【竹内愛美】実弟を殺害の酒々井バラバラ殺人事件の動機と判決と現在

竹内愛美は2016年の千葉県酒々井町で起きた殺人事件の犯人です。竹内愛美は実弟を包丁で刺した後、バラバラに切断していました。殺害後も普通に暮らしていた竹内愛美の行動はサイコパスと言えるでしょう。今回は竹内愛美の生い立ちや殺害動機についてまとめてみました。

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竹内愛美とは?どんな事件を起こしたの?

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同居していた実の弟(当時21歳)の足を包丁で刺しそのまま放置して死亡させた後、遺体をバラバラにしてそのまま自宅に放置していた事件になります。まだ若い実の姉が血のつながった弟を殺害しただけでなく遺体を細かく切断するという残虐な犯行に及んだ事件となります。

一緒に暮らしており特に姉弟の仲は険悪と言えるような状況ではなかったとの周囲の声から、何故このような犯行が起きたのか当時はニュースで大きく取り上げられていた事件になりますが、捜査が進んでくるにつれ幼少期の家庭環境や弟との姉弟仲など様々な疑問や問題点が見えてきた事件になり、様々な意見や噂などが出てきた事件です。

竹内愛美が起こした「酒々井バラバラ殺人事件」の概要

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竹内愛美が実の弟を殺害したこの事件の根本的な問題は、姉弟間の確執によるものですが、事件の背景には複雑な面があります。事件が発覚したのは被害者の友人が感じた違和感と不審感でした。時系列に沿って紹介していきます。

竹内愛美の起こした事件概要①2016年竹内涼さんの切断遺体が発見

ある1つの家から男性の遺体が見つかった事が事件の発端となります。諒さんのSNSの更新が途絶えていたことや音信不通となり連絡が取れない事を心配した友人たちが家を訪れたことがきっかけとなります。訪ねてきた竹内諒さんの友人の対応をしたのは一緒に暮らしていた姉でした。

弟は不在であると友人を帰そうとする姉に対して、友人は違和感を覚えそうです。家に入れてもらえず追い返されてしまったことから不審感が増した為友人は警察に介入してもらうべく通報をしています。警察の立会いの下家の中を調べたところ諒さんは殺害されており、その体はパーツごとに切断された状態でした。

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諒さんはよくSNSを利用していた為、急に更新が止まった等の些細な心配から事件は発覚しました。諒さんの友人が姉の対応に違和感を感じることなくそのまま帰っていれば遺体の発見や事件が明るみになるのはもっと遅れていたことになります。

竹内愛美の起こした事件概要②遺体は細かく切り分けられていた

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友人の通報により警察が家の中を確認したところ殺害されている弟を発見し事件は明るみなりました。しかしその遺体は目を背けたくなるほどの異様な状況でした。弟の遺体は頭、両腕、胴体など部位によって細かく解体されており、リビングに置いてあったビニール袋に入れられていたそうです。

諒さんの遺体は発見時死後2週間ほど経過している状態だったと言われており、諒さんと連絡が取れなくなった時期と一致していました。姉の竹内愛美は弟の遺体と一緒に生活していたことになりますが、どのような考えで日々を過ごしていたのでしょう。

竹内愛美の起こした事件概要③犯人は実姉

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遺体発見の翌日、実の姉が死体損壊など2つの罪で逮捕となります。逮捕された姉は遺体が発見される2週間ほど前に弟を刺して死亡させたのも遺体を処理したのも自分一人で及んだ犯行であると供述しています。

ところが、切断された体の状況や一部皮が剥がされているなど異質ともいえる状況だったため、女性1人が行うには異常で信じられないという意見や、女性一人で成人男性を切断するのは難しいのではなどの声もあり1人でやったとの供述に疑問の声もあります。

竹内愛美の起こした事件概要④姉弟仲が良くなかった…?

