「働いたら負け」の元ネタとは?発言者の現在や派生ネタなど紹介

ニートという言葉が誕生したのは1999年のことですが、それよりもずっと以前、言ってしまえば紀元前からニートの定義に当てはまる若年の無職者は存在しています。古今東西のかつてニートだった歴史上の人物を紹介します。

ユリウス・カエサル

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「来た、見た、勝った」や「ブルータス、お前もか」などの名言で知られる古代ローマの軍人ユリウス・カエサル。名門貴族の生まれであり、そもそも身分的に働く必要はなかったのですが、若いころの彼は自由気ままに放浪した挙句莫大な借金を作ってしまうという中々の問題児でした。彼が歴史上で活躍をするのは40歳を過ぎてからのことでした。

ニーチェ

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「神は死んだ」という名言や多数の著書を世に送り出した、ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェ。元々は大学で教授をしながら執筆活動をしていましたが、病気のため退職。その後は大学の年金を頼りに引きこもって執筆に専念するようになります。「ツァラトゥストラはかく語りき」などの彼を代表する著書はこの引きこもり時代に書かれました。

アドルフ・ヒトラー

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ナチス・ドイツの独裁者として悪名高く、日本では美術大学に落選したなどのエピソードや「総統閣下シリーズ」で面白がられているアドルフ・ヒトラーですが、彼も若いころは豊富にあった父親の年金のおかげで働かずに生活を送っていました。その後第一次世界大戦の開戦とともに軍隊に志願し、独裁者としての道を歩み始めます。

ゴッホ

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「ひまわり」を始めとした名作絵画を作り出したフィンセント・ファン・ゴッホですが、彼の作品が生前に評価されることはほとんどありませんでした。絵が一枚も売れず、さらにゴッホは他の仕事をしていたわけでもないためニートと呼べる状態のまま日々を過ごし、そのまま37歳という若さで亡くなってしまいました。

ダーウィン

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進化論の提唱者として現代生物学の基盤を築き上げたイギリスの自然科学者チャールズ・ダーウィンも、若いころはニートと呼べる時期を経験していました。しかし彼の場合は病弱であったため、働かないというよりは働けないという状態でした。

それでも実家からの手厚い仕送りがあったため定職に就けずとも生活に困ることはなく、自分の好きな研究に専念することができ、病気と闘いながら広く知られているような業績を残すことができました。

劉邦

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漢の初代皇帝として知られる劉邦ですが、若いころは家業を手伝わず毎日酒を飲んで遊び呆けるというニートな日々を送っていました。しかし彼は弱きを助け強きをくじく任侠者として有名であり、多くの人から慕われていました。そのような人間性があったからこそ、民衆の大きな支持を集めて中国統一を果たすことができたのでしょう。

南方熊楠

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日本の人物では、博物学者、生物学者である南方熊楠がいます。粘菌を始めとした菌類の研究で大きな業績を残した人物ですが、大学などの研究機関に一度も籍を置かず、生涯を在野の研究者として過ごしたため収入がありませんでした。研究費などは弟から援助してもらっていたようです。

世間を震撼させたニートの名言「働いたら負け」

1人のニートが発したこの言葉は、かつてはネタとして、現在ではあまり笑えない深刻な現代社会の問題を指摘する言葉として世間に大きく広がっていきました。たった一言ながら奥深いメッセージのこもったこの言葉は、まさにネット史に残る名言といえるでしょう。

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