【フーディーニ】世紀の奇術師の生い立ちや霊界からの暗号の謎を徹底解説!

フーディーニとはアメリカで1900年頃に活躍した奇術師です。フーディーニは没後数十年経つのに関わらず、今でもアメリカで最も有名な奇術師として名が上がります。そんなフーディーニはサイキックハンターとしても活躍しました。数奇な人生と霊界からの暗号を徹底解説します。

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フーディーニとは

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皆さんはこの言葉を聞いて何を連想しますか?知っている方でしたら直ぐに何を指しているのか理解できるはずですが、知らない人であれば何を指しているのか分からないでしょう。初めに言葉と表現させていただきましたが少し語弊があります。本来は名前や名称に分類されるものなのです。では何の名前なのでしょうか?

この名称、名前が元ネタとなったブランドやキャラクターも存在するので、そちらをご存知の方もいるかもしれません。実は世界を代表するアメリカ合衆国の人間であればほとんどの方が知っている、『あるポピュラーな人物』なのです。世界的にも日本人であってもある分野に精通している人であれば、絶対に知っていると言っても過言ではないそんな人物です。

伝説の奇術師

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ではある分野とは何の分野なのでしょうか?それは一種のパフォーマンス、大道芸、大衆演劇の一つと言われています。最近ではテレビでも特別番組として放送されることがしばしばあり、日本人であれば『Mr.マリック』や『マギー司郎』と言った人物があたります。もうお分かりですね、その分野とは『マジック』や『手品』なのです。

そして今回ご紹介していく人物は『史上最高のマジシャン』『伝説の奇術師』と言われており、また代名詞となっているくらい凄い人物なのです。故にアメリカ合衆国では一番有名であり誰しも知っているのです。残念ながらこの人物は既にこの世を他界しております。彼は19世紀後半から20世紀前半に活躍し、全世界を魅了したスーパースターなのです。

「脱出王」の異名をもつ

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〇〇王と聞いたら何を想像しますか?日本人であればあの大人気漫画の『海賊王』だったり野球界の『ホームラン王』である王貞治さんなんかが思いつくのではないでしょうか。現在から100年以上前にマジシャンの旋風を巻き起こしたこの人物の異名は『脱出王』なのです。何でこんな異名が付いたのでしょうか?

後述でも詳しくお話しさせていただきますが、実は彼は『マジック』『イリュージョン』の中でも最も本領発揮したのは、ありとあらゆる困難な状況、抜け出す事ができない所から、文字通り魔術を使ったかのように、簡単に脱出してしまう。そんなジャンルのスペシャリストだったのです。具体的にどんなパフォーマンスだったか後程分かり易く解説します。

フーディーニの生い立ち

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彼の摩訶不思議なイリュージョン、説明できず納得のつかない魔術の数々をご紹介する前に、まずは彼の少年時代やこれまでの経歴といった『生い立ち』について解説していきます。どんな偉人や歴史上の伝説の人たちも功績や成果を語り知る前には、必ずと言っていいほどその人物の生い立ちを先に語り知っておかなくてはならないのです。

果たして全世界を震撼させ、拍手喝采を貰い、未来永劫『伝説のマジシャン』と称され続けるであろう彼はどんな地で生まれて、またどんな環境で育ったのでしょうか?また彼はいつから魔術師を意識して目指したのでしょうか?そんな大変気になるところをこれから一つ一つお話ししていきます。

フーディーニはオーストリア生まれで4歳でアメリカに移住

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彼は19世紀後半1874年『オーストリア』にて『ヴェイス・エリク』という名(本名)で生まれました。オーストリアと言えば古来より音楽の聖地で知られる首都ウィーンやドイツ語で話されている事が知られていますが、彼が生まれた地はかつてのハンガリーの首都で、現在でも多くの世界遺産や名所が多いことで知られている『ブタペスト』なのです。

実は上記の事実が判明するのは彼が亡くなった数年後の事で、彼は生前アメリカ出身と公言していました。彼はまだ物心がついていない幼少期時代に、生まれた地から当時から有数の先進国であったアメリカ合衆国に移住することになるのです。そして彼は生涯の一生をアメリカで過ごす事になり、アメリカの伝説のマジシャンとして名を馳せる事になるのです。

フーディーニ家では多言語が使われていた

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当然幼少期時代に違う国に移住することになれば、その国で生活していくためには新たな『言語』を覚えなくてはなりません。更に彼のご両親はもともとオーストリアの人間でありましたが、そこでも更に言語が細分化されていたので、現在のドイツ語、ハンガリー語の両方で会話が行われていました。それ故にアメリカで生活し始めてからは、色々な言語の言葉が飛び交っていたそうです。

この辺りから既に他の人とは違う異色な人物の片鱗を見せ始めていますが、この後さらに色濃く『伝説のマジシャン』としての人物が形成されていきます。果たして彼はいつマジックや手品に興味を持ち、人生のテーマにしていったのでしょうか?次にそちらについてお話ししていきます。

フーディーニはマジック本からマジシャンを志す

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彼は16.17歳つまりは高校生くらいの年ごろの時に、日本であれば口寄せと呼べるような、この世の森羅万象の意思や魂と通じ合い超能力を生み出す『霊媒』のマジック本に興味を持ち愛読するようになりました。その本には原理やタネが分からないと、奇想天外な現象が起きていると錯覚してしまうイリュージョンのトリックが事細かに掲載されていたのです。

