体的に、この妖怪はいつから人々に認知されるようになったのでしょうか?
江戸時代から有名な妖怪
江戸時代に発行された画集、図画百鬼夜行(鳥山石燕)や百怪図巻(佐脇崇史)などにも、すでにその姿が描き残されています。
画集には天狗、やまんば、猫又など名高いポピュラー怪異も収録されていることから、彼らと肩を並べても恥ずかしくない存在と認識されていたことがわかります。
詳しい話は残っていない
ですがこれらの画集には妖怪発祥のルーツなどは掲載されておらず、他の古典資料にも詳細な記録は残されていません。特に「体が蛇である」という点は断定要素がなく、作家のイメージ画像だったものが、そのまま後世まで伝わっている可能性が高いと考えられます。
なお下記の記事にも、鳥山石燕らが描いた江戸時代の妖怪の記事があります。
藤沢衛彦の著書『妖怪画談全集日本篇上』で紹介されている
この妖怪に関する逸話が、民俗学者・藤沢衛彦氏の著書である妖怪画談全集(日本編/上)で紹介されています。場所は現在の新潟県と福島県の県境にあたるところです。
牛鬼に伴われ出没したものと違い、こちらは赤子を使って人間をだますことはしません。そして物語の舞台は海ではなく、とある川になります。
髪を洗っている女性を目撃する
昔、材木を取りにいくため若者たちが、川にいくつかの船を渡らせていました。ふと、はずみで一艘の船が流れから外れてしまいます。
はぐれてしまった船の者が戻ろうとあわてていると、岸辺に髪を洗う女の姿を見つけました。こんなところで?としばらくは訝しい気持ちで見つめていましたが、やがてあることに気づき、大きく叫びだしました。