大分一家6人殺傷事件とは?犯人の動機や現在、被害者一家のその後に迫る

遺族父親は大分被害者支援センターでボランティアとして活動

出典:PhotoAC

遺族や被害者支援に関わった人達によって、事件が起きた3年後(2003年)に、大分被害者支援センターが設立しました。大分一家6人殺傷事件は、大分県の人々が被害者支援に注目する切っ掛けとなったのです。

生き残った長女と次男の実の父親は、センターを長男が生きた証と捉え、設立した当初からボランティアとして被害者支援に携わっています。被害者支援の輪が、遺族の救いとなっています。

事件後長女と次男は実父に引き取られ一緒に生活

出典:PhotoAC

大分一家6人殺傷事件が起きた頃、実の父親は離婚していたため、一家と一緒に暮らしていませんでした。実の父親には、すでに別の家族がいました。

事件を知った実の父親は、すぐに実子を引き取ろうと決心しましたが、現在の家族に切り出せずにいました。現在の妻から「お父さんが引きとらんでどうするん」と切り出され、長女と次男を引き取ることになりました。

長女は義母の介護を受けながら大学へも進学

geralt / Pixabay

長女は背中を切られた後遺症により車椅子生活となりましたが、義母の介護を受けながら大学受験を乗り越え、大学へ進学しました。

後遺症を抱え、酷い精神状態からの再スタートは苦難続きでしたが、本人の努力と家族や周りの人達の支えにより、一生懸命に生活しています。

次男はカウンセリングや家族の支えでトラウマを少しずつ克服

出典:PhotoAC

次男は、大分一家6人殺傷事件当日の地獄のような光景を思い出し、言葉遣いや動作が退行する時期がありましたが、カウンセリングを受け、家族に支えられながら、少しずつトラウマを克服しました。

長女と同様に、本人の努力と家族や周りの人達の支えにより、学校に通えるほど精神状態が回復し、運動が出来るほどに体も回復しました。トラウマは簡単に消えるものではありませんが、一生懸命に克服しています。

大分一家6人殺傷事件の遺族父親の心境の変化

出典:PhotoAC

大分一家6人殺傷事件の直後から和解に至るまでの3年間、たくさんの葛藤が遺族にはあり、心境の変化もありました。この心境の変化は、犯人が和解の約束を守ることが前提となっています。

遺族の父親は、和解の約束を守り続けるのは難しいことだと理解した上で、継続させることが被害者や遺族への償いだと考えていました。和解に至った2003年当時に1番知りたかったことは、犯人の反省状況でした。

犯した罪は一生償い続けるべきであり、罪を償うために、「犯人自身や被害者一家について、よく考えながら一生を過ごしてほしい」「罪を償う心を土台にして、罪を忘れずに過ごしてほしい」と願っていました。

事件直後は極刑を望んだ

kalhh / Pixabay

遺族の父親は、「犯人が15歳であっても極刑に処してもらいたい」と、大分一家6人殺傷事件の直後は望んでいました。

犯人を極刑に出来ないのであれば「どんな方法で償わせるか」「どんな方法で反省させるか」を考えるようになりました。遺族の父親の心境の変化には、被害者支援センターや近隣住民の支えが大きな影響を与えました。

社会の一員として真面目に生活できているのであれば「頑張れよ」と言える

Andrys / Pixabay

和解に至った2003年に遺族の父親は、犯人が一生懸命に頑張って罪を償い、社会の一員として貢献し、真面目に生活を送っている報告が半年ごとに届くことを願っていました。

半年ごとに届く報告から、犯人の後悔する心を感じ、真面目に生きていることが見受けられた場合は、遺族の父親は35歳になった犯人に会い、「頑張れよ」と声をかける心境になっているかもしれないと思っていました。

18年後の遺族父親の心境

出典:PhotoAC

18年後(2018年)に遺族の父親が語った状況によると、犯人からの手紙は少なく、住所や職業も書かれていないとのことでした。犯人は和解の約束を守らず、犯人の現状も反省の色も、遺族に伝わっていないのです。

遺族は「詳細な動機を知りたい」と願っています。事件の審理は、家庭裁判所による非公開審理だったため、詳細な動機は公になりませんでした。真相がわからないまま、遺族は18年の月日を過ごしました。

何も伝わらない状態のままで、遺族の心は癒えるはずもなく、何も解明されない状況のままで、遺族は一生懸命に生活しています。18年の月日を経た遺族はの父親は、「犯人は刑事責任を負うべきだった」と言いました。

NEXT 人気Youtuberのワタナベマホトが大分一家6人殺傷事件の真相を語る!?