大分一家6人殺傷事件とは?犯人の動機や現在、被害者一家のその後に迫る

保護処分は「一から育て直すように未熟な自我の発達を促し、命の尊さを教えることが社会に適応するために不可欠」「重症の小児期発症型行為障害なため、専門的な治療と教育を長期間行う必要がある」との内容でした。

2002年に医療的な処置を終え関東地方の特別少年院へ移送

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犯人は、育った環境が劣悪だったため、重症の小児期発症型行為障害でした。2002年10月に医療的な処置が終わり、犯人は関東地方にある特別少年院へ移送されました。

民事訴訟により犯人の情報を35歳になるまで遺族へ伝える事を条件に和解

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2001年に遺族は訴訟を起こし賠償金などを求めましたが、経済的な事情により和解できないまま訴訟は却下されました。遺族は民事訴訟での和解を目指し、2003年に犯人の両親と遺族による和解が成立しました。

「犯人が35歳になるまで住所と職業を遺族に伝えること(半年に1度)」「反省状況を遺族に伝えること(半年に1度)」「賠償金を毎月6万円支払うこと(総額2億4千万円になるまで)」という条件での和解でした。

月6万円だと351歳まで支払わなければ総額に達しませんが、「生きている限り償うこと」を重要としています。「生き残った遺族達の恐怖心を和らげること」や「更生の状況を知ること」なども目的としています。

和解の条件は守られず犯人自身からの手紙は少ない

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少年院を出所し、社会人になっているはずの犯人からの連絡は途絶えてしまいました。犯人の両親からの報告は定期的に遺族に届いていますが、犯人の住所や職業は書かれていないため、和解の条件は守られていません。

逮捕直後は反省の言葉を述べていた犯人でしたが、2018年までの18年間、遺族の元に届いた手紙の大半は犯人の両親から届いた手紙であり、犯人からの手紙は数えるほどしか届いていません。

大分一家6人殺傷事件の犯人の現在は?

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大分一家6人殺傷事件の犯人の現在の状況は不明です。生きているならば現在(2019年)は34歳になっており、現況報告が必要ではなくなる35歳になるまでの期間は、僅かしか残っていません。

情報が世に出ていないだけで、「犯人からの手紙が遺族に届き、遺族が心安らかな日々を過ごしていること」や「犯人が更生し、反省しながら日々を過ごしていること」を願います。

大分一家6人殺傷事件の遺族その後と現在

大分一家6人殺傷事件当日、「被害者一家が寝ている深夜に、隣の家の少年が入ってきて、サバイバルナイフを振り回しながら次々と一家を刺し殺していく」という、地獄のような光景を生き残った遺族は見ています。

生き残った遺族の精神的なショックは大きく、「知らない人が怖い」という状態になってしまいました。

暫くの間、病室から出られず、病室を出られるようになった後も「人の多い売店には行けない」など、日常生活を送れる状態になるまで、時間をかけて少しづつ外や人に慣らしていきました。

遺族父親は大分被害者支援センターでボランティアとして活動

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遺族や被害者支援に関わった人達によって、事件が起きた3年後(2003年)に、大分被害者支援センターが設立しました。大分一家6人殺傷事件は、大分県の人々が被害者支援に注目する切っ掛けとなったのです。

生き残った長女と次男の実の父親は、センターを長男が生きた証と捉え、設立した当初からボランティアとして被害者支援に携わっています。被害者支援の輪が、遺族の救いとなっています。

事件後長女と次男は実父に引き取られ一緒に生活

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大分一家6人殺傷事件が起きた頃、実の父親は離婚していたため、一家と一緒に暮らしていませんでした。実の父親には、すでに別の家族がいました。

事件を知った実の父親は、すぐに実子を引き取ろうと決心しましたが、現在の家族に切り出せずにいました。現在の妻から「お父さんが引きとらんでどうするん」と切り出され、長女と次男を引き取ることになりました。

長女は義母の介護を受けながら大学へも進学

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長女は背中を切られた後遺症により車椅子生活となりましたが、義母の介護を受けながら大学受験を乗り越え、大学へ進学しました。

後遺症を抱え、酷い精神状態からの再スタートは苦難続きでしたが、本人の努力と家族や周りの人達の支えにより、一生懸命に生活しています。

次男はカウンセリングや家族の支えでトラウマを少しずつ克服

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次男は、大分一家6人殺傷事件当日の地獄のような光景を思い出し、言葉遣いや動作が退行する時期がありましたが、カウンセリングを受け、家族に支えられながら、少しずつトラウマを克服しました。

長女と同様に、本人の努力と家族や周りの人達の支えにより、学校に通えるほど精神状態が回復し、運動が出来るほどに体も回復しました。トラウマは簡単に消えるものではありませんが、一生懸命に克服しています。

大分一家6人殺傷事件の遺族父親の心境の変化

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大分一家6人殺傷事件の直後から和解に至るまでの3年間、たくさんの葛藤が遺族にはあり、心境の変化もありました。この心境の変化は、犯人が和解の約束を守ることが前提となっています。

遺族の父親は、和解の約束を守り続けるのは難しいことだと理解した上で、継続させることが被害者や遺族への償いだと考えていました。和解に至った2003年当時に1番知りたかったことは、犯人の反省状況でした。

犯した罪は一生償い続けるべきであり、罪を償うために、「犯人自身や被害者一家について、よく考えながら一生を過ごしてほしい」「罪を償う心を土台にして、罪を忘れずに過ごしてほしい」と願っていました。

事件直後は極刑を望んだ

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遺族の父親は、「犯人が15歳であっても極刑に処してもらいたい」と、大分一家6人殺傷事件の直後は望んでいました。

犯人を極刑に出来ないのであれば「どんな方法で償わせるか」「どんな方法で反省させるか」を考えるようになりました。遺族の父親の心境の変化には、被害者支援センターや近隣住民の支えが大きな影響を与えました。

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