【DQNの川流れ】玄倉川水難事故被害者の暴言とは?生存者のその後は?

DQNの川流れとは玄倉川水難事故を指す言葉です。被害者らの非常識な行動や暴言に対し、世間からは非難の言葉が相次ぎました。被害者らは個人名や会社まで特定される事態になりました。この記事では、DQNの川流れこと玄倉川事件の概要や、被害者たちの現在についてまとめます。

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彼にはもう八十四日間も一匹の魚も釣れない日続いていた。 釣れない時は、魚が考える時間を与えてくれたと思えばいい。

DQNの川流れとは?玄倉川水難事故のこと

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たくさんの死傷者を出した大変い悲しい事例です。災難にあった人々は自業自得と言える行為でもあり、しかも一団の一部の者の言動が物議を醸しだすような内容であり、多くの人々からあきれてるようにも取れる反感の声があがりました。

DQNの川流れこと玄倉川水難事故はどんな事件?

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ある会社の社員の方々が子供を含む家族や婚約者、さらに彼らのの友達でキャンプに行ったときに、起こった水の災害によるアクシデントです。最終的には、なんと合計で13人の犠牲者がでてしまった、とても凄惨な結末でした。

DQNの川流れの概要①1999年8月に発生した

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神奈川県の足柄上郡山北町に位置する丹沢山付近を元に流れています。14日に始まり、2日目にほとんどの救助が完了し、また同時に亡骸もすくいあげました。しかし、それから約15日後になる8月29日の自衛隊の捜索が打ち切りになる間際になって、なんとかラストの一人の方が見つかり収束となります。

DQNの川流れの概要②神奈川県の玄倉川のダムの下流が事故現場

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遭難した場所は、砂を防ぐ為に備えられた立間堰堤の上流の水の流れが湾曲するポイントから広がったいるように陣取られているような堆砂地でした。ぱっと見は、傾斜もきつい場所でなくキャンプをするには適したところにみえるのですが、実は大雨になってしまうと、水没してしまう恐ろしいエリアでもありました。

もともと降水量の多い場所

丹沢山地は鉄道などの交通の便も良く、登山者がたくさん訪れる場所ではあります。しかし、相模湾や湘南海岸の湿度の高い空気が流れてくる影響で、冬場以外は降水量の高いところでもあります。玄倉川の水源は、丹沢山地の中でも特に高い峰蛭ヶ岳、檜洞丸、塔ノ岳を始めとする傾斜のきついところからのものになります。

DQNの川流れの概要③当日は豪雨だったが避難勧告を無視

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8月13日の時点でダムを管理している職員が雨天のため周りを見て回りました。行楽客を見かけたら、ハンドマイクを使って、雨の為水量が増えていくことで、水位が上昇してしまうことに危険を促し、退避するように伝えてまわりました。その時、ほんとどの人々は退避したのですが、事故に遭った一行は警告も虚しく、キャンプを続行していました。

その後も

サイレンを鳴らし警告をしたのですが、効果はなかったです。天候を見て、このままでは大惨事になると判断し、ダム関係者は警察にも応援を要請し、彼らが駆け付けて退避を促しましたが、もはや水流が激しく、一行の傍まで近寄ることもできない状況になっていて、万が一の場合は後ろの山に退くように勧めました。

DQNの川流れの概要④川の中州に18名が取り残された

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事故にあったグループのうちほとんどの方がが亡くなってしまうという結果を迎えてしまいましたが、原因は自然災害によるものだけとは言い難いです。一番の要因となったのは、幾度も退避勧告があったにも関わらずキャンプを続けてしまったとが大きく、仮にすぐに指示を聞いてその場を去っていれば誰も犠牲にならずにすんだかもしれません。

DQNの川流れ事故の時系列

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どのような経緯を辿っていったか述べていきます。まずは、初日に退避勧告が行われたことから、翌日にグループが川に襲われることになってしまった状況、捜索によって救助されたり、遺体が発見された時間について解説していきます。

DQNの川流れの時系列①13日の15時に注意喚起

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まず雨が降り始めて、ダムの管理人によって、さまざまな一団に対して退避するように伝えて回りました。しかし、例の一団は従うことなくその場にとどまり、キャンプを続行していました。17時になると神奈川の全域について大雨洪水注意報の一報が発表されました。

19時

彼らの内、4人がもともと日帰りのつもりで来ていたので、離脱しました。その時点で総勢21人が残ったままでした。30分ごろには、雨がさらに強くなってきたので、上流にあるダムから水を放出する予告となるサイレンがあたりには鳴り響きました。

20時

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ダムの管理人が、二度目の勧告を行うことになりました。しかし、聞き入れてもらうことができなかったので、限界を感じた管理人は他を頼る決断をして、松田警察署に通報するという運びになりました。そして、20分には玄倉の放流が始まりました。

21時

管理人と警察によって、グループは3度目となる勧告をうけることになりました。そして、一団の中でも年齢が高い社員の方とその妻などを含めて3名だけが、指示に応じて中州から出て、車に非難しますが、他の人々は相も変わらずキャンプを続行していたそうです。中州に未だに18人もいました。

DQNの川流れの時系列②14日の11時38分に18名が濁流に飲み込まれる

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翌日の午前5時には、再び大雨洪水警報の知らせが報道で流れます。昨日、非難した彼らの仲間が午前6時頃に避難することを促しましたのですが、6時半になるとさらに本格的にダムの放流が行われることになってしまいます。

7時30分から8時30分の間

警察が昨日に引き続き退避を呼び掛けましたが反応がなくいったん立ち去り、8時をまわると昨夜のうちに避難した仲間が119番をしました。8時半を迎える頃には、ついに中州に設置してあるテントが水没して流されてしまいまい、彼ら自身でも逃げることがとても困難な状況に陥いることになります。

9時から11時の間

一団のメンバーが連絡した消防団のレスキューが駆け付け、10時頃にレスキューが開始されることになります。テレビの報道陣も到着し、様子が放映され始めました。11時になると警察からの要請で、玄倉ダムの放流が止められたのですが、わずか5分で満水となってしまったため、再び放流状態でした。

お昼から夕方までの間

11時半を超えたころに、全員が流されてる中、1名が救い出され、4名が岸辺に流れ着いて一命をとりとめました。状況は世のお茶の間にリアルタイムで流されていました。12時15分頃に現地本部が設置されて、17時には神奈川県知事の手により陸上自衛隊に災害派遣要請がされました。

19時には遺体が収容される

玄倉川の下流にあたるロケーションの丹沢湖で2名の遺体が引き上げられました。病死や自然死、事故死や焼死など、さまざまな亡くなり方がありますが、水によって死亡するケースは、その中でも見ていられないようなむごたらしさがあります。気になる方がいましたら、是非こちらの記事も合わせてご覧ください。

DQNの川流れの時系列③15日から警察・消防・自衛隊が捜索

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7時頃から対岸に生存していた4名が救助が開始されて、8時半には無事救出されました。正午になって2名の亡骸を収容しました。16日以降も捜すことが続けられて、3機関に加えて、自治体も協力して、10名の遺体を収容しました。

DQNの川流れの時系列④死亡した13人の遺体を収容できたのは29日

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とても大掛かりな取り組みに発展しましたが、それでも全てを見つけるのにはかなり時間がかかりました。最後までなかなか発見することができなかった1歳の女児に関しては、自衛隊による捜査が打ち切りになるぎりぎりになって、なんとか亡くなってはいましたが見つけることができました。

DQNの川流れの映像は今も残っている

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