【エリザベートバートリ】恐怖の血の伯爵夫人の残虐行為と吸血鬼伝説

エリザベートが最後を過ごしたチェイデ城は主を失うことになり廃墟となってしまいましたが、現在でも山の上に形を残しています。

スロバキア領となり山の上にあるため、簡単に行ける場所ではありませんが観光することも可能で、エリザベートが誘拐した娘たちを閉じ込めていた地下室もそのまま残されていると言われています。

また、少女たちが捉えられていた地下室には少女たちの苦痛や無念さを現わしているかのように壁に無数の爪痕が残されているとの噂もあります。

エリザベートバートリは6人の子宝に恵まれ、子孫も存在する

彼女には3男3女の6人の子どもいます。長女と次女は名家に嫁いでおり現在でも残っている名家であるため、エリザベートの子孫は未だ存在していると言われています。

エリザベートバートリは留守がちな夫に代わり城と荘園を管理した

語学などに優れており、教養のある素晴らしい女性だった彼女は戦で城を留守にしている夫に代わって城と領地や荘園を管理しており城と領地を守っていました。

エリザベートバートリは夫の死後姑を殺害した!

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花嫁修業から結婚した後も姑の確執は落ち着くことはなく、夫の死後からほどなくして夫の母親つまり姑が亡くなっています。一説によりますと、夫が死んで名実ともに城の主となったため、以前より疎ましかった姑を殺害したのではと言われています。

エリザベートバートリは黒魔術に傾倒していた

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エリザベートが心酔していたのは、若い女性の生き血を集めることだけではありませんでした。夫の留守中に黒魔術にふけっていたとの話もあります。エリザベートが黒魔術に心酔するようになった理由に迫ります。

エリザベートバートリは下男と黒魔術にハマっていた

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下男であったツルコはシャーマニズムに精通していました。彼女はツルコと共に地下室に籠り、怪しげな儀式に熱中したのでした。

エリザベートバートリの最後とは?

多くの少女たちを拷問の上虐殺してきたエリザベートですが、彼女の悪行は貴族であるが故に黙認をされていたと言われています。しかし被害者の数は600名以上にのぼると言われており農奴の娘たちからついには下級貴族にまで及びました。

貴族の娘にまで被害者が出だした為、今まで黙っていた者たちもついに動き出すことになりました。最終的には表沙汰になり前代未聞の貴族が起こした事件として語り継がれることになりました。ここでは、事件の発覚からエリザベートに対する裁判について紹介していきます。

エリザベートバートリの最後①周りは悪行に気付くも手が出せず

エリザベートが上流階級の貴族であった為、娘を殺された農奴を始め貴族や教会すらも、犯罪に気づいていながら沈黙を貫いていました。バートリー家の人間も自分の一族から殺人鬼が出るの恐れたためか隠ぺい工作を施していました。

エリザベートバートリの最後②少女が逃げ出し事件が表沙汰に

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1609年ごろから下級貴族の娘を礼儀作法講座と偽り呼び出し虐殺していましたが、さすがに貴族の娘が帰ってこないとなると事は問題となります。ハンガリー王家の耳にも入るようになり、最終的には監禁されていた少女が1人難を逃れ逃げ出すことに成功したため、事件はようやく表沙汰になることになりました。

エリザベートバートリの最後③裁判で高貴な血筋ゆえに死刑を逃れる

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エリザベートの悪事は表沙汰になり彼女は裁判にかけられることになりました。また、エリザベートの悪行に加担した使用人たちも裁判にかけられ拷問の末犯行を認めることになりました。

犯罪に加担した使用人たちは次々と斬首刑と火刑に処されることになりましたが、主犯であるエリザベートは高貴な身分だった為大勢の少女を虐殺していたにも関わらず死刑を免れる結果となりました。

エリザベートバートリの最後④城に幽閉され54歳で死を迎えた

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エリザベートの下された判決は、居住していたチェイテ城の部屋に生涯幽閉されるという処罰でした。彼女の部屋は窓や扉は全て漆喰で塗りつぶされ真っ暗な部屋の中で3年半ほど生活していました。

食事はわずか1日に1食のみであり食事の出し入れ用に設置された小さな小窓から与えられるだけでした。幽閉されて3年半後、部屋を監視していた兵士により彼女が死亡しているのを発見されました。

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また、エリザベートの遺体は骸骨になるまで放置されていたとの噂もありますが、これには諸説ある為彼女の遺体が死後どのように扱われていたかは判明していません。

エリザベートバートリの事件には政治的要因がからんでいた?!

エリザベートの事件には政治的な要因や一族の権力による原因が絡んでいるのではと囁かれており彼女はある意味政治の犠牲者になったのではと言われています。では、どのような原因があったと言われているのか見ていきましょう。

ハプスブルク家とマジャール貴族層の争いがからんでいた?

中世のヨーロッパでは貴族間や一族間での抗争などが多く、16~17世紀頃はマジャール貴族の間で当時実権を握っていた一族の勢力に対抗しており大きな存在感をバートリ家は発揮したいたそうです。エリザベートの叔父はハプスブルク家を退きポーランドの王になったこともあります。

ハプスブルク家にとっては、エリザベートの家系は所謂反逆者の家系であるため、この事件の背景にはハプスブルク家とマーシャル貴族層の間にある長い期間の確執と政治的な背景が絡んでいるのではと噂されています。

エリザベートバートリはバートリ一族の権力を抑えるための冤罪?

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エリザベートの家系は王になる人物までいたりして強大な権力を持っている家系でした。また、当時のハンガリーの国王は夫であるフィレンツェに負債があったという噂があります。

借金を帳消しにしするためにそして且つ大きな権力を持つバートリ家の権力を抑えるために冤罪が作り上げられらのではと一部で語られています。

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