その中でも彼の目を引いたのは、後に彼がその道のスペシャリストとなった『脱出』の元になったであろうイリュージョンの原理やテクニックでした。そしてこれが彼が魔術師を目指したきっかけとなったのです。世間的に知られてる彼の名前は、実は実名ではなく芸名なのですが、その名称は当時、世界的知られていたアメリカとフランスのマジシャンの名前を組み合わせたものです。

フーディーニの得意技①脱出芸

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後に伝説となりスーパースターとなった彼の生まれ故郷や家庭環境などの生い立ち、そして彼の名前の由来や『マジシャン』を目指したきっかけとなった出来事などについてお話ししてきました。彼の幼少期時代や少年時代の事についてはよく理解して頂いたのではないでしょうか?次にいよいよ彼の真骨頂であるイリュージョンについて詳しくお話ししていきます。

まず最初に彼の真骨頂であるパフォーマンスの一つである『脱出芸』について解説していきます。ありとあらゆる困難な状況、抜け出す事ができない所から、まさに魔術を使ったかのようにエスケープするイリュージョンは複数種類があったのです。それらを順にどんな内容でどんな技であったか、状況が想像できるように詳しく説明していきます。

フーディーニの脱出芸①手錠外し

彼は一流のマジシャン、パフォーマーとして知られていますが、実は鍵解除、ピッキングと呼ばれるような技術に長けていたそうです。そこで彼は警察や警官が所持していて、犯罪を犯した犯罪者や犯人の身動きを封じ捕らえるための『手錠』を用いて、あるイリュージョンを考え付きました。それが後に彼の代表技となるのです。

そのイリュージョンとは国々によって異なる実際の刑務所や収容所で、本当に逮捕されるように『ホンモノ』の手錠を掛けられ牢屋に閉じ込められた状況から、まるで魔術を使ったかの様に、正に『プリズン・ブレイク』してしまうという芸当です。その時代テレビはないものの、観客席に座って彼の芸当を目の当たりにした人々たちは驚愕し、一躍話題となりました。

ある疑いが生まれた?

一部の世間や記者からは、その刑務所や収容所と口裏合わせしてグルになっていたと囁かれていましたが、多くの国で異なる環境で幾度も成功しているので、恐らくは彼自身のテクニックやスキルであると考えられます。

フーディーニの脱出芸②凍った運河・ミルク缶からの脱出

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『凍った運河』とは、アメリカ合衆国の19世紀から一気に工業地帯として車産業などが栄えたデトロイト州に位置する川の事で、ある桟橋から手首に本物の手錠を掛けた状態で川に飛び込んで見事生還するというものです。当然知識がなく業を持っていない一般の方がチャレンジすれば死は免れません。そんな危険なイリュージョンをいとも簡単に成功させたのです。

また『ミルク缶』というと現代の人たちや、日本人であれば恐らく手で掴めるくらい小さなモノをご想像されるはずですが、実際は鉄や金属で作られた小さな子供や女性であれば、すっぽり入れるくらいの大きさがある牛乳を入れるための缶で、そこに彼が入って恐らく蓋をされ、危険な状況の中から抜け出して生還するというものです。

フーディーニの脱出芸③「メタモルフォーゼ」

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セーラームーンがセーラー服を身に纏った戦士になるときや、歌の曲名、洋服やポケモンの名前の由来になっているこの『単語』この言葉はドイツ語で、多くの方が意味を理解しているはずですが『変身』という意味を持っています。このイリュージョンはまさにその文字通り、現実で変身を遂げてしまう業だったのです。

ではどんなイリュージョンだったのでしょうか?それは従来にもあった、旅行をする際に用いる『車輪のついたバッグ』から抜け出すというマジックに、そのバッグから入っていた人物ではなく別人が出てくるというアレンジを加えたのもので、現在ではよく見るのではないでしょうか?彼はそれを編み出し実行して驚かせました。その時入れ替わった人物は当時の彼の奥さんでした。

フーディーニの脱出芸④中国の水牢

これは古来に使われていた尋問道具で、足首に縄が掛けられ宙に身体が逆さの状態で吊られて、水が入った大きな容器に頭部が浸かるようにそこから降ろされ、身動きも呼吸もできなくするという装置で、その装置で拘束され更には手首に手錠が掛かった状態となれば、抜け出す事は絶対に不可能なはずですよね。

そんな死と隣り合わせのような絶体絶命の状態を自ら望んで作り出して、そこから見事生還するという誰も成しえない業を観客や視聴者の前で成功させたのです。しかも本来は水が入っている容器は全面金属でできていて、外からは中の様子が見えないのですが、彼が用意したものは観客から見える様にと、一面はクリアなガラス素材でできていたそうです。

フーディーニの芸が売れた理由とは?

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当然彼の卓越したイリュージョンは、現代を生きる私たちがその一部始終を見たとしても驚愕させ震え立たせるほど感動するでしょう。しかし当時はまだマジックや手品も今ほど進んでおらず、周知されていなかったのです。なのでより一層彼のイリュージョンに驚き、世間を震撼させ話題となった事でしょう。

その道のパイオニアである彼が成功を収める条件は十分すぎるほど揃っていたのですが、それだけではなく彼は商売上手だったのです。彼は当時の主なマスメディアにあたる『新聞紙』や『雑誌本』を狙った様に取り上げてもらい、自身の腕やパフォーマンスを一気に世間に知らしめて、興味や関心を引き付けたのです。こういった点も彼が驚異的に成功を収めた理由の一つなのでしょう。

フーディーニのあっけない最期

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