東住吉事件とは?性的虐待の真相は?再審で無罪判決!疑惑の事件の闇に迫る

東住吉事件では、小学6年生の女児(当時11歳)が住宅火災に巻き込まれ死亡し、母親と同居していた内縁の夫が高額の保険金を動機に犯行におよんだと容疑がかけられ逮捕されます。一旦は無期懲役の有罪判決が下りました。しかし、自白の強要が認められ、再審で東住吉事件は無罪が証明されて冤罪事件として波紋を呼びました。そんな事件の詳細と裁判の判決、容疑者となってしまった内縁の夫婦に向けられた疑惑の真相を探っていきます。

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東住吉事件とは?冤罪だった?

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時はさかのぼり1995年(平成07年)に東住吉事件は起こったのですが、2016年(平成29年)に報道機関でながれていたこともあり、東住吉事件と聞くと覚えがあるという方もいるのではないでしょうか。

東住吉事件では、住宅火災に巻き込まれた小学6年生の女児(当時11歳)が民家から死亡して発見されます。住人であった母親の青木惠子と同居していた内縁の夫の朴龍晧に、保険金を目的に共謀して火災を起こし殺害したのではないかと容疑がかかり、裁判の末に無期懲役の有罪判決が言い渡された事件です。しかし、その後に再審が行われるとそれまでの判決がひっくり返り、無罪が確定します。

しかし、冤罪事件として裁判の幕も閉じた東住吉事件なのですが、今もなお事件の真相に関しては未解明な点も多く、疑惑の声が絶えません。では、真相を掘り下げて、紹介していきたいと思います。

東住吉事件の詳細と裁判

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民家が全焼する住宅火災が大阪府大阪市東住吉区にて発生しました。そこの住人である母親と長男、そして同居していた母親の内縁の夫は家の外に無事避難しました。

住宅の建物に組み込まれたシャッター付きの土間兼車庫が出火原因と推定されており、その車庫のすぐ隣にある浴室から入浴中だった、小学6年生の長女が死亡して発見されました。

青木惠子と朴龍晧は多額の負債をかかえていました。その返済におわれていたこと、さらにはマンション購入のための資金が必要であったりと家計は火の車状態でした。死亡した長女には死亡時の支払金が高額な生命保険がかけられており、長女の死亡により保険会社に対し保険金支払いを請求したことで、警察は青木惠子と朴龍晧が保険金を詐取しようと企み共謀して長女を殺害したのではないかと疑い2人を逮捕しました。裁判の末に、青木惠子と朴龍晧に無期懲役の有罪判決が確定します。

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しかし、その後行われた再審で、弁護団により青木惠子と朴龍晧の自白による証拠書類を参考にして現場を再現し行われた実験の結果が掲示されると、警察によって取調べし作られた証拠書類には、虚偽りがあり、捏造されたものであると認められ、2人の無罪が確定します。

果たしてこれが真相・全貌なのでしょうか。それとも他に真相があるのでしょうか。

東住吉事件①1995年7月22日に火災発生

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事件の発端は大阪府大阪市東住吉区の民家で起こりました。それは1995年(平成07年)07月22日、まだ明るさの残る午後04時50分頃の出来事でした。

住宅火災が起こり、民家は全焼しました。出火原因は住宅の建物に組み込まれたシャッター付きの土間兼車庫(ガレージ)と推測されました。

東住吉事件②火災で長女青木めぐみさんが死亡

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火事が起きて火の気に気付いた青木惠子はすぐさま長男を連れて家の外へと避難して2人は無事でした。そして、同居していた内縁の夫の朴龍晧も同じく家の外に無事避難しました。しかし、全焼した家の中から、小学6年生の青木めぐみさん(当時11歳)が死亡して発見されます。青木めぐみさんは出火原因と推定された車庫のすぐ隣に面していた浴室で入浴中でした。死亡した青木めぐみさんは青木恵子の長女であり、連れ子でした。

東住吉事件③保険金請求詐欺未遂で母親と内縁の夫を起訴

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大阪府警は、死亡した長女に高額の生命保険がかけられていたこと、2人に多額の負債があったのにマンション購入の契約をしており、金銭的に困っていたことから、保険金を詐取するのが目的の殺人と推測しました。

警察の調べでは、お金に困った2人が長女が浴室で入浴している間に、車庫に停車しておいた自動車のガソリンタンクより手動式のポンプを使ってガソリンを吸い出し車庫内に撒布し、火を放ち火災を発生させて殺害したのではないかとしました。

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大阪府警はすぐさま東住吉署に捜査本部を置き捜査を始めていきます。1995年09月10日に事情聴取を行うため、青木惠子は東住吉署へと朴龍晧は平野署へとそれぞれを連行し取り調べを行います。その日の夜には、「放火」・「殺人」・「保険金の詐欺未遂」などの容疑がかけられ2人は逮捕され、起訴されました。

東住吉事件④朴龍晧と青木恵子に『無期懲役判決』

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2人は事件当初より無罪・潔白であると主張し、事件ではなく事故であると容疑の否認を続けました。それも虚しく、大阪地裁は1999年03月に朴龍晧に無期懲役の有罪判決を申し渡すのでした。そして、同年の05月に青木惠子の裁判でも同じく、無期懲役の有罪判決を言い渡しました。

1審、2審で無期懲役とされいずれも控訴しましたが、青木惠子の控訴は敢え無く、大阪高裁により2004年11月に棄却される判決を言い渡されるのでした。そして翌月の同年12月に朴龍晧の控訴も棄却します。2人はそれを上告します。2006年11月に最高裁は、朴龍晧に判決を言い渡し上告は棄却されるのでした。翌月12月には青木惠子も同様に上告を棄却される判決をくだされます。裁判の結果、2人の有罪判決が確定するのでした。

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東住吉事件は無期懲役という有罪判決が下ったにもかかわらず、2人の犯行であったと直接関連づけるものは自白によってつくられた証拠書類しかなかったのです。しかし、大阪地裁は審議の結果、朴龍晧の自白によって作られた証拠書類の内容は具体的で十分に信憑性があるとし、証拠として認めるのでした。そして、青木惠子の自白による証拠書類の内容も朴龍晧のものと比較し検討してみても、概ね合致しているとして十分信用性があるとしました。

他にも、女子大生がストーカーの犯行グループに殺害され桶川ストーカー殺人事件の真相に興味のある方はこちらをご覧ください。

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