【地下鉄サリン事件】事件から24年、概要とオウム真理教の恐ろしさを解説

今回ご紹介しているあの宗教団体による残虐で凄惨な事件は、罪のない民間人や一般人が無差別に殺傷されるテロとして、また数千人を優に超える人たちが犠牲者となってしまった規模の大きさなど、様々な要素がセンセーショナルを集める事になり、日本国内のマスメディアは勿論の事ですが、世界的にも大きなニュースとして話題となり波紋を広げました。

当時国内で報道されていた各マスメディアの状況や海外メディアがどのようにこの凄惨なテロ事件を報じたか、また現代を生きる世界中の人々にどんな余波を及ぼしてしまったかを次に皆さんに解説していきます。

地下鉄サリン事件国内でも大きな衝撃

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当然阿鼻叫喚する凄惨な事件の舞台となってしまった日本国内では、あらゆるマスメディアが取材をして連日トップニュースとして報じられました。世間も一斉に注目し関心を集め大きな話題となりました。予定されていた番組表ではなく、急遽特別番組や特集が各テレビ局でいくつも組まれる事態となりましたが、当然の対応と言えるでしょう。

地下鉄サリン事件海外でも速報で報道される

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かつて第二次世界大戦では同盟を結んだヨーロッパのドイツでは『ヒトラー率いるナチスドイツの毒ガスが使用された』と国内のメディアが報じました。更にアメリカ合衆国では何故か犯人が割り出される前に『アラブ系の犯行によるテロ』と誤情報がニュースで報じられ広まってしまう事態となりました。

このような誤情報は恐らく時代背景を考えると、中東の社会情勢が揺れておりイランイラン戦争など、アラブ系民族が住んでいる国々の各地で紛争が起きている問題があったためだと考えられます。また海外でも事件が発生した後すぐに『速報』として報じられ、世界中でセンセーショナルを集めました。

地下鉄サリン事件世界中で治安維持にも影響

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世界的にテロリストやテロの脅威が騒がれていた事実もあり、世界の国々では頻繁にテロが多発しておりました。そして今回の日本で起きた宗教団体オウムによるテロ事件では、世界でも初めて攻撃手段つまり凶器に『化学兵器』が使用されたのです。

これにより各テロリストが参考にしてしまい、模倣して同様に化学兵器が使用される可能性が懸念されたのです。こうして更にテロや化学兵器に対して警戒が強まり、世界中の治安維持にも影響を及ぼす事になりました。

地下鉄サリン事件の動機とは

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今回ご紹介している世界で始めて『化学薬品』が使用されたセンセーショナルなテロ事件を起こした動機について簡単に解説します。犯行グループであるオウムは、首謀者である組織のトップである『麻原』は自身が日本という国において絶対的な存在、権力者になり、よりその宗教や信者の拡大を目指したのです。

しかし事件が起こる少し前に、日本の未来を描く政治家として立候補するための『選挙』に参加しましたが、他の議員たちに圧倒的な投票数の差を見せつけられ『大敗』してしまいました。そして信者たちや国民から大きなイメージダウンや信頼を損ねてしまったのです。失ってしまった地位や評価を再建して取り戻すために大規模なこの事件を引き起こしたのです。

地下鉄サリン事件の計画ができるまで

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勿論犯行内容をふまえても、このテロが計画的に仕向けられていたことが明らかですが、果たして悍ましい計画が企てられたのはいつ頃で何がきっかけとなったのでしょうか?こちらの見出しではそんな事件の計画ができるまでの詳細やきっかけについて解説していきます。

地下鉄サリン事件は迫りくる警察の強制捜査を逃れるため計画

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事件が起こる数か月前にオウムの拠点となるエリアを警察や検察が調査を行い、化学薬品の跡が検出されてしまった事により、それが証拠となり警察が宗教団体が有していた施設や家などに強制捜査が行われてしまうのは時間の問題だと考えていました。そこで焦点を別の団体や人物にずらして強制捜査を逃れようと考えて計画したのです。

地下鉄サリン事件の2日前のリムジン内での会議

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メンバーは前年度の大地震による影響を思い出して、大きな災害や事件が発生すれば『強制捜査』から逃れられると考えると、『サリンを地下鉄に』や『サリンが作成できれば・・・』『パニックを作れる』などの言葉が飛び交う会議が2日前に行われ、実際に詳細な犯行計画が企てられました。

またこの時に政治家が立ち上げた新たな政党や宗教法人の一つである『創価学会』に焦点をずらせるのではないか。という考えも述べており、またオウムが引き起こす他の2つの事件の計画を示唆する内容を宗教内の教祖でありトップである『麻原』の口から述べられてます。

地下鉄サリン事件の決行には異説がある

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別件の犯罪で逮捕され身柄を拘束されていた、犯罪グループの一人は宗教団体そのものとトップである『麻原』に不満を募らせていたことから、嘘や虚偽なく正直に犯行の概要や犯行メンバーや組織の内部事情などを自供しました。

これにより犯行の動機は『強制捜査』逃れるために、大きなパニックや事件を引き起こし、犯行の焦点を別団体や他の人物にずらすためであったと明らかになり、後に逮捕されたほか数名の犯行メンバーの供述からもそれが伺えたのですが、実は一部の犯行メンバーの供述によると目的や証言が食い違っていたのです。

地下鉄サリン事件の決行の異説①予言を成就させるため?

