【地下鉄サリン事件】事件から24年、概要とオウム真理教の恐ろしさを解説

地下鉄サリン事件は1995年、オウム真理教によって起こされた平成で最も凶悪な事件の一つです。化学兵器テロのこの事件は当時の日本を震撼させ、24年足経った今も大きな爪痕を残しています。この記事では地下鉄サリン事件の概要とオウム真理教の恐ろしさを徹底解説します。

この記事をかいた人

初めまして。皆様の関心と興味を引き付ける記事をたくさん書いていきます!

地下鉄サリン事件とは?

Mediamodifier / Pixabay

現在から24年前の平成7年に世界でも例を見ない、簡単に人を死に至らせる毒物や薬物などの『化学兵器』が用いられた『テロ』のような殺傷事件で、日本だけではなく世界的にもセンセーショナルを集め『トウキョウ・アタック』という名称で呼ばれており有名な凄惨すぎる事件なのです。

犯行に及んだ犯人グループは、名前を聞いただけで悍ましく恐ろしいと感じさせてしまう宗教団体の『オウム真理教』なのです。犠牲者となってしまったのは一般人や民間人で、死者も10名ほどそして負傷者は6000人を優に超えているのです。多くの人々がその化学薬品よって身体が侵されてしまい現在でも病やトラウマとして大きな傷跡が残ってしまっています。

地下鉄サリン事件の概要

StartupStockPhotos / Pixabay

事件が起きたその当時に既に物心がついていている人、成人を迎えている大人の方でしたら、深く語らなくても恐らく凄惨な悲劇の概要を良くご存知なのではないでしょうか?その当時にまだ子供だった人物やどういった犯行が行われたよく理解していない方もいらっしゃるはずです。

どれだけ悍ましく恐ろしい事件であったかよく理解して頂くためにも、早速犯行内容や悲惨な事象の数々を皆さんに解説していきます。この事件は同時刻、同じタイミングで異なる場所で惨烈な犯行が行われました。その場所とは東京や都心部のような場所では欠かす事の出来ない交通機関の一つである電車、それも『地下鉄』だったのです。

地下鉄サリン事件①千代田線での犯行

Fotoworkshop4You / Pixabay

現在でも常磐線直通で千葉県の柏や松戸辺りまで、そこから東京都の大都市に当るエリアや政治家や庁舎に勤める人たちが多く集まる『霞が関』までを繋ぐ、東京だけではなく日本の主要線路の一つである『千代田線』この路線を走る電車内で、悲劇が発生し現場となってしまいました。

犯人グループの一人はサラリーマンや学生たちが出勤通学するちょうど朝のラッシュアワーの時間帯に、この路線内に侵入して犯行に及ぶその瞬間まで、足立区内の駅で一般人に紛れて身を潜めた後、現在でも多くの路線が集中し繁華街として栄えている『北千住駅』より電車に乗車しました。

犯行の瞬間

乗車した後犯人グループの一人は平然と民間時の乗客たちに紛れて駅から駅へ進め、日本大学や明治大学などの複数のエリート大学が隣接し、学生や学徒の街として知られている『新御茶ノ水駅』に到着する寸前に、予め用意していたナチスドイツで開発された神経ガスの一つである『サリン』が入った袋のような容器に故意に穴を開けて、到着すると一目散に逃げだしたのです。

犯人グループの一人によって容器に穴が開けられ、有毒で人を簡単に死に至らせる薬物が千代田線の路線を走る電車内の空気中に充満すると、次々に職場や学校に向かう民間人たちがバタバタと倒れていき、駅員や職員たちは異変に気づくとすぐさま運転を取りやめ、原因と思われる容器を処分すべく近づきましたが、2名もの人間の命が奪われ、また200人以上の人間が重症を負う事態になりました。

地下鉄サリン事件②丸ノ内線(池袋発萩窪行)での犯行

MichaelGaida / Pixabay

都内や関東圏に住んでいない人たちでも、日本人であれば誰もが聞いたことがあり知っているであろう新宿や東京、銀座や池袋を繋ぎ、また日本の政治に携わる政治家が集まる国会議事堂や霞が関をも繋ぐ、こちらも重要な路線である『丸の内線』でも、同様に多くの民間人が集まる朝の通勤通学時間に、卑劣な犯行が行われました。

犯人グループの一人は始発の現在でも若者の街で知られ、多くの路線が集中している『池袋駅』から『荻窪駅』行きの電車に乗り込み、千代田線で科学薬品が詰められた複数の容器が開けられた『新御茶ノ水』に隣接する『御茶ノ水駅』にて所持していた化学薬品を車内にまき散らしました。

