つまり何か物的証拠や指紋検証、DNAなどが一致していたかれではなく、全て証拠は彼の供述、証言のみだったのです。これに対して『冤罪説』を訴える人たちは証拠不十分であり、警察が取り調べの際に誘導尋問した可能性が指摘されたのです。
冤罪説は本人が否定している
もしその説が本当であれば、ではなぜ少年は濡れ衣を着て冤罪を受けたのでしょうか?その理由が思いつがず考えられないのでやはり彼が真犯人なのかもしれません。尚、彼自身ホームページ内で確かな『鮮明な記憶』として残り、犯行を身体の一部のように思っている声明を表して『冤罪説』を否定しました。
当時警察が発表した内容が二転三転した?
先ほど冤罪説についてとその根拠いついて考察してお話ししていきましたが、実はそれに結びつけるといっても過言ではないのですが、第1の事件から逮捕された後まで警察が発表した事件の『物証』の多くが二転三転しているのです。
勿論犯行内容や次の犯罪を予告するメモ、犯人の正体も『異常』すぎたので警察の見解と大きく食い違う内容になったのは致し方かもしれませんが、それでも『犯人像』や『手口』が大きく推移しすぎているのです。これももしかしたら冤罪と囁かれる所以なのかもしれません。どんな要素が変わっていったのか解説していきます。
犯人像
新聞各社などのマスメディアが独自に専門家にプロファイリングを依頼した結果は、犯行声明文で難解な言葉を使っていたり、文の組み立てや構成がしっかりとしていたため大方の予想が『成人男性』でありましたが、警察も早期の段階から30代から40代の黒色のビニール袋を所持していた人物が犯人像と考えていたのです。
真犯人は成人もしていない当時僅か10代前半の子供であったので、警察の見立ては大きく外れることになりました。それだけではなく実は犯人を1人とは考えておらず、複数人によるグループ犯であると考えていたのです。しかしそれも大きく外れてしまいました。2枚目の次の犯罪を予告するメモが無ければ逮捕に至らなかったかもしれません・・・。
犯行・手口・凶器
まず犯行の計画性についてですが、警察は一連の悍ましさや残虐性の高さなどから『計画的な犯行』と見ていましたが、実際は殺してみたい切断してみたいなどの欲求による『衝動的な犯行』でした。それだけではなく、犯行そのものはプロや殺し屋によるものだと考えらていましたが、これも予想に反して普通の当時10代前半の男子によるものでした。
しかし彼は過去に動物である『ねこ』の首を切断したり命を奪っている経験があるので、それで言えば警察の予想はあながち間違っていなかったのかもしれません。凶器に使われていたのは本来は『金のこぎり』でしたが、従来の発表では『ナイフ』『糸のこぎり』と二転三転していました。この誤報がなければ今ほど『冤罪説』が囁かれかった可能性があり?
遺棄の場所
どの犯行も異例なもので残虐性、凄惨さ、その全てがトップクラスで悍ましい内容なのですが、特にインパクトが強い犠牲者の生首が『門』に遺棄していた事実。警察の発表はここでも二転三転して初めは『壁の上』で次が『校門の学校名が刻まれた看板の下』最後に『鉄の門の中央』に変わっていきました。
実際は門のコンクリートの上に置こうとしましたが、高かったため落下してしまい、門の中央に置きました。また警察の見立てによる犯行時刻は『5時10分以降』(目撃情報や新聞配達員が見ていないという情報から)だったのですが、本来は犯人は日付が変更したすぐ後に起きて、深夜2時から3時に犯行に及んでいるのです。
動機
当初の警察の見立てだと社会に対して怒りや憎しみを抱いていてその報復。あるいは義務教育に対しての復讐と考えられましたが、そこから『体罰』を受けた生徒の学校への恨みに変わりました、しかし本当の動機は恐らくは、犯人がこの世で一番愛していて唯一甘えられる存在であった『祖母』の死であると考えられます。
神戸連続児童殺傷事件の犯人酒鬼薔薇聖斗の生い立ちと家庭環境
多くの殺人鬼や犯罪者の多くは自分が幼いころや子供時代に、両親から虐待を受けていたり育児補器してまともな愛情を受けて育ってこなかったり、また学校でもいじめを受けていたりするなど、一人の生い立ちを見てみると劣悪な環境やトラウマ的体験をしている人物が多いのです。実際に両親の教育はその人物の性格や人格形成に大きく影響するといわれています。
しかし今お話しした『ケース』は成人を過ぎてから、つまりは大人になってから犯行や所業を行う場合がほとんどで、学生時代や幼少期には非行に走ってみたり、問題行動や奇行、不良になるくらいで殺人は稀であります。今回の事件の凶悪殺人鬼はまだ当時中学生であり少年だったのです。彼の生い立ちや家庭環境はどういったものだったのでしょうか?
家族構成
- 父親
- 母親
- 少年A(長男)
- 次男
- 三男
酒鬼薔薇聖斗は小学5年の頃から動物を殺害
幼少期や小学校低学年のころにはまだ問題行動や奇行は起こしていなかったらしいですが、高学年に上がると外で見かけた猫に対して『虐待』をしていたようで、内容は悍ましく首を絞めたり切断して命を奪ったのです。それも1匹だけではなく、10匹以上の猫を殺害したと言われているのです。なぜそのような悍ましい所業をしたのでしょうか?
徐々に物心がつき始めて色々な物に興味を示して、性的関心も高まる年ごろであり、普通の少年の様に異性に対して性的対象を向けるのではなく、彼は命を奪うことにより性的快楽を得ていたのです。自分の『モノ』になったという気持ちから興奮を覚えていたようです。尚、動物虐待の事実は警察も逮捕する前から把握しており、もともと目を付けていた人物だったそうです。
酒鬼薔薇聖斗の父親は家庭に無関心
別の凶悪事件の犯人である人物を例に出すと、やはり父親が厳しく躾の名目で暴力を受けていたようですが、彼の父親はいたって普通であり、あまり家庭には関心を寄せない人物だったそうです。とはいえ育児放棄をしていたわけでもなく、家庭を見放していたわけではなかったのです。勿論長男である凶悪な少年に対しても同様の事が言えます。
あまり執拗に厳しく何事にも叱るのではなく、本当に大事なことに対してはアドバイスや注意をする父親で、離れたところできちんと家庭や息子たちの事を見守っていたそうです。父親はよく言えば優しく自由奔放な教育をする人であり、悪く言えば無関心で少し育児放棄気味であったのかもしれません。世間では両方の意見があるようです。
酒鬼薔薇聖斗の母親は教育熱心
一方の母親は対照的でした。長男である凶悪な少年が生まれた際には幸せいっぱいな生活をして、赤ちゃんの彼を精一杯気を使って育児に勤しんでいましたが、次男、三男が生まれると多忙な毎日になり、次第に余裕がなくなってきて、長男である凶悪な少年に対してはそこまで面倒が見れなくなり、ネグレクト気味になっていたと言われています。
それでも非常にまじめな性格の人物だったので、悪いことをするだけではなく、幼気な少年であっても行儀が悪いのであれば厳しく叱り注意していました。かといって虐待をしていたわけではありませんし、母親の教育が間違っていたとも言い難いです。また彼は当時の母親の様子をいつも『イライラしていた』と話しております。