川奈毅(川名毅)の現在は?関東連合元リーダーの生い立ちや事件、芸能界との繋がり

川奈毅(川名毅)とは、元関東連合のリーダーで「六本木のモンスター」と呼ばれる存在となりました。川奈毅(川名毅)は「朝青龍事件」で注目を浴び、芸能界の黒い噂を浮き彫りにしました。この記事では、川奈毅(川名毅)の生い立ちや経歴、芸能界における噂や川奈毅(川名毅)の現在についても紹介します。

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子供2人&犬2匹と住む30代。動物とお出かけが好きです。

川奈毅(川名毅)とは?「六本木の帝王」と呼ばれた関東連合の元リーダー

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川奈毅(川名毅)は、1975年頃から東京都内各地で活動していた暴走族やその他犯罪者たちの集団「関東連合」の元リーダーです。関東連合は暴力団とは異なり、主に中学校が同じ地元の若者たちで構成されている暴走族を束ねる存在で、メンバーは10代の若者が中心でした。

川奈毅(川名毅)は10代から闇社会に触れ、渋谷界隈で薬物取引を中心に活動して名を上げ、関東連合のリーダーに就任して「六本木の帝王」と呼ばれるまでになりました。その後もプロダクション経営者として2000年代の芸能界に深く関わり、多くの違法薬物を提供したとされています。今でも多くの人の記憶に残る「押尾学事件」で使われた薬物は、彼が提供したものではないかと言われています。

川奈毅(川名毅)の生い立ちと関東連合リーダー就任まで

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川奈毅(川名毅)は、どのような少年・青年時代を過ごしたのでしょうか。彼の出身地から関東連合のリーダーに就任するまでの経歴をまとめてみました。

川奈毅(川名毅)は東京都世田谷区出身

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出身は東京都世田谷区。1970~1971年生まれで、身長は170cm前後。10代のときには既に暴力団「松葉会」に所属しながら、関東連合に属する暴走族チームのひとつである「上町小次郎」に加入していたと言われています。

「松葉会」は現在では指定暴力団に指定されている24団体のうちのひとつで、推定で450人の組員がいる大きな暴力団です。一方で「上町小次郎」は古くから関東連合に所属していた歴史のある暴走族チームで、一時活動が低迷して有名無実化していた関東連合の復活を企て、他の暴走族チームとの繋がりを強くして関東連合復活のきっかけを作りました。

暴走族とは

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暴走族と聞くと、夜にチームで集まって「集会」を行っているイメージがあります。この集会とは、公園や広い駐車場等、多くのバイクや車が止められるところに時間を決めて集まり、そこから全員で暴走を開始する、いわば暴走族が暴走する基本の活動のことを指します。

主に、1つの暴走族チームは自らの縄張り内で集会・暴走を行います。これは縄張りの見回りやリクルーティングを兼ねており、暴走を見せつけることで、近隣のチームを牽制し、更に価値観を共有できる地元の新規メンバーを募っていました。

この時代、暴走族のチームとしての強さは喧嘩の強さとイコールだったため、喧嘩が強いメンバーが集まる暴走族チームは次々と近隣のチームを吸収合併し、勢力範囲を広げていきました。また吸収とはいかずとも近隣のチーム同士で交流が持たれることも多く、一度の集会で50-100台のバイクが集まって暴走することが日常的に行われていました。

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暴走族の集会・暴走が集まると国道などの広い道路はバイクでいっぱいになり、一般の車は脇道に避けたり停止して暴走が過ぎ去るのを待つ、といった光景がぜよく見られました。また、効率よく暴走するために、赤信号の交差点に突っ込んで一般車を止め、チームの暴走を最優先で通すための役割や、チームが警察に捕まらないために、暴走の最後尾をわざと走り、強烈な蛇行運転(ローリング)で道路に火花を飛ばして警察からの追及を緩める役割が誕生しました。それぞれの役割は大きな度胸と確かな運転技術が必要で、一目置かれる存在となっていました。

また、正月や七夕などのイベント時には特に交流のあるチームで集まって連合集会が開かれることが多く、縄張りを抜けて遠征しているところに別の暴走族チームとぶつかり、そのままリンチや抗争に発展する場合もあり、暴走族にとって集会と喧嘩は切っても切り離せないものでした。

関東連合ってなに?

