勝又拓哉は冤罪?栃木小1殺害事件の真相と犯人の生い立ちと現在とは

息子可愛さに過ちを犯した母。母親の間違った愛情が、この殺人を起こしたと言っても過言ではありません。裁判の結果、弥谷鷹仁には懲役15年、弥谷恵美には懲役7年の刑が下りました。

母親の溺愛に人生を狂わされた「監禁王子」

2001年、2004年に発覚した北海道・東京連続少女監禁事件。「監禁王子」の名を聞いたことがある人も多いのではないでしょうか。

事件の犯人である小林泰剛は、2001年には北海道で知り合った女性を2週間監禁。その後2004年には東京で18歳の少女を脅迫、3ヶ月に渡り監禁しました。

小林は10代の頃に母親を亡くしていますが、生前の母親は教育熱心で、小林を溺愛していました。高校時代には小林と女子生徒の仲を取り持ち、女子生徒が拒絶すると母親が説得に乗り出す場面も見られたといいます。

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また、息子のために避妊具を用意し、部屋に置いていたとの証言もあります。小林は事件後、「母親が唯一の理解者だった」と話し、典型的なマザコンであったことがわかっています。

小林は犯行動機を「母のような女性がいないと生きていけない」と語り、少女を監禁したマンションには母親の写真が飾ってありました。

母親の溺愛により母なしで生きられなくなった小林泰剛。人生を歪められた彼も、ある意味で母親の被害者であると言えるのかもしれません。

勝又拓哉の現在の様子は?

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勝又拓哉は第一審、第二審と無期懲役判決を受けた後、最高裁に持ち込み勝又拓哉本人、そして弁護団が無罪を主張し続けています。

ここでは、最高裁に挑むための弁護団の主張などをご紹介します。

勝又拓哉は現在は最高裁に上告中で拘留中

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勝又拓哉は現在、拘置所で毎日を過ごしています。2018年8月に控訴審が終了し、同年12月17日には弁護団6人が作成した120ページに渡る上告趣意書を最高裁に提出。その主張は主に以下の2点がありました。

  • 拘留中に勝又拓哉が母親に宛てた手紙に書かれた「ごめんなさい」という文面は、今回の事件に対するものではなく、事実誤認である。
  • 控訴審で事件のあった日時や場所の幅が広げられたことは法令違反である。

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これらを理由に弁護団は勝又拓哉の無罪を主張。また、彼自身もこの時期に取材に応じ「早く自由にしてほしい」と語りました。

しかし無期懲役を巡る裁判が最高裁まで持ち込まれることは稀であり、今回の上告は棄却され、無期懲役刑となる可能性が大きいと考えられています。

勝又拓哉の起こした事件のその後の遺族と世間に与えた影響とは?

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不可解な点も多く、非常に猟奇的であり悲しい今回の事件。この事件を受け、その後の遺族と世間にはどのような影響が出たのでしょうか。被害者遺族、そして地域の防犯意識の変化についてご紹介します。

勝又拓哉の事件のその後①被害者の母親は判決を待たずに亡くなった

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事件後、被害者である吉田有希さんの母親、洋子さんは2016年5月に病死しました。47歳、事件の判決を待たず、無念の死でした。

第一審には洋子さんの姉が証言台に立ち、洋子さんは心労が重なり亡くなったこと、毎朝血圧を測り何とか健康でいよう、生き延びようと努めていたことを語りました。

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「有希と有希の母親が見ていることを忘れないでください。絶対許しません」ときっぱりと述べ、最後に「極刑を望みます」と訴えた。(引用:産経ニュース)

この言葉から勝又拓哉は、被害者遺族に大きすぎる影響を及ぼしたことが分かります。

母親の洋子さんは勝又拓哉の逮捕時、捜査員に「本当によかった」と話しました。事件後は何度も手記を発表しその心境、早い真相究明を望むことを訴えています。

勝又拓哉の事件のその後②子供の安全への意識が高くなった

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事件後、有希さんが通っていた日光市立大沢小学校では、ボランティアやPTA、教員による地域安全パトロール「大沢ひまわり隊」が結成されました。