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犯行に及んだ犯人メンバーの1人は逮捕された後、『宗教全体を巻き込んだ戦争が起こるであろう』という麻原の予言を成就させるために犯行に及んだと証言しており、加えて本来の動機として考えられている『強制捜査』から逃れるという事自体、犯行に及んだとしても効果はなく、目的を叶えられないのではないか?とメンバー内で議論されていたそうです。

地下鉄サリン事件の決行の異説②弟子が暴走した?

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また首謀者であり宗教団体のトップである『麻原』は罪を擦り付ける様に、他メンバーの独断で犯行に及んだ。私の指示や計画ではない。と容疑の一切を全面的に否定したのです。この供述において当初は崇拝していた他のメンバー数名は幻滅してしまい、その勝手な主張に否定的な意見を述べ、強く批判しました。

地下鉄サリン事件を起こしたオウム真理教とは?

名前はほどんどの方が知っていて悍ましく犯罪者たちによる宗教というイメージがあるはずですが、具体的な思想やどういった宗教であるか分かっていない人たちも少なくないはずです。ここでは簡単に分かり易く『オウム』そのものについて解説させていただきます。後に宗教団体のトップ(教祖)となる『麻原』は異国での修行により仏教の教えや思想を心得ていて宗教を布教していました。

そして現在から30年前の昭和64年、つまりは平成元年に東京都から法人として認められて設立して、更に信者やメンバーが次々と入信しましたが、それを段々自身の都合の良い考えや思想に変換して、おかしな行動をとるなど段々と不穏な事をし始める様になっていたのです。

ポアという考え方により・・・

この地球上に住むあらゆる人間や民衆の人たちの命を一度地に還して、清めたり魂を救済するといったあくまで良いイメージで、罪のない人たちの命を勝手に奪うという思考に変わっていき、実際に度重なる無差別殺傷事件、テロを引き起こして現在から23年前の平成8年に国より、組織の解散と排除が命じられました。

地下鉄サリン事件のオウム真理教の3大事件とは

今回ご紹介している数千人を超える犠牲者を出したセンセーショナルなテロ事件と、オウムが引き起こした大きな被害規模となり関心を集めた主要な他2つの事件を含めて、ある新聞会社はそれらを『3大事件』と呼んでいます。

その他の2つの事件の概要や犯行内容についてもこちらの見出しでご紹介していきます。果たしてどんな凄惨な犯行が行われた恐ろしい事件だったのでしょうか?犯人グループの属する得体のしれない宗教法人がいかに悍ましく汚いものであるかより理解が深まるのではないでしょうか?

地下鉄サリン事件を含むオウム3大事件①坂本堤弁護士一家殺害事件

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ご紹介している事件から数年前、ちょうど『オウム』が東京都に宗教法人として認められた昭和64年、平成元年に起きていて、現在から数えるとちょうど30年の事件です。犯人グループである組織の幹部たち数名は、とある弁護士本人とその家族を残虐に殺害しました。

動機は明確で、被害者の弁護士は、宗教団体を脱退したある人物から相談を受けたことをきっかけにオウムの危険性や非社会性などを追及して、批判していました。当時まだ公になっておらず実態について解明されていなかった中、弁護士である彼は大方の恐ろしい実態について証拠や情報を握っており、それをマスメディアを通して公開するつもりだったのです。

批判した為に

つまり弁護士は世間に明らかになっていないその悍ましい宗教の実態の情報や証拠を握っており、その事から強く組織の事を批判して、それに対しての戒めや気に食わないという理由が動機となりその弁護士と家族を無残にも殺害したのです。

地下鉄サリン事件を含むオウム3大事件②松本サリン事件

事件より一年前の平成6年に、長野県に位置する松本市の市街地で組織により『化学兵器』がばら撒かれて、これにより周囲にいた600人以上の民間人や一般人が犠牲となり重体を負ってしまうという凄惨な事件が発生しました。8人の命が奪われてしまい、また現在でも後遺症に苦しめられている人々がいます。

地下鉄サリン事件を指示したオウム真理教のトップ「松本智津夫」とは

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オウムのトップ、尊師や教祖は『あさはらしょうこう』という名が知られていますが、実は本名は『まつもとちづお』という名前だったのです。こちらではすべての発端、首謀者、黒幕と言っても過言ではない松本の生い立ちやプロフィールをご紹介します。また彼の目的や宗教を作ったきっかけについても考察していきます。

地下鉄サリン事件を指示の松本智津夫①プロフィール

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現在から64年前の昭和30年に九州地方の熊本県で生まれました。畳屋さんを営む父親の子供として生まれ、兄弟は彼を含め9人おり、7番目の子供にあたり、現在であれば特集が組まれそうなほど大家族であったのです。また彼は生まれつき目が悪く、兄弟にも同様の症状が出ていました。

地下鉄サリン事件を指示の松本智津夫②幼少期

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大家族という事で一家を支えるためには父親だけでは生計を立てる事が困難な状況であったため、母親も日中は外に働きに行き共働き世帯でした。その為の彼の面倒や教育は兄弟が担当していたそうですが、無邪気な男児らしく非常に元気ないたずらっ子だったらしく、テレビで放送されていたアニメが大好きだったごく普通の子供だったそうです。

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