アナタハンの女王事件の真相!女王蜂こと比嘉和子の人生とその後

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小野田寛郎という日本人男性は、1974年、太平洋戦争が終結して29年後にルバング島という島から帰国した日本兵です。小野田さんは1944年にフィリピンへと赴任し、ゲリラ戦を指導する役目を受けます。以来、小野田さんは役目を全うする為、終戦を信じず29年間もルバング島で過ごす事になります。

帰国後の人生

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29年間、終戦を信じず戦い続けた小野田さんは元上司である男性の作戦任務解除命令受けてやっと帰国する事になります。帰国後はブラジルへ渡り、牧場を経営したり、小野田自然塾というキャンプを開設したりと、様々な活動を行い、帰国後約40年後に壮絶な人生の幕を閉じます。

アナタハンの女王事件の類似事件①ピトケアン島で発生した殺し合い事件

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アナタハン女王事件と似たような事件が、ピトケアン島という島でも起きてしまいます。この事件も無人島に行き着いた人々が生き残っていくためにサバイバルをしていくという内容になっています。

また、男性同士による女性の奪い合い等の内容も含まれており、アナタハン島事件と同じような内容となっていますが、1つ違う点と言えるのが、島にいた女性は1人ではなく複数人存在したという点です。

バウンディ号事件の反乱事件が原因

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ピトケアン島事件の原因はバウンディ号事件の反乱によるものとされています。18世紀後半にイギリスは北アメリカ植民地に食料供給頼りにしていましたが、アメリカ独立戦争がきっかけとなって食料供給がストップしてしまいます。

食料供給が途絶えてしまったイギリスは西インド諸島にパンの木を移植させる為、バウンディ号を使って輸送する事にします。輸送中、水平達が何らかの原因で反乱を起こし、一部の搭乗員を追放させてしまいます。

タヒチ女をめぐっての殺し合いが発生

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反乱を起こした水平達はタヒチに戻りますが、反乱は重い罪となる為、身の安全を守る為にタヒチの女性12名、男性6名で再びバウンディ号に乗って逃亡し、ピトケアン島にたどり着きます。ここからサバイバル生活が始まります。

島に着いた男性達はお気に入りのタヒチ女性をめぐって殺し合いを始めてしまいます。男性達が女性の取り合いをしている中、奴隷要員として島に連れてこられたタヒチ男性が女性に手を出してしまった事で事件は更に激しくなっていきます。

報復として殺害が続き犠牲者が増えた

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奴隷要員のタヒチ男性が女性に手を出してしまったという事で、水平達は報復として島に在住しているタヒチ男性全員を殺害しようという恐ろしい計画を立てます。そして水平達は実行へと移り、タヒチ男性を全員殺害してしまいます。また、水平同士でも争いが起き、殺人はエスカレートしていきます。

事件の終了

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バウンディ号の反乱事件が引き金となってピトケアン島にたどり着いた複数の男女は18年後、アメリカの捕鯨船が島に着いた事によって発見されます。大勢いた人数は最終的にタヒチ女性10名、子供が23人、水平男性がたった1人という人数にまで減っていました。現在では6組の家族がピトケアン島に住んでいるとされています。

アナタハンの女王事件の類似事件②雪山「SOS」遭難死事件

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ピトケアン島事件の他にも、遭難という点ではアナタハン事件と似たような事件が雪山SOS遭難死事件です。この遭難事件は、大雪山山系旭岳で起きた遭難事件であり、解決したとされていますが、謎が残る点がいくつかあり、一部未解決のまま現在へと至ります。ここからはこの北海道遭難事件についてご紹介していきます。

北海道の謎の遭難事件

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事件が起こったのは、1989年7月24日の事です。場所は北海道の雪山にてある人物が遭難に合いました。地元の警察は搜索の為、大雪山山系旭岳辺りをへリコプターを使って向かいます。そして登山道から少し外れた場所にて不可解なものを発見します。

誰が作ったのかわからないSOSの文字

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北海道警察がヘリコプターにて発見したものは、倒木で積み上げられたSOSという文字です。文字の一辺は5m以上もあり、かなり重労働をして作られたとされています。その後も搜索が続けられ、遂に遭難者が発見されます。

警察は遭難者にSOSの文字について尋ねると、なんと遭難者は身に覚えがないと話し、誰があの文字を積み上げたのか分からない状況になってしまいます。ここで警察はこの遭難者の他にもまだ遭難している人がいると判断します。

遭難者の遺骨が発見された

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北海道警察は他にも遭難者がいると判断し、翌日再び搜索を続ける事にします。すると男性の白骨死体と男性の荷物、テープレコーダーが発見されます。レコーダーには男性の声で助けを呼ぶ声が入っており、崖の上にいるので動けないと話しています。

崖の上で身動きが取れないとテープレコーダーには録音されていますが、よくよく調べてみるとSOS文字付近には崖がなく、不可解な点がいくつか挙がりました。結局事件は一部解決という事で、現在に至ります。この事件のより詳しい情報はこちらから。

アナタハンの女王事件は終戦間際に起きた遭難事件

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アナタハン女王事件は終戦間際に起こった悲しい事件となります。戦争が起きなければ、比嘉和子や大勢の男性達はアナタハンで巡り会う事はなかったかもしれません。様々な運命が巡り合わさって男女は出逢ってしまい、悲惨な事件へと発展していってしまったのです。

小さな島でたった1人しか女性がいないという状況で見事生き抜く事ができた和子は誰よりも生き抜く力を身に付けていたのです。また、様々な報道陣によって批判を浴び続けましたが、最終的には愛する人を見つけ、女性として幸せな時間を過ごす事が出来たのです。

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