児童の登下校に付き添い、見守り、パトロールをするこの隊は現在も活動中で、ボランティア、保護者、教員、総勢600名以上で活動を継続中。

事件から14年が経った今も、下校時には保護者の車が運動場に並びます。子供だけで登下校することはありません。子供達の安全を守る意識が非常に高くなったのです。

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また当時、事件を受けて地域の子供達にもその影響は広がりました。中学生になっても眠る時に電気を消せない、1人でいることが怖い、などの不安を訴える同級生が多く現れたのです。

同小学校の校長は「逮捕までは、どこに犯人がいるか分からない不安があった。とにかく子供達の安全を確保しなければとの思いがあった」と語っています。

勝又拓哉の逮捕には霊能力者が関わっていた?

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実は勝又拓哉の逮捕にはある霊能力者の存在が関係していました。事件から半年後、捜査に進展がないことに焦りを感じた捜査員は、栃木県内のある霊能力者に事件の透視を依頼します。

その霊能力者とはどのような人物であったのか。そして透視の結果、何が見えたのか。驚くべきその内容をご紹介します。

勝又拓哉の逮捕に強力した霊能力者・日光市在住のA子とは?

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捜査員が訪ねたのは、栃木県日光市に住む霊能力者・A子さん(当時49歳)。彼女は、地元で名の知られた霊能力者でした。A子さんは一般的な専業主婦ですが、子供の頃から霊感が強かったといいます。

霊能力者として除霊なども行っていましたが、一番得意なのは写真からの霊視。なんと、写真に写る人物の思考、見た風景、音声などが頭に流れ込んでくるのだとか。

この時の霊視では3日に渡り、被害者の写真から霊視。捜査員の依頼により霊能力者・A子さんは、連れ去られたルート、殺害現場、凶器の3点を重点的に見続けました。

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 霊能力者・A子さんが依頼を受ける場所は、一階が喫茶店となっている店舗。その上の階で霊視、除霊等を行っています。

 霊能力者・A子さんには基本的に人からの紹介がないと見てもらえませんが、実際に彼女に霊視をお願いした人物によると、あえて自分のことは話さなかったにも関わらず、怖いほど当たっていたといいます。

今も多くの信者がおり、実力はの 霊能力者・A子さんに縋るため、県外から足を運ぶ人も多くいます。

A子さんは透視で勝又拓哉の特徴を次々言い当てた

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霊能力者・A子さんは、3日間の霊視の中で以下のことを見たといいます。

  • 犯人は20代後半から30歳くらいの男性
  • 目が丸く、少しつり目気味。髪は耳が隠れる程度でヒゲはなし
  • 「たくちゃん」という愛称で呼ばれている
  • 被害者が泣いて騒いだため、日光市内の山道で刺殺。その際の刃物は特殊な形状
  • 遺体を水で洗い、傷口以外は綺麗にした

このように、A子さんは霊能力者として勝又拓哉の外見、名前、事件の様子を的確に言い当てました。他にも、逮捕後に判明した事実と同じことをいくつも話す場面も見られています。

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また捜査官だけにでなく、事件から2年後に 霊能力者・A子さんを取材したTV関係者に対しても「たくちゃん」という愛称を告げていたといいます。勝又拓哉逮捕時には、このTV関係者も腰が抜けたといいます。

また、その取材の際にも 霊能力者・A子さんは勝又拓哉が定職に就いていないこと、犯行時と現在使っている車は別だということなども霊視。

実際勝又拓哉は事件翌年の2006年、犯行当時使っていた車を廃車として処分したというから驚きです。

勝又拓哉は栃木小1殺人事件の犯人で現在も無罪を主張している

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栃木小1女児殺害事件の犯人・勝又拓哉は今もその無罪を主張し続けています。真相は本人にしか分かりませんが、不可解な点が多く見られるのも事実です。

勝又拓哉の不安定な人生、不十分な証拠と冤罪説、霊能力者の協力など、様々なエピソードが存在するこの事件は、今日も世間の注目を集め続けています。

今後、裁判所は彼にどのような判決を下すのでしょうか。正しい判決、そして1日でも早い遺族の心の平穏を祈ります。

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