アナタハンの女王事件の真相!女王蜂こと比嘉和子の人生とその後

アナタハンの女王事件とは終戦間際に太平洋の孤島、アナタハン島に遭難した男女が漂着したことで起きた事件です。31人の男性が1人の女性・比嘉和子をめぐり殺人を起こしたことで有名です。比嘉和子は帰還後にアナタハンの女王と呼ばれ、悪女のレッテルに苦しみました。

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アナタハンの女王事件とは

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この物語は太平洋戦争中の1945年から始まり、終戦後となる1950年までに起きた実話の殺人事件となります。殺し合いをした31人の男性は最終的に19人生き残り、残りの12人は死亡、あるいは行方不明とされています。

この世にも恐ろしい事件はその壮絶な内容から、後々ノンフィクション映画化や書籍化、ハリウッド映画化、更にはこの事件をモデルにしたマンガまで登場していき、約70年経った現在でも人々に語り継がれる事件となっていきます。

アナタハンの女王事件の舞台

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壮絶な事件の舞台となったのが、アナタハン島というサイパン島から少し離れた位置に存在する島です。この島は縦の長さがおよそ9キロ、幅が約4キロという小さな島となります。ちなみに北部付近の諸島の中ではパガン島という島の次に大きい島と言われています。

アナタハンとはどんな島か

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事件の舞台となったこの島は、サイパン島の北の方に存在する孤島であり、この島には約70人の原住民と、南洋興発株式会社の社員で現地でヤシ農園を経営していた日本人男性、その部下となる男性、そして主人公となる和子が住んでいました。

洋興発株式会社とはどんな会社か

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比嘉和子の夫である男性とその上司にあたる男性は、南洋興発株式会社の社員として働いていました。この会社はかつてサイパン島に存在していた会社であり、南方への日本経済進出や、日本国の無産農民を導入した開拓の推進を主な目的として1922年に設立された会社です。

アナタハンの女王事件が起こった時代

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事件が起こった1945年、当時は太平洋戦争の末期であり、同年8月15日の正午に玉音放送が流され、戦争は終結されました。島にいる生存者達は終戦した事に気付かず、まだ戦争は続いているものとして過ごしていました。

終戦後、何度かアメリカ軍がこの島へ終戦の知らせを伝えに行く事になりますが、島に残っている男性達は誰一人として信じる事がなく、呼び掛けに対して頑なに拒否をして島に残る事になります。

アナタハンの女王事件の概要

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太平洋戦争が終結に向かった同年、アナタハン島という小さな孤島では、人間同士が殺し合うという衝撃的な事件が起こります。この孤島だけある意味戦争が続いている状態となっていました。ここからはこの事件の概要についてご紹介していきます。

31人の男が漂着した

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1944年、日本海軍の船、計3隻がサイパン島付近を南下している所、米軍の攻撃を受けてしまい、3隻全て沈没してしまいます。攻撃を受けた31人の生存者達は必死に泳ぎ続け、島へと無事漂着します。島に漂着した生存者は日本兵士10名、船員21名の31名となります。

島に到着した時点では31名の生存者でしたが、帰国する頃には19人にまで減っており、約3分の1の人数となっていました。残りの13人は不審死、あるいは男同士の争いによって消えてしまったのです。

女王と呼ばれた比嘉和子

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彼女は1922年に沖縄で生まれ、南洋興発で働く男性と結婚をしました。ちなみに夫となる男性も同じく沖縄県出身とされています。そして夫の転勤に伴い、夫婦揃ってこの島へと移住する事になります。この移住がきっかけとなって二人の運命は大きく変わる事になり、和子に関してはその後多くの人々から好奇な目で見られるようになります。

アナタハン島での満たされた生活

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戦争が終結され米軍の空襲もなくなった頃、島に残っている生存者達は海で魚を獲ったり、果物を栽培したりと、食料には不自由ない生活を送っていました。また、ヤシを利用したお酒も作るようになり、酒盛りなども行うようになります。更に島に墜落した米軍のB29機を発見し、その中から大量の缶詰や拳銃も発見するようになります。

発見された拳銃は、最初は使いものにならない程破損していました。しかし、1人の男性が何とか修復させ、2丁の拳銃を作り出す事に成功させます。この拳銃がきっかけとなって事件が始まってしまいます。

唯一の女性和子をめぐって巻き起こる殺人

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まず始めに3人の男性に関係を迫られる事になります。3人の男性それぞれと肉体関係を持ち、数日経った頃、3人の間で和子の取り合いが始まります。1人は射殺、もう1人は溺死という不審な死に方となります。これは序章に過ぎず、肉体関係にあった3人の男性以外の男性達も和子の取り合いで殺し合いを始める事になります。

事件後、当時島で遭難していた男性の話しによると、当時の格好は上半身裸で下半身は落下傘の布を使用した手作りのブラウスのみだったと証言されています。小さな島で女性が1人こうした格好をすれば男性達が争うのも無理はありません。

殺人を止めるため男たちは和子の殺害を計画

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当初31人いた男性は23人まで減り、このままでは争いが終わらないと考えた生存者達は、彼女を殺害しようと会議を開きます。彼女を殺害すれば争いは消え、殺人もなくなり、平和な日々が訪れるだろうと考えたわけです。

この会議に参加していた1人の男性は彼女にこの事実を伝える事にします。事実を聞いた彼女は、もし見つかってしまえば殺されると思い、すぐに男性達のもとから逃げる事にします。ここから彼女は孤独と戦いながら生きていく事になります。

米軍に保護され先に帰国した和子と漂流者家族の動き

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逃亡生活をしている頃、タイミングよく米軍が島に到着したのに気付き、投降して帰国する事になります。帰国後、島でどういった事が起こったのか状況を話し、まだ漂流者がいることも伝えます。漂流者の家族は島に取り残された身内を呼び戻す為手紙を何通も出し、帰ってくるように呼びかけます。手紙は200通以上出されたと確認されています。

漂流者たちは終戦を信じななかった

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米軍は島にいる漂流者達を拡声器で投降するよう呼びかけますが、誰も信じようとはしませんでした。拡声器のほか、終戦のビラなどもまいて投降を呼びかけますが、それでも漂流者達達はアメリカ軍による戦略であると勘違いし、相変わらず終戦を信じようとしませんでした。

事件の終了と事件後の和子

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