勝又拓哉は冤罪?栃木小1殺害事件の真相と犯人の生い立ちと現在とは

複雑な生い立ちであった勝又拓哉。では彼の性格、趣味、自宅の様子はどのようなものだったのでしょうか。

生い立ちから生じた内向的で不安定な性格や、少女性愛、いわゆるロリコンと呼ばれる趣味まで、5つの項目に分けてご紹介します。

勝又拓哉の性格①口数が少ない性格

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勝又拓哉は、口数が少ない性格でした。人と話すのが苦手で、話しかけられても小さな声で「はい」と相槌を打つのが精いっぱいだったといいます。また、情緒不安定で虚言癖があったとの証言も散見されます。

このような性格は台湾出身である勝又拓哉の生い立ち、日本語の苦手さやいじめの経験から来るものであり、そのために仕事も長続きしませんでした。

そしてこの性格が自白の強要を起こしたとして、冤罪説を後押ししてもいます。

勝又拓哉の性格②キレやすい一面もあった

勝又拓哉は口数が少ない一方、キレやすい一面もありました。小中時代も、からかわれるとすぐにキレて同級生に怪我をさせています。また特に、母親の悪口を言われると激昂するという特徴もありました。

元義父も「勝又拓哉はカッとなると感情を抑えられないタイプであり、キレたら何をするかわからなかった。突然怒鳴り込んできたこともあったし、善悪の判断がつかない子だった」と語っています。

勝又拓哉の性格③少女性愛趣味

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いわゆるロリコン趣味であった勝又拓哉の自宅のPCからは大量の女児の画像、児童ポルノ、猟奇的な内容の少女性愛画像が発見されました。

またフィギュア等の人形も好きで、母との仕事で出向いた骨董市などでフィギュアを購入していたとの目撃情報もみられます。

意外に感じるかもしれませんが、実は勝又拓哉は、骨董市などで幼い女児に人気がありました。

一見優しく感じる雰囲気、そしてイケメンともいえる容姿のおかげだと考えられますが、この頃から少女への歪んだ愛が芽生えていったと言えます。

勝又のものと思われるツイッターでのロリコン発言

勝又拓哉のものと思われるTwitterアカウントからは、2013年7月30日の書き込みとして以下のような文面が見つかっています。

「スク水」とは、スクール水着のこと。スクール水着にランドセル姿の女児を求める勝又拓哉のこの呟きは衝撃的で、瞬く間にマスコミに取り上げられることとなりました。

勝又拓哉は一日中パソコンに向かっていたことも

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勝又拓哉は事件当時の23歳頃、一日中家でゴロゴロし、パソコンに向かっていたといいます。友達がおらず職もなかった勝又拓哉は、インターネットにその居場所を見出したのです。

そのために昼夜逆転の生活を送っており、勝又拓哉が夜中にコンビニエンスストアで1人分の食事を購入する姿が毎日目撃されていました。

料理もせず、弁当を食べながらひたすらパソコンに向かっていたことがうかがえます。

勝又拓哉はナイフマニアでナイフを収集していた

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勝又拓哉はナイフを自宅に多数収集していました。その数10~20本。逮捕時に押収されたナイフは、殺傷力の高いサバイバルナイフがほとんどでした。

偽のブランド品を販売していた際、骨董市でもナイフを購入する姿が目撃されており、同級生の証言によると、事件が起きた23歳の頃にはナイフ収集を趣味としていました。

勝又拓哉の父・母との関係は?溺愛されていたとは本当?

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では、台湾出身の母親、そして義理の父親とはどのような存在だったのでしょうか。

勝又拓哉に対する母親からの溺愛、義父との折り合いの悪さなど、ここにも普通とは異なる安定しない状況を見つけることが出来ます。ここでは勝又拓哉とその両親との関係についてご紹介します。

勝又拓哉と両親の関係①母親からは溺愛されていた

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勝又拓哉は、母親からは溺愛されており、勝又拓哉が欲しがるものは母親がすべて買い与え、無職時代は一人暮らしもしていましたが、家賃や生活費、食費なども母親が支払っています。

勝又拓哉の自制心のなさは、この母の甘やかしにより生じたものでしょう。そんな母親は現在、重い病で闘病中。しかし勝又拓哉の無罪を信じ、台湾には戻らずにその帰りを待ち続けています。

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また驚くことに勝又拓哉の母親と被害者・吉田有希さんの母親は、近所に住んでいる同士、交流があったと捜査の関係者が明かしました。

かなり親しいという訳ではありませんでしたが、グループで某遊園地へ出かけたこともあるというから驚きです。

勝又拓哉と両親の関係②父親は義理の父親で折り合いが悪かった

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勝又拓哉が台湾から来日するきっかけとなった義理の父親であり母親の再婚相手。勝又拓哉は、この義父(現在は離婚したため元義父)と非常に折り合いが悪かったといいます。

口喧嘩は当たり前、殴り合いのケンカも多くしていました。特に義父への暴力は日常茶飯事であり、またこの義父にも3人の連れ子がいましたが、当然その連れ子との仲もギクシャクしていました。

勝又拓哉と両親の関係③息子を怪しむ夫に妻は「黙っていろ」と発言

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義父は事件が起きた翌日、警察に「息子が怪しい」と通報。死体遺棄現場の土地勘もあり、ロリコン趣味。そして車に大型のナイフを積んでいるのを目撃したためでした。

そのことを勝又拓哉の母親に相談すると、息子を溺愛している母親は「黙っていろ!」と一喝。これが原因となり夫婦仲は悪化、その後離婚に至りました。

父親にも見られる不可解な点

あるルポライターの取材によると、義父は「息子である勝又拓哉がランドセルを車に積み、処分していた」とも証言しましたが、これに対し母親は「異父妹の通学のためにランドセルを積んでいただけ」と主張。

そして、なんと義父は警察への通報により、懸賞金を一部受け取っていたといいます。額は発表されていませんが、このことから「金目当てで勝又拓哉を売ったのではないか」という世論も勃発しました。

母親の溺愛から生まれた犯罪者は他にも

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勝又拓哉のエピソードとして目立つのは、母親の溺愛により彼の自己中心的な性格が形成されていったという点です。母親は心理学的に見ても、全ての人にとって一番近い存在。

その母親に歪んだ愛情を注がれれば、子供もまた歪んで育ちます。ここでは勝又拓哉同様、母親の溺愛により生まれた犯罪者を2人、ご紹介します。

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