二・二六事件を写真付きで解説|青年将校が目指した社会とは

昔の兵士らは自ら積極的にこれらの出来事に加担したわけではなく、上の者たちに言われざるままに従い、動いたのが事実です。「上の立場の人の指示は天皇からの指示と同じことだと思え」と教養させられてきたため、反抗することすらできない立場であったのです。

最前線に送られる

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事件の終止がつき、幸い生きる希望を持つことができた人たちは満州に送られることになります。そのあとの出来事はあまりよく知られていませんが、彼らは恐らく満州の地で血に滲み、もがき続けなければいけない苦しみがおきていたのでしょう。

多くの者たちが色んな場所へ派遣されてはまた違う場所に派遣され続けます。もちろんその中にも多くの死がつきまとうのです。この事件で天皇から賊軍と言われ、思われ続けてきた者たちは、天皇は一切の生きる術を許さなかったということが読み解けます。

 

終戦まで監視下に

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罪のない者たちにもとても残酷な結果となった出来事となります。事件が落ち着くまで兵達は身を捕らえられ、その上に調査までさせられていました。事件は終わっても身体、精神的に拷問のように終わるまで監視し続けられていたのです。

そして自ら兵に属すと言う人はほとんどいなかったでしょう。青年将校、上の者が法を犯しながらも反発することに対して止めることもできず、従うだけで同罪とみなされてしまいます。そんな彼らはどのようにすれば報いられる事が出来たのでしょうか。

もし二・二六事件が成功していたら?

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それでは少し想像を膨らましてみましょう。二・二六事件は結果的に統制派が天皇の手助けにより勝利したという歴史に残ることになります。もちろんそれのせいで軍の力も大きくなり、犠牲となった人も多く出て、生き残った皇道派は余儀なく満州に送られ苦しみを与えられてしまいました。

ですが、もし二・二六事件で皇道派の行動が倒されていたら、今現在はどのような法律、軍事と変わっていたと思いますか?なかなか難しいことですが、おそらくいろんな説が浮かび上がることでしょう。今回はその中でも少し想像を加えてご紹介いたします。

東条英機は権力を持たなかった

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おそらく皇道派がどこかへ追いやられたり死刑にあったということであれば、統制派も追放にあい、死刑にされる比率がたかくなったであろうとされます。ということは、東條英機が首相になることなど1ミリも無いといえることになります。

東條英機

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東條英機、彼は陸軍の軍人でもありながら政治に着手する有能な人物でありました。そして、二・二六事件では生き残った兵たちの監視役となり、身の上の調書をしていました。彼らの情報を丸々暗記し、着任していたそうです。より仕事熱心な人であったと考えられます。

陸軍学校

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また、東條英機は陸軍学校の教官としても働いていたため、隊の少尉、中尉の陸軍大学を受験する人に対して、隊の任務を減らし、勉強に努めてられるように手配したとされていて、とても愛のある先生でもあったとされています。今現代にもいて欲しいような存在であったのですね。

太平洋戦争は起きなかった

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統制派が勝つことにより軍の力が強まったことは以前お話ししましたが、これがきっかけで太平洋戦争に導いたとされています。と言うことは、その逆でもし皇道派が主位に立てば軍事力はつよまることはなくなる、そして太平洋戦争には導かれないということになるので、戦争は起きないということになります。

昭和天皇

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昭和天皇の戦争に対しての責任を追及する意見は賛成派も反対派もそれぞれいますが、賛成派に対しては、その戦争における多くの犠牲者、要するに侵略したときの犠牲となった中国、日本全国民の被害者、その他アジアや巻き込まれてしまったアメリカ、そして軍事に関係した人々に対することで訴えられます。

多くのものが亡くなり被害にあったにもかかわらずということが原因です。一番よく知られているのはポツダム宣言に関してのことでしょう。約15年間にわたったとのことで、ポツダム宣言を受諾しないことにより被害にあったという時もありました。これらは天皇は退位すべきだという事で問われ続けていました。

天皇の責任により天皇制廃止も

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前者でもご紹介した昭和天皇ですが、天皇の下した決断により多くの犠牲者が、日本国内の一般市民や軍だけではなく海外にも影響を与えたことをきっかけに、天皇の即位という行為が廃止、禁止される場合もあったということです。

もちろんこれは誰もが簡単に考えることができるかと思いますが、日本のトップに立つ人が周りに迷惑をかける、市民を守れないというのであれば、上に立っている意味がありません。むしろ国の崩壊になり得る可能性も出てくるのです。そうなれば天皇はいなくなるという考えも出てきたのではないでしょうか。

二・二六事件にまつわる遺品20品が見れる施設

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皆さんは今までに博物館などに行ったことがありますか?そこには多くの昔に起きたことや、その時に使われていたもの、昔に関する証拠が多く置いてある建物でもあります。そこから本当に存在していたと確信できるものでもあり、なかなか感動与えてくれるような場所でもありますよね。

では、二・二六事件に起きた時に使われた、遺品はご存知ですか?おそらく探せば簡単に見つかるのかもしれませんが、今回はこの遺品の寄贈についてご紹介したいと思います。なかなか貴重である品物が展示されている、興味のある方は是非その地に赴いてみるのもいいかもしれませんね。

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