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関東連合とは、東京都世田谷区を中心にして1973年に結成された暴走族の連合体です。結成当時は約3000名ものメンバーで構成され、暴走族同士で争いが起きて暴力事件に発展することを避けるために作られました。

当初は会長職があり、定期的に幹部会等も開催されて組織運営がされていましたが、1980年代中ごろから組織らしい活動が無くなり、1990年代には関東連合は名前だけでほぼ壊滅状態になっていました。この頃に、「上町小次郎」が関東連合復活を企図しました。

時代はちょうど、改正暴力団対策法や暴力団排除条例等の制定で暴力団は一時の勢いを失いつつあり、関東連合はそれに代わる反社会的な組織として台頭しました。暴力団のような明確な組織性はなく、それぞれの暴走族グループのリーダーを中心とした独自の人間関係で繋がるゆるやかな組織である関東連合は、警察からの捜査の目を掻い潜りやすかったと言われています。

暴力団とは

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暴力団とは、国から「暴力あるいは暴力的な脅迫および違法行為によって自己の私的な目的を達しようとする反社会的集団」とされており、その構成員や関係者は、不当にかつ日常的に暴力や違法行為を行う可能性が高いとされています。現在は、特に対策が必要であるとして指定を受けた「指定暴力団」が5団体あり、この5団体で全国すべての暴力団の構成員の70%を占めていると言われています。

日本刀や銃器など、本来なら所持や使用が法令で禁止されているはずの武器を用いて抗争を行うことがあり、たびたび殺人事件に発展している他、これも法令で禁止されている賭博や薬物取引、闇金融や売春の斡旋等で収入を得ています。ただ中には、政治団体や一般企業、NPO法人等の合法的な組織を傘下に持つ暴力団もあり、一般的な事業を行う傍らで闇社会への隠れ蓑にもなっています。

刺青・指詰め・盃事等の独自の文化があり、特に刺青は暴力団に関係している証として一般人からは敬遠される傾向があります。構成員は「暴力団員」と呼ばれることが最も一般的ですが、ヤクザや極道、悪党などの呼称も広義では同じ意味として使われています。

川奈毅(川名毅)の父親はキャリア官僚で叔父が検察官?

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川奈毅(川名毅)の家族については長年憶測が飛び交っており、まず父親は財務省のキャリア官僚ではないかと噂されています。理由は、川奈毅(川名毅)には少年時代から関東連合のリーダーに就任してからも、一度も逮捕歴が無いためです。彼の経歴から殺しも含めた暴力や薬物取扱い等、多くの法律違反を犯してきたと考えられる中、あまりに不自然に見えます。

父親自身が、息子が逮捕されることでキャリアの経歴に傷が付く、もしくは退官を余儀なくされることを恐れて、自身の立場と権力を使って揉み消したのでは、と言われています。もし殺しや違法薬物での逮捕となれば、父親が国の中枢である財務省で働き続けるのは難しいと言わざるを得ません。

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また、川奈毅(川名毅)の叔父は、最も頭の良さが必要な職業のひとつである検察官ではないかといわれています。司法試験に合格した人の中から、さらにごく僅かのエリートしかなれない検察官。

川奈毅(川名毅)は頭が切れることで有名で、関東連合や所属する暴力団ではブレーンとして活躍しました。その頭の良さは父や叔父から受け継いだものと言えます。

キャリア官僚と検察官って何がすごいの?

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キャリア官僚とは、一般的に「国家公務員総合職試験」に合格した人のことを言います。将来的に官庁等で課長以上の職、つまり文字通り「上に立つ」ことを期待されているため、入庁の時点で既にキャリア(昇進)が確約されている存在、という意味でキャリア官僚と言われています。

特別にキャリア官僚に対する年収や処遇を確約している法律法令その他は存在しないのであくまで慣習ですが、キャリアでないノンキャリアの平均年収が500-600万円で、キャリア官僚の平均年収は1,000万円を超えると言われており、両者は出世のスピードに明らかな差があります。また、キャリア官僚の最高位である事務次官まで上り詰めれば、年収は2,200-2,500万円にもなります。

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一方で検察官は日本全国に僅か3,000人ほどしかいません。年収の平均は検察官全体では600万円程ですが、最高位の検事長になれば1,600万円程になります。そもそも最難関の司法試験に合格しなければ検察官への道は開かれず、また国民の安全を守る法の番人として、やりがい溢れる職と言えます。

