SHINGO☆西成とは?ドヤ街出身のラッパー!生い立ちや曲を紹介!

アグレッシブな性格は彼の生まれ育った環境があってからこそです。ここで彼の生い立ちについて詳しく見ていきましょう。日雇い労働者の町「釜ヶ崎」で育ち、底辺から這い上がったアグレッシブな半生をご紹介します。

SHINGO☆西成の生い立ち①三角公園近くの長屋育ちで本名は池上真吾

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アメリカ村の方ではなく、釜ヶ崎の三角公園(正式名称:萩之茶屋南公園)近くの長屋で育っています。公園といっても一般人が憩いの場とするような場所ではなく、ドヤ街独特の空気が流れるところです。そんな環境で育った彼ですが、本名もしっかり公表し堂々と活動しています。

SHINGO☆西成の生い立ち②阪神・淡路大震災のボランティアに参加

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彼が20代前半である1995年に阪神・淡路大震災が起きました。そして復興のボランティアに参加し、助け合いの大切さを身に染みて実感し、その後の就職先では福祉の道を選びます。

SHINGO☆西成の生い立ち③高齢者福祉施設に就職

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実はしっかり大学を卒業していて、老人福祉施設に就職し8年ほど真面目に働きます。しかし通勤途中、遅刻をしないように目の前で転んだお年寄りを助けなかった自分を客観的にとらえ、これじゃ本末転倒だと西成に戻ります。

SHINGO☆西成の生い立ち④西成のおじさんに励まされプロに

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ヒップホップへの情熱を諦められなかった彼は、西成のおじさんたちの後押しでプロのラッパーになることを決意します。そこから人間味あるふれる関西弁ラッパーとして全国で有名になっていきます。

SHINGO☆西成は2014年に結婚!子供にも恵まれている

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2014年にめでたく結婚し、お子さんにも恵まれ幸せな家庭を築いています。社会風刺のきいたリリックを書くのは得意でも、ラブソングを作るのは照れくさくて苦手なようです。

SHINGO☆西成のプロデビュー後の経歴!Mrナニワと呼ばれるまでの道のり

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Mrナニワとまで言われるようになるまでには、自主リリース時代から今までさまざまな活動がありました。NHKでドキュメンタリーが組まれるまで注目されるようになった道のりを見ていきましょう。

『ゲットーの歌です(こんなんどうです?)』は自主リリース

2005年に自主リリースで12センチ版CDをリリースします。LIBRAに入る直前に自主盤で発表したのが『ゲットーの歌です(こんなんどうです?)』です。後にfeat. ViViも発売されています。

Libra Recordでデビュー

2006年、アンダーグラウンドなヒップホップアーティストを扱いLibra Recordからついにプロとしてデビューします。そして1st EP『WELCOME TO GHETTO』をリリースしました。現在は昭和レコードに所属しています。

大阪の通天閣の真下で初のワンマンライブ

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2011年、初のワンマン・ライヴを開催します。なんとその場所は通天閣の真下!地元大阪のシンボルで約500人の観客を前に、圧巻のパフォーマンスを披露し通天閣を熱気で揺らしました。

NHK総合でドキュメンタリー番組が組まれる

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日雇い労働者の町を拠点とし、そこで暮らすような人達にエールを送るラッパーということでNHKでドキュメンタリー番組が放送されました。炊き出しに参加したりや、無料ライブを行ったりと地元に根付いて活動する様子にスポットをあてた番組となっています。

NEXT SHINGO☆西成は現在もライブ・トークイベントを開催中