八鹿高校事件とは?事件の概要や背景・主犯の丸尾良昭の人物像にも迫る

彼らが提示した武器は、学内に部落差別撤廃を真剣に考察する解放研究会の設立です。しかし、この研究会の背景には学校の支配を抜け外部組織である解放同盟のアシストを受け活動拠点とすることが示されていました。

八鹿高校事件の背景②部落解放研究会と教職員が対立

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そんな一文を受けて勿論、学校側もはいそうですかと通す訳にはいきません。しかし、彼らのバックには強大な大人の力があります。ここでも学校側は激しい糾弾の末、主義を曲げることを余儀なくされてしまったのです。

お互いの正義を信じる者同士が対峙すれば、争いが起きてしまうのは自然の摂理。しかし、同じ学舎で互いを尊び、互いから学び学ばれ良い関係を築いていくはずの教育陣と生徒陣が幾度となく対立するのは悲しい事です。

この一件については、部外者である団体が横槍を入れてきたことにより、更に事態を深刻にしたことは疑いようのない事実です。第三者の介入により事態が鎮静化することもありますが、その境界を見極めるのは困難です。

八鹿高校で部落解放研究会の設置が拒否される

外部組織のバックアップを受けて活動する研究会は、もはや生徒の自主性を尊重し協調性を養う事を目的とした部活動で定義された域を軽々と逸脱していました。そのため、学校側は断固拒否の姿勢を崩しません。

また、解放研究会の設立が頑なに認められなかった背景には、なんと名前を同じくする公認の同研究会が存在していたからです。そちらは、生徒たち自らの力で地域に根付く問題を払拭しようと発足した正当な物でした。

ここで両者が穏便に場を収めることができていれば、事件名が付くほど大規模な占領暴行事件に発展することもなかったかもしれません。しかし、悲しいことにそう都合よく事は運ばないのがこの世の摂理です。

長時間の糾弾で疲弊した八鹿高校校長が認可

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活動拠点を増やせなければ困る、とでも言わんばかりに、研究会設立の否決を受け解放同盟は浸食の一歩を踏み出します。彼らは生徒らを取り込み、学校上層部へ直訴しに乗り込みます。ここでの手段も荒っぽい物でした。

彼らは人の精神が疲弊するには十分な長い時間が必要だと心得ており、学校上層部の人員を拘束します。ここでは物理的な拘束を指すのではなく、大人数で取り囲み心理的に逃げられなくする手段を取りました。

精力尽き、強固な意志を持ち続けることが困難になった同校の校長、以下教頭には、彼らの訴えを退け続けるだけの気力は残されていませんでした。かくして、職員らと決定した設立の否決は覆ることとなったのです。

八鹿高校一般教員は認可に反発

解放同盟の強烈な攻めによりパッシブな状態に否応なくならざるを得なかった学校上層部。しかし、直接の被害を受けずした他教員たちの頭には疑問符が浮かびます。会議で否決を決めたのだから当然です。

そのような団体を校内に設置しておいては、どんなトラブルを呼び起こすかわかりません。そのため、他教員たちは上層部に今一度考えなおすよう訴求します。しかし、そんな態度を同盟側が見逃すはずはありません。

教員たちの当然の主張に対して、同盟側はそれを自分たちに対する嫌がらせ、出身による区別、つまり差別に値するとして反発しました。しかし、強行により設立された研究会にははてさて他地域出身の生徒もいた様です。

差別された部落出身者

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さて、八鹿高校事件ではきっかけとなった具体的な差別事件がありましたが、日本には残念ながら古来より不当な扱いを受けてきた人々がることは事実。読者諸君も、学校の授業などで耳にしたことはあると思います。

彼らは何故差別されるに至ったのか、また、他地域との明確な違いなどはあったのか。この章では少し寄り道をして、根深い風習である被差別問題について紹介します。今一度、問題に目を向ける足掛けとなれば幸いです。

差別のきっかけ①生まれた地域

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生物がこの世に生を受ける場所。これについては、如何なる種族の生物であろうと意思決定を反映することができない不可逆な問題です。そのため、当然生まれによる貧富の差は依然として存在します。

その貧富の格差問題については、実はほぼ自然的に発生するものなのです。つまり、貧しい地域に生まれた者はその環境から逃れることは難しく、住居環境の悪さから同じ財政状況の人たちが移り住みより深まるからです。

そうして、住環境も悪く、また、十分な身銭がないため教育も難しい地域で育った子供たちが増えていきます。そのため、「あの地域と関わるのは避けた方がよい」という考えが広まり、被差別部落が生まれるのです。

差別のきっかけ②職業の貴賎

日本における被差別部落問題は非常に根深く、さかのぼると遥か古来の鎌倉時代にもその記述を見ることができます。なぜ斯様な昔からかというと、血が絡む事柄は穢れである、として忌避されていたからなのでした。

そのため、生理現象である女性の月経についても驚くことに穢れとされ、中には生理の間は小屋を建てそこへ月経中の女性を集め隔離した、などという逸話も残っています。それほど当時は根深い考えだったのです。

故に、動物を殺生する食肉や革製品に携わる人々は、必要な存在であるにもかかわらず差別されました。存在すら忌避され、外部との交流は持ちません。当時の身分制度については、以下の記事で詳しく紹介しています。

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