キャリア官僚と検察官は共に国家公務員で、国民生活のためにそれぞれ法を作る立場と守る立場にあります。そのような父親と叔父を持ちながら、川奈毅(川名毅)が違法の限りを尽くしていたというのは皮肉だと言わざるをえません。更には、国家公務員だからこそ血縁に犯罪者を出せない、という事情を逆手に取って川奈毅(川名毅)が父親と叔父に事件の揉み消しを迫っていた可能性も考えられます。

川奈毅(川名毅)は10代のとき「三軒茶屋愚連隊」に所属

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川奈毅(川名毅)は、10代で暴力団「松葉会」に所属しながら、同時に関東連合の傘下である「上町小次郎」という暴走族チームに在籍していました。その後すぐに上町小次郎ではチームのリーダーに就任し、更に別の関東連合に組する暴走族、「三軒茶屋愚連隊」にも創設から参加し、多方面に関係していたとされています。

「愚連」は、暴走族等の反社会的な若者がよく使う、もともと存在する言葉に別の漢字を当てて作った造語です。もとは「紅蓮」ですが、「愚連」という言葉は多くの暴走族で良く使われたため、暴走族に入るような社会からはみ出し気味の状態を「愚連る(ぐれる)」と呼ぶようになりました。

川奈毅(川名毅)の才能は暴力団や暴走族の中で次々に開花し、闇社会で頭角を現していきました。この時から暴力団内部や芸能界でのコネクションづくりや資金集めを進めていたようです。

「夜露死苦」に代表される言葉たち

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この頃、10代の暴走族をはじめとした反社会的少年たちが使っていた「愚連」のような言葉たち。代表的なのは「宜しく」を当て字にした「夜露死苦」ですが、他にどのようなものがあるのでしょうか。

・「本気(マジ)」 本気と書いて「マジ」と読みます。今も若者の間で口語として使われています。

・「走死走愛(そうしそうあい)」 相思相愛を語源として、女を愛するよりもバイクで暴走することが好きだ、という暴走族のポリシーを意味する言葉です。

・「愛羅武勇(あいらぶゆう)」 英語のアイラブユーを語源として、女性と愛を語る時にはこの字を使っていました。

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他にも、学生カバンに赤いテープを貼れば「喧嘩買います」、白いテープを貼れば「喧嘩売ります」という意味になり、通じる者同士で日常的に喧嘩の売り買いが行われていました。

この時代は、特に深い理由もなく喧嘩を売買して日常的に暴力行為を行っていました。今よりも、暴力や反社会的集団が一般社会の中で身近に感じられる時代だったと言えます。

関東連合の喧嘩の恐ろしさ

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川奈毅(川名毅)をはじめとした当時の関東連合は、対立している暴走族グループとの抗争や、敵対している反社会的集団へ襲撃するときには、今ではなかなか考えられない恐ろしいリンチを行っていました。

まずは、リンチの対象者を徹底的に調べ上げ、本人だけでなくその家族や恋人の情報も収集します。その上で、まずはターゲットを拉致し(夜道を歩いているところを包丁で脅す、背後から死なない程度にバイクで轢く、等)、暴力を振るって半殺しにした後で、今後逆らったり報復を考えたりしないように恐怖感を植え付け(男同士のSEX、飲尿や食糞を強要してその写真や動画の撮影)、更に金品を強奪していました。

それでも反抗的な態度を取る場合は、金属バッドで手足をぐちゃぐちゃになるまで叩き潰したり、深夜のガードレールに磔にして放置したりという非道を繰り返しました。更に効果的に屈服させるため、時にはターゲットの目の前でその両親に対して暴行を加えたり、恋人を拉致して強姦したり、ということも行われていました。

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関東連合に所属する暴走族メンバーにとっては、「誰よりも喧嘩が強い存在として恐れられること」が何よりかっこよい美学とされ、どうすれぱ相手に恐怖心を植え付けられ、心身共に降伏させられるか、に日夜没頭していました。そのため、どこをどうすればより痛く、我慢ができないほど辛く、屈辱的で、本能的に逆らわなくなるか、という点に重きが置かれており、暴力よりは拷問に近いと言えます。

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