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共同生活で姉弟と2人だけで生活していたのに、実の姉が弟を殺害した残忍な事件ですが、周囲の人からの話では一緒にいるところを何度も見ているから仲は良かったのではと話す人もいました。しかし別の人の話では事件が起きる前から二人の仲は徐々に悪くなっていったようだと証言する人もいました。

それは被害者の弟がSNSや友達に「2人で暮らしているけど生活用品は2つあって別々に使用している」や「姉が嫌だ」等と話していることがあったとの証言もある為、姉弟の仲は良好とは言えなかったことが推測できます。

竹内愛美の生い立ち

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実の弟を包丁で刺した挙句遺体を切断して自首することも遺体を処理することなくそのまま家に放置していた姉の竹内愛美はこれまでどのような生活をしていたのでしょうか。犯人の生い立ちや家族構成の他にも、家族との関係や学校での様子などについて項目ごとにわけて紹介していきます。

竹内愛美の生い立ち①竹内家の長女 、学校では好印象

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4人姉弟の長女として1991年に生まれています。2つ下に次女の妹、4つ下に被害者となった弟、7つ下に三女の妹がいます。高校時代は陸上部に所属しており、同級生の話では、部活・勉強ともにしっかり一生懸命取り組む子できちんと両立していた明るい性格の活発な女子高生だったといわれています。

母親からの虐待や父親の育児無関心など家庭環境に問題があったとは想像できないような高校生活を送っており普段から明るく活動的な性格をしていて何事にも真剣に取り組む姿勢を持っていて、周囲の人間からも好印象を受ける人柄で友達も多かったと言われており普通の女子高生であったことが伺えます。

竹内愛美の生い立ち②父親は精神疾患を抱えていた

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学校では友人も多く部活と勉強を頑張る生徒でしたが竹内愛美ですが、家庭環境はあまり上手くいっていませんでした。父親が2008年ごろから精神的に不安定になり仕事を休職し自宅で療養生活をしていたと言われており、父親が自宅で自殺未遂をして救急車で搬送されるようなこともあったそうです。

父親は情緒不安定で1日の殆どを自分の部屋で一人で過ごしていたと言われていますが、精神疾患を患う前から父親は子どもに対して無関心であったと言われています。家族と一緒に生活をしていた時期も生活リズムが違っており子どもたちと顔を合わせたり、会話をすることもなかったそうです。

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事件が起きる数年前に父親は他界していますが、子どもが一緒に暮らしていましたが孤独死だったとの話があります。家族が一緒に暮らしているにも関わらず誰にも看取られることなく孤独死することが同居孤独死となります。

父親が子どもたちが小さいころから子どもに無関心だったように、子どもも父親に無関心だったようでお互いの様子などに興味がなかったため、同居していましたが一人で死を迎えた孤独死であると言われています。

竹内愛美の生い立ち③母親からの虐待

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竹内愛美の母親は子どものしつけにとても厳しかったと言われています。それは通常の家庭においてのしつけの域を超えておりただの母親のヒステリックだったと言う人もいます。叔父の話によれば子どもたちがまだ小さい時から頭を叩いたりよく怒ったりするなど体罰を加えていたと証言しています。

幼少期からの行き過ぎたしつけが虐待となり手を挙げるなどの行いが子どもたちの人格形成や人間関係の構築などに影響を与えたことは想像できることであり、子供たちと母親との間には大きな溝と確執があった事が容易に推測できます。

竹内愛美の生い立ち④両親が離婚し、家族がバラバラに

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当初は両親と竹内愛美を含めた子ども4人の6人家族でしたが、両親が離婚したため母親が酒々井の家から出ています。母親からの虐待があった為、4人の子どもたちは母親に着いていくことはせず、そのまま父親と暮らすことを選んでいます。

ところが、両親の離婚から2年後、7歳下の一番末の妹が父親の家から出て母親の元で暮らすことを選びます。末の妹が家を出てからは父親・自分・弟・次女の4人で暮らしていましたが、2014年に父親が他界し父親の葬儀が終わると次女も家を出たため、その後は姉弟2人だけで生活していました。

竹内愛美の生い立ち⑤大学を中退し家計を支えていた

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両親が離婚し、父親が情緒不安定のため仕事を休職しており経済力はゼロに等しい状況でした。そのため、大学を中退し父親の代わりに家庭を支えていました。自分の生活は節約し、学生だった2人の妹や弟の諒さんに携帯や服などを買ってあげていた優しい姉だったそうです。

スーパーで仕事をしていたり、イラストが趣味だった為キャラクターデザインで副収入を得る等、自分を犠牲にしてでも弟や妹の親代わりとして懸命に働き仕事態度もとても真面目で人当りもよかったと言われています。

竹内愛美の殺された弟がもっとも虐待を受けていた?

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