被害者たちは

電車に乗っていた1人の民間人により、人々が次々と倒れ容態悪化を訴える悲痛な事態を駅員に伝えられ、、化学薬品が詰められた容器が回収され、容態悪化して具合が悪くなった乗客たちは電車から降ろされ病院などの医療機関に搬送されましたが、電車はそのまま運行を続けたので被害はさらに拡大してしまいました。

恐らくこの時はまだ事の重大さに気づいておらず、このような判断に至ったと考えられます。こうしてこの路線の電車では1人の罪のない人間の命が奪われ、また300人以上の民間人や一般人が重傷を負う事態となってしまいました。

地下鉄サリン事件③丸ノ内線(萩窪発池袋行)での犯行

pixel2013 / Pixabay

先ほどご紹介した主要の路線の反対、逆の路線を走る電車でも同時刻、同じタイミングに犯行が行われました。やはりここでも同じ様に社会人や学生たちが通勤通学する朝の時間帯でに、犯人グループの一人は大都心部に当り日本の企業が連なる『新宿駅』から電車に乗車しました。

そして東京都新宿区に位置する『四ツ谷駅』を通りかかるその瞬間に、人を簡単に死に追いやる危険な化学薬品が詰められた複数の容器の内、1つが開けられて電車内に拡散させられました。そのまま電車は通常通り運行し終点まで到着しました。

その後何故か・・・

業務上終点到着後は駅員により、その車内に残っている乗客たちの忘れ物や不審物がないか駅員が確認するのですが、この時は何故か行われず、反対方向の電車として再び運航が再開されました。車内を清掃するスタッフによりごみの一つとして除去されましたが、以後も事態に気づかず何事も無かったかのように運行されました。

最終的には幸いにも死亡者は一人も出ませんでしたが、200人以上の罪のない人間が被害者となってしまい負傷してしてしまいました。化学薬品が詰められた容器が1つのみが開けられて、拡散されたのが要因で死者が出なかったのかもしれません。また事態が発覚するのが遅くなり処置に遅れたのもこれが原因なのかもしれません。

地下鉄サリン事件④日比谷線(中目黒発東武動物園行)での犯行

fotolehrling / Pixabay

埼玉県の有名な東武動物公園から東京都心を繋ぐ、主要路線の一つである日比谷線でも犯行が行われました。時刻はやはり朝の通勤通学時間でラッシュアワーとなる時間帯に、犯人グループの一人は東京都目黒区に位置する始発の『中目黒駅』より電車に乗り、サッポロビールで知られてる『恵比寿駅』に通りかかる瞬間に化学薬品が詰められた複数の容器が開けられました。

有害な毒ガスに属す化学薬品が電車内に拡散された事により、容態悪化や体調不良に見舞われて、次々と民間人や一般人が倒れていき、また車内は気分を害する様な匂いが漂いました。こうした事態によりすぐさま患者が電車から降ろされ搬送され、運航を取りやめるなどの処置が行われましたが、最終的には1人の命が奪われ、500人以上の人間が重体を負ってしまう悲惨な被害となってしまいました。

地下鉄サリン事件⑤日比谷線(北千住発中目黒行)での犯行

pixel2013 / Pixabay

先ほどの同じ路線の反対方向を運行する電車、即ち上り電車でも凄惨な犯行が行われ、悲劇の舞台となってしまいました。犯人グループの一人は日本のトップクラスの動物園、上野動物園が存在し東京都台東区に位置する『上野駅』から電車に乗り込み、一般人や民間人に扮して乗客たちに紛れていました。

他の路線で犯行に用いられた危険な化学薬品が詰められた容器は2つなのに対して、ここでは3つありこの時既に内1つの容器が開いていて、早期から車内に危険な化学薬品がばら撒かれてしまう事態となってしまいました。そして世界からも多くの観光客が訪れる、電子とアニメの街『秋葉原駅』にて残りの2つも開けられ、しかもこの時多くの箇所を開けられました。

更に被害拡大

早期の段階から車内に危険な化学薬品がばら撒かれて充満し、更には多くの箇所が開けられたことにより、他の犯行現場となった電車よりもより濃度が強く広域に毒ガスが及ぶ事になりました。当然被害も大きくなりましたが、更に化学薬品が詰められた容器を発見した、その両に乗っていた一般人はある駅に到着した瞬間にそれを蹴って除外したので、その駅のホームに放置されてしまいました。

