大分一家6人殺傷事件とは?犯人の動機や現在、被害者一家のその後に迫る

長女は車椅子生活となるも大学へも進学

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長女は、犯人に背中を深く切りつけられました。命はとりとめましたが体には後遺症が残ってしまったため、車椅子生活となりました。その後は家族の助けをかり、大学へ進学しました。

大分一家6人殺傷事件の犯人逮捕後と民事訴訟

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少年法が改正される直前に大分一家6人殺傷事件が起きたため、犯人は刑事責任を問われませんでした。

当時の少年法では「16歳以上」は成人と同じ刑事裁判を受けますが、大分一家6人殺傷事件の犯人は15歳だったため、家庭裁判所で審判が進められました。

保護処分の種類は、保護観察・児童自立支援施設への送致・少年院への送致などがあります。刑事処分が相当と判断できるほど罪が重い場合は、検察官に少年を送致し、刑事裁判の法廷で裁くことができます。

大分家裁にて医療少年院への送致言い渡し

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2000年9月、「少年院への送致が相当」と大分地方検察庁が意見書を出し、大分家庭裁判所で「観護措置」と決定し、大分少年鑑別所に犯人は収容されました。12月の最終審判では、保護処分が言い渡されました。

保護処分は「一から育て直すように未熟な自我の発達を促し、命の尊さを教えることが社会に適応するために不可欠」「重症の小児期発症型行為障害なため、専門的な治療と教育を長期間行う必要がある」との内容でした。

2002年に医療的な処置を終え関東地方の特別少年院へ移送

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犯人は、育った環境が劣悪だったため、重症の小児期発症型行為障害でした。2002年10月に医療的な処置が終わり、犯人は関東地方にある特別少年院へ移送されました。

民事訴訟により犯人の情報を35歳になるまで遺族へ伝える事を条件に和解

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2001年に遺族は訴訟を起こし賠償金などを求めましたが、経済的な事情により和解できないまま訴訟は却下されました。遺族は民事訴訟での和解を目指し、2003年に犯人の両親と遺族による和解が成立しました。

「犯人が35歳になるまで住所と職業を遺族に伝えること(半年に1度)」「反省状況を遺族に伝えること(半年に1度)」「賠償金を毎月6万円支払うこと(総額2億4千万円になるまで)」という条件での和解でした。

月6万円だと351歳まで支払わなければ総額に達しませんが、「生きている限り償うこと」を重要としています。「生き残った遺族達の恐怖心を和らげること」や「更生の状況を知ること」なども目的としています。

和解の条件は守られず犯人自身からの手紙は少ない

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少年院を出所し、社会人になっているはずの犯人からの連絡は途絶えてしまいました。犯人の両親からの報告は定期的に遺族に届いていますが、犯人の住所や職業は書かれていないため、和解の条件は守られていません。

逮捕直後は反省の言葉を述べていた犯人でしたが、2018年までの18年間、遺族の元に届いた手紙の大半は犯人の両親から届いた手紙であり、犯人からの手紙は数えるほどしか届いていません。

大分一家6人殺傷事件の犯人の現在は?

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大分一家6人殺傷事件の犯人の現在の状況は不明です。生きているならば現在(2019年)は34歳になっており、現況報告が必要ではなくなる35歳になるまでの期間は、僅かしか残っていません。

情報が世に出ていないだけで、「犯人からの手紙が遺族に届き、遺族が心安らかな日々を過ごしていること」や「犯人が更生し、反省しながら日々を過ごしていること」を願います。

大分一家6人殺傷事件の遺族その後と現在

大分一家6人殺傷事件当日、「被害者一家が寝ている深夜に、隣の家の少年が入ってきて、サバイバルナイフを振り回しながら次々と一家を刺し殺していく」という、地獄のような光景を生き残った遺族は見ています。

生き残った遺族の精神的なショックは大きく、「知らない人が怖い」という状態になってしまいました。

暫くの間、病室から出られず、病室を出られるようになった後も「人の多い売店には行けない」など、日常生活を送れる状態になるまで、時間をかけて少しづつ外や人に慣らしていきました。

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