夕張保険金殺人事件とは?日高夫妻首謀の事件の概要と恩赦狙いの真相は

日高夫妻の死刑が執行されたのは1997年(平成9年)の8月1日でした。2人はそれぞれ別の独房に収容されており、死刑の際も別々に行われたため1987年(昭和62年)の最後の裁判以降2人が顔を合わせることはなかったといいます。

最後の言葉「目隠しを取ってもらえませんか」

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日高信子の死刑執行の際の様子は壮絶なものだったそうです。死刑場への護送中は泣き叫び激しく抵抗し、恐怖のあまり失禁した跡が生々しく残っていたそうです。最後に観念したのか目隠しを外すよう懇願しました。同行した女性刑務官の顔が見たいといったそうです。

大体の死刑囚が諦めた様子でおとなしく死刑執行されるのに対して、激しく抵抗し生への執着を見せる姿は罪人とはいえ悲壮感に満ち溢れていたそうです。立ち会った女性刑務官はこの光景があまりに衝撃的過ぎてその後退職を決意したそうです。

日高夫妻の娘は2019年現在47歳、両親を未だに庇っている

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死刑が確定した際の裁判での証言で日高夫妻はこの事件について、従業員や子供たちを殺すつもりはなくあくまで建物のみを焼いて建物にかけた保険金を手に入れるつもりだったと証言しておりました。彼女はそれが真実であると信じ、現在までずっと両親に殺意はなかったことを信じているようです。

日高夫妻の生い立ちを見る限りこの娘さんは連れ子のはずですがこのような発言をするということは家族仲は割とよかったのかもしれません。しかし、事件後に得たこれまた1億円以上の保険金は前回のときよりも早いたったの1か月でそのほとんどを使い切ってしまっているあたり減刑を狙った言い訳のようにしか聞こえません。

日高夫妻の娘夫婦が経営する会社がある?

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あくまで噂の域を出ない情報ですが、その娘夫婦が北海道の札幌でコンクリートを取り扱う事業を行っているといいます。ハッキリしたソースを得たわけではないのであくまで噂であると思って読んでいただければ幸いです。また、それっぽい名前の会社さんを見つけてもいたずら等しないようお願いいたします。

夕張保険金殺人事件の犯人②の実行犯の石川清

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次は実際に宿舎に火を放った実行犯・石川清について掘り下げていこうと思います。一時の目先の利益に目がくらみ道を誤ってしまいましたが罪悪感が残っていた彼のおかげで事件が発覚したわけですが、彼は日高夫妻にとってどのような人物だったのでしょうか。

石川清は日高組に入って2年目だった

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犯行当時、石川清は24歳。日高組の在籍期間もわずか2年ほどのいわゆる新参者の下っ端ポジションだったようです。日高安正が遊び歩く際の足役としてよく使われていたようで、日高安正は石川清をわりと気に入っていたようにも思います。

それに、このような計画を打ち明けるには少なからず信用もしくは忠誠心がないと難しいと思います。このことから考えて、石川清は日高夫妻にとって忠実かつ口の堅さに定評がある部下という位置づけだったのかもしれません。入って2年でこの評価。もしかしたら石川清は案外真面目な青年だったのかもしれません。

500万の報酬と組での立場向上を約束され犯行に荷担

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石川清は計画に加担する際に500万の報酬と日高組内での立場向上を約束されて日高夫妻に手を貸すことを決意しました。しかし、一仕事やり終えた彼に待っていたのは大きな後悔と日高夫妻に対する不信感。そして恐怖でした。

負った傷

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放火直後、2階で寝ていた子供達の存在を思い出し石川清は救出に走ります。しかし石川清の想像以上に火の回りが早く子供達を助けられないどころか、自身も飛び降りざる負えない状況に追い込まれてしまいます。

結果、子供2人は亡くなり、自身も両足と骨盤を骨折する大怪我を負います。この怪我故に警察の目を欺けたのは確かでしょう。しかしこの時、石川清は体だけでなく心にも後悔という大きな傷を作ってしまいます。これが後の自首を決意する大きなきっかけとなります。

膨らむ不信感

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目論み通り保険金を手にした日高夫妻。しかし、実行犯の石川清に与えられたものは当初約束していた報酬とは全く異なるものでした。金は当初の約束の5分の1にも満たない金額、わずか75万円ほどだったといいます。

当初の約束が果たされず、石川清は次第に組での立場向上の話も雲行きが怪しくなってきたことに気付きます。そして、むしろ計画の全容を知っている自分が口封じと報酬を踏み倒すために殺されてしまうのではないかという思考に行きつきます。こうして石川清は病院という安全圏を退院という形で出される前に逃亡を決意します。

恐怖と良心の呵責

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石川清は約1か月間の逃亡生活の後、逃亡先の北海道から海を渡った地、青森から夕張警察署に自首の電話をかけます。追手の恐怖と亡くなった子供のことが頭から離れなかったと自首の理由を述べていました。この自首が無ければただの火の不始末による火災事故として事件が処理されていたのかと思うと恐ろしいです。

石川清は2019年現在も収監中

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自首による減刑が適用され、石川清は無期懲役という判決となりました。ちなみに、無期懲役とは文字通り無期限のお勤めであり、仮釈放等出れる可能性が無くはないですが基本的に一生を牢屋で過ごさなければいけないという刑です。罰の重さとしては死刑の次と言われています。石川清は自首をした故に死刑を免れたと言えるでしょう。

無期懲役故に現在も刑務所で刑罰を受けている石川清ですが、基本的に被害者や家族以外には囚人の情報が提示されることはないので現在どこの刑務所でどのように過ごしているかは全く分からない状態です。

夕張保険金殺人事件の跡地は現在廃墟に

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この事件の中心地ともいうべく焼けた宿舎と日高夫妻が自宅兼事務所として利用していた保険金で建てた建物は現在も取り壊されず廃墟として残っており実際に見ることが出来ます。そこは現在どのような状態になっているのでしょうか。

日高夫婦が経営していた事務所はいまだ健在

当然経営者である日高夫妻が逮捕されたことで会社は倒産、廃業となりますが件の建物は住民不在のせいでひどく劣化はしておりますが現在もその全景が窺い知れるくらいしっかりと形を残しています。

焼けた宿舎跡は

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宿舎の方はというと、こちらも取り壊し自体は行われませんでした。しかし、この場所には夕張シューパロダムが建設され焼け跡のみならず周辺一帯が2014年(平成26年)湛水開始によりダムの底へと沈みました。

夕張保険金殺人事件に付近はゴーストタウンに

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事務所付近は炭鉱で栄えた町でした。しかし相次ぐ重大事故や主要エネルギーの座を石油に奪われたことで炭鉱は閉鎖の一途を辿り、炭鉱で栄えた町はダムの建設も重なりあっという間にゴーストタウンと化してしまいました。

保険金殺人の家として動画がネットに公開されている

廃墟マニアや事件現場巡りが好きな一部の人達により事務所や付近一帯の様子を写した動画やブログが点在します。こちらでご紹介させていただいている動画は2017年のものですがこの段階でもかなり劣化が進み夜であることもあってかなり寂しく薄気味悪い雰囲気となっています。

このような町1つ丸ごと廃墟のようになっているケースは日本国内では珍しく、人の生活感が想像できるにも関わらず人気が無く建物も朽ちているというこの状況は非日常を感じさせます。しかし、直接いったりはせずに今はGoogleストリートビューという便利なものがありますのでそれで見てみるといいでしょう。

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