【三豊百貨店崩壊事故】韓国史上最大の崩壊事故の真相とその後に迫る

チョン・イヒョンによる小説『マイスウィートソウル』にも

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この作品は、のちにテレビドラマとしても放送はされましたが、一定のファン層はいたものの大ヒットとはなりませんでした。

30代で仕事をなくし、就職難により悩んでいた主人公が、三豊百貨店で旧友に会い、急接近します。そのあと就職も決まり、生活は軌道に乗りました。

ですがある時、三豊百貨店に行っても旧友がおらず帰ってくると、速報で直後に三豊百貨店で崩壊事故があったことを知ります。幸せの歯車が再び狂い出す、という話です。

三豊百貨店崩壊事故に類似した韓国の事故

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韓国では三豊百貨店のような建物の様に、大きな人工物が崩れ落ちる様な大きな事故が度々起きています。ここでは三豊百貨店の崩壊事故以外に類似した事故を紹介します。

1970年の臥牛アパート崩壊事故

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臥牛(ワウア)アパート崩壊事故とは、1970年にソウル市の公営住宅で起きた大規模な崩壊事故のことで、死者を33人出した痛たましい事故でした。

当時は無許可住宅問題というのを抱えており、その政策として建築された市民アパートだったのにも関わらず、崩壊開始から一気に粉々になりました。

建設予定期間が2年だったにも関わらず、たったの6ヶ月で完成するという異常な欠陥住宅でした。これにより、既存のアパートが補強されました。

慶州マウナオーシャンリゾート体育館崩壊事故

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こちらは2014年に起きた屋根の崩壊事故で、10人の学生らが命を落とした大惨事となりました。

施設内に設けられた講堂は、体育館として使われており、当時は学生らによる新入生歓迎会が行われていました。

ですが降りしきる雪の重さに耐えられず、屋根が崩れ落ちました。こちらも施工の段階で欠陥があり、日頃から安全点検が行われていなかったことも問題となりました。

セウォル号沈没事故も類似事件

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こちらの海上事故は、死者が多いこともあり、日本でも大々的に報道され、記憶に新しく感じる方が多いのではないでしょうか?

実際に犠牲にあったのは、修学旅行中の学生や教員たちのほか、一般客も含め、延べ299人にのぼります。捜索にあたった作業員も8名亡くなってます。

原因は分からずじまいでしたが、船長らが避難誘導を行わなかったとして問題になり、殺人罪で逮捕されています。海上事件としては、過去最大となりました。

城南市野外コンサート換気口崩落事故

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事故当時はアイドルグループの「4minute」がコンサート中で、観客は約700人ほどいました。そこにあった一段高くなった換気口の上にも観客がいました。

ですが、その換気口鉄製の金網状の蓋が崩壊し、上に乗っていた観客が20m下の換気口内部に転落してしまい、約16名が死亡しました。

これは韓国社会の安全対策への意識の欠落が招いた悲劇であることも批判されました。そして取り調べを受けたイベント主催者は翌日に自殺しました。

ロッテ建設中の二度に渡る崩落事故

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韓国のロッテ建設がソウルの郊外の道路工事を請け負ってましたが、ここで橋が崩落し、作業員1名が犠牲になってしまう事故が起きました。

原因は橋の上でコンクリートを流し込む作業中に、橋がその重さに耐えられなくなり崩壊してしまったということでした。

ここで問題だったのは、ロッテグループが前年に建設した第2ロッテワールドで死亡事故があり、安全祈願をしたばかりだったことです。

2019年にも韓国でビル崩落事故があった

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こちらの事故はかなりタイムリーな話題で、今年の7/4に起きました。ビルの撤去作業中に道路側に崩壊し、通行していた車などが巻き込まれました。

30トンにもなる残骸は、通行していた車に襲いかかり、車は大破、乗車していた女性が死亡し、同乗していた男性も重傷を負いました。

作業員は葬儀社の廊下で地べたに座り込み、遺族に謝罪しました。今回の事故も、三豊百貨店の事故を全く教訓にできていませんでした。

安全対策より利益!?韓国製の建物の闇

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国内でも多くの犠牲者を出し、その度に教訓として未来に生かそうとしてはいますが、実際にはそれは全く生かされずに、数多くの事故を起こしていました。

その背景として、自国に資源がないことで、海外の巨大建造物の入札が韓国の発展材料ともなるため、ゼネコンは精力を注いできました。

特に財政の厳しい国は、安値の韓国ゼネコンに発注することが多かったのですが、やはりそこは値段に相当したずさんな手抜き工事が行われていたのです。

国内・聖水大橋の崩壊

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東亜建設産業グループは1979年にソウルに巨大な聖水大橋を建設しました。1994年に中央部分が突如として崩壊し多くの犠牲者を出しました。

原因は接合部分の接合不良と、経年劣化によるものでしたが、安全点検は実施されておらず、そのずさんな手抜き工事が波紋を呼びました。

その後、別の建設会社が立て直しを図るいましたが、これにも手抜き工事があったことが判明し、社会を揺るがすものとなりました。

マレーシアの競技場は1年で崩壊

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2009年にマレーシアで起きた韓国製の競技場の崩壊事故で、幸いにも観客がいない時に起きたため、犠牲者はいませんでした。

ですが、スタジアムを建設した韓国の建設会社は89億ウォンもの大規模な修繕をしたにも関わらず、屋根は再び倒壊してしまい、現在は屋根無しになっています。

これがもしサッカーなどの試合中に起きたとしたら、数千、または数万単位の犠牲者が出ていたに違いありません。

パラオは非常事態宣言を発令

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アメリカから独立したばかりだったパラオは、中心都市のコロール島とバベルダオブ島をつなぐ巨大な橋の建設を海外ゼネコン向けに募集しました。

手を挙げたのは日本の鹿島と韓国のSOCIO2社で、後者が鹿島の半額だったことから施工しましたが、凹みが目立つ様になり、建設途中で崩壊しました。

これをパラオは非常事態と見て海外に援助要請を出し、政府の援助で鹿島が無償で補修工事に当たりました。

ラオスの事故は国際問題へと発展した

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当時海外での建設の実績が欲しかったSK建設は、周りから手抜き工事を心配される中、西武発電とともにダムの建設を始めました。

ですが、基準に満たない低水準の建設が原因で、ダムは次々に決壊し、遂には周辺集落に避難指示を出しましたが程なくして襲われてしまいました。

問題は、SK建設の社員はすぐに避難させていたことと、責任をラオスに突きつけてきたことで国際問題へと発展してしまったのです。

経済成長の裏にあった闇

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かつては最貧困とまで言われた韓国ですが、急激に経済成長を遂げた反面、ゼネコン業界では安全性を無視し、利益を優先した結果多くの悲劇を生みました。

90年代以降は、三豊百貨店をはじめとするそのずさんな建築方法が明るみになり、国内のほとんどの建築物に欠陥があることも発覚しました。

財政面を考慮した上で安全性を優先するかどうかの判断を、正しい方向に向かせるには、昔ながらの体質を変える必要があるのです。

三豊百貨店崩壊事故の悲劇を忘れてはいけない

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こうした様に、韓国でもその安全性に対する意識の欠落が前々から指摘され、改善しようとする人たちが数多くいながらも、そうでない人もまた多くいます。

特に、多くの利用者が出る高層ビルや橋など、手抜きをすればどうなってしまうのかが安易に予想できるはずです。

利益を優先し、基準に満たない素材で建築された建物は、のちに取り返しのつかない大事故につながることを、これからも忘れないでほしいです。

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