それだけではなく容器が放置された駅近くに、運転を見合わせて停車していた複数の電車にも有害な毒ガスが充満した空気が及んでしまい、被害者の数はこの事件で最大で計り知れない人たちが負傷してしまう凄惨な事態になってしまったのです。8人もの罪なき人の命が奪われ、また2400人以上の民間人、一般人が『重体』を負う惨烈な被害結果となってしまったのです。

地下鉄サリン事件⑥事件から2日後に警察による強制捜査

Free-Photos / Pixabay

車内にばら撒かれた簡単に人を死に追いやる毒ガスにより、罪のない人間数名の尊い命が無残に奪われ、また数千人が負傷して重傷を負う深刻な事態になり、警察は2日後に容疑者の有無を問わない、任意を得ずしての捜査、つまりは『強制捜査』を執り行い、オウムの施設と思われる住居や家、数十か所を調べることになりました。

この時、容疑の疑いが掛かったのは、恐らくは事件が起こる同年の1月にオウムの拠点となったあるエリアで同様の危険な化学薬品の跡が残っていたためだと考えられます。そして強制捜査により化学薬品の原料となる物質が次々と見つかり、ほぼ間違いなくオウムによる犯行だと断定されましたが、逮捕に至る物的証拠や裏付けとなるモノは確認できなかったのです。

否定する主張

  • ある有名な政治家か、ある日本の宗教法人の仕業
  • 見つかった物質は、畑や農場の為の農薬である
  • 拠点となるエリアで見つかった有害物質の跡はアメリカ軍から危害が加えられたもの
  • もし自分たちがやっていれば同じ仲間がいるからするわけがない

地下鉄サリン事件⑦事件は林郁夫の証言で急展開

MIH83 / Pixabay

実はこの時警察もその未知の悍ましい宗教団体の内部の情報や、メンバーや人物については判明しておらずぼんやりとしていました。それもあってか強制捜査から1か月が経とうとしていましたが、捜査は難航して誰が計画し指示をしたのか、また誰が実際に化学薬品をばら撒いたのかなどがほとんど判明していなかったのです。

凄惨なテロ事件から数日後に別件の犯罪でオウムの更には犯人グループの一人である『林郁夫』が逮捕され取り調べを受けていましたが、その際に警察は宗教団体の目的やメンバーなどについて問い詰めました。すると林はその宗教や教祖に不満を募らせていたためか、自身による犯行だという事、オウムが黒幕だという事を自供したのです。

更にメモで

更に彼は事件において各グループメンバーの詳細やポジション等の事件の概要を詳しく紙に筆記しました。その紙により難航していた捜査は一気に進展を見せて、犯人グループである宗教団体の各メンバを逮捕することができたのです。オウムの拠点、化学薬品を生成するベースとなり有名になった村に関する記事はこちらです。是非ご覧ください。

地下鉄サリン事件発生時の現場の様子

MRI / Pixabay

ここまでどこの路線でいつごろ発生したのか?またどのくらいの被害となったのか?など事件の概要についてお話ししていきましたが、いかに多くの一般人や民間人の乗客たちが命を落とし、重症となり負傷してしまったか分かっていただけたはずです。治安の良い日本で同じ日本人により大勢の人たちがテロに遭ってしまった非常に凄惨でセンセーショナルな事件なのです。

多くの一般人や民間人が犠牲者となってしまったわけですが、悲惨な現場、パニック状態と化した駅や電車内では乗客たちや居合わせて被害者となってしまった人々を救助して、懸命に闘った者達も多くいたのです。次に悲惨なテロが発生した時の現場の様子を各隊員や団体にスポットを当てて解説していきます。

地下鉄サリン事件での様子①機動隊

metaliza01 / Pixabay

警察の中でも災害や事件が起きたときに動員される、人命救助や犯行鎮圧に活躍する機動力や警備力に長けた隊員、即ち『機動隊』が最初に動員され、化学薬品に侵されて体調不良や容態悪化を訴える民間人や一般人の救助に当たりました。初めはその化学薬品の情報も現場の状況や原因についても判明していなかったので、ガスマスクをせずそのまま救援活動を行いました。

恐らく最初に機動隊が動員されたのは、第2、第3のテロや犯行を警戒した為だと考えられます。多くの隊員が動員されましたが、先ほども解説した通り原因不明であったため化学薬品の対策を一切してなかったので、決死の覚悟で救護に当った彼らの多くも、有害物質を吸引してしまい被害者となってしまいました。

地下鉄サリン事件での様子②救急隊

ArtisticOperations / Pixabay

NEXT 地下鉄サリン事件での